第二十四話 工科院の窓、振り返らない背中
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翌朝、作業の合間に工房の職人頭が北側の窓の外を顎で示した。40を過ぎた男で、帝都で長く弓の木材加工をしてきた者だ。
「あれが工科院だ。レオン総帥が作らせた学校だよ」
男は作業の手を止めずに言った。
「数学、工学、冶金。この帝都の頭脳が集まっている。総帥が召し抱えられてすぐ、創設の計画を出したと聞いた」
リサは窓に目を向けた。
正門から続く石畳の通路がまっすぐに奥まで伸びていた。両側に街路樹が等間隔に植えられている。その先に石造りの建物が左右対称に並んでいた。石柱が並んだ正面玄関。屋根の稜線が水平に伸びている。建物と建物の間に中庭が見えた。石畳の広場を若者が書字板を抱えて歩いている。
帝都の他の区画とは空気が違う。静かだった。喧噪がない。
しばらく見ているうちに、リサは削る手が止まっていることに気づいた。
整いすぎている、と思った。
この世界の街は、整わない。家は建て増しで歪み、道は人が歩いた跡が固まって道になる。ペトラキアもセリアの村もそうだった。ところが工科院の建物は、どれも同じ高さに、同じ幅の窓が並んでいる。石の一枚一枚まで揃っていた。切り出した石を現場で削って合わせたのではない。同じ寸法で切ってから運んできたのだ。
街路樹の間隔が揃っているのも同じ理由だろう。木の都合ではなく、先に線を引いてから植えている。
通路の石畳は中央がわずかに高い。雨水を両端へ流すためだ。その両端に浅い溝がある。溝は正門の方へ向かって、ほんの少しずつ下がっていた。
(考えてから、作ってる)
当たり前のことのようで、この世界では当たり前ではなかった。ドロスの工房でも、弓は一張ごとに違った。木の癖に合わせて削るのが職人の腕だったからだ。良い一張ができても、次の一張は同じにならない。
工科院はその逆をやっている。同じものを、何度でも同じに作る。そのために先に寸法を決めて、材の方をそれに合わせる。
その考え方を、リサは知っていた。
射場でずっと言われてきたことだ。良い一射を出すことではなく、同じ一射を何度も出すこと。そのために道具の寸法を決め、体の使い方を決め、手順を決める。中たった理由が分からない一射に、価値はない。
(同じだ。この学校は、弓と同じ考え方でできてる)
石を矢に、寸法を引き尺に置き換えれば、そのまま射場の話になる。この石畳を敷かせた頭の中には、たぶん的があった。
リサは窓枠に指を置いた。石が冷たい。
この帝国の道も橋も、同じ考え方で敷き直されているのだとしたら。街道の幅も、荷馬車の車輪の間隔も、兵の隊列の歩幅も。
(だから、強いのか)
強いのは兵が多いからではない。同じものを同じに作れるからだ。壊れても同じものが出てくる。欠けても同じ形で埋まる。
削りかけの木材が手の中にある。この工房で作られている弓も、その仕組みの一部だった。
中庭を挟んだ建物の窓に人影があった。顔までは分からない。ただ、髪を後ろで束ねているのと、背筋がまっすぐ伸びているのが分かった。窓枠の近くに立って、何かを指さしている。教えている様子だった。女だ、と分かったのは立ち姿の線でだった。
この世界では珍しかった。セリア国でも教える立場に女性が立つことは多くない。
「女性の教師もいるんですか?」
とリサは聞いた。
男が少し驚いた顔をした。
「いる。総帥が最初からそう決めたらしい。珍しいだろう」
その光景に別の記憶が重なる。
美月がいた時代の、大学の練習場。夕方の射場。後輩が弓を引いていた。フォームが崩れていた。蓮先輩がその後ろに立つ。何も言わなかった。ただ、右肘の高さを指で空に示した。押しつけではない。あるべき場所を示すだけ。後輩が引き直す。蓮先輩は振り返らなかった。次の後輩の後ろに移動して、また黙って立つ。
言葉は少なかった。
窓の向こうの人影が書字板の前から離れた。生徒らしい影が見えた。教師が何かを指さす。生徒が頷く。
振り返らずにただそこにいる背中が、この帝国の仕組みを動かしている。
リサは窓から視線を戻した。手元の木材を削り、木屑が落ちる。
入口の外でクルが一度だけ短く鳴いた。杭の周りをひと回りして、また同じ向きに座り直す音がした。
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アレックの限界はじわじわと来ていた。
工房での仕事は弓の製造だったが、アレックだけは木材の荷運びに回されていた。朝から夕方まで重い丸太を倉庫から工房まで往復する。一本の丸太が自分の体重の半分近くはあった。それを肩に担いで石畳の上を何往復もする。昼の休憩は短く、水と少しばかりのパンしか与えられなかった。
工房に来て二週目に入った頃、足の動きが変わっていった。歩幅が狭くなる。肩の位置が落ちる。リサは削る手を止めずに、その歩幅を毎日数えていた。
その夜、宿舎に戻ったアレックが藁の上に倒れ込んだ。
起き上がれなかった。顔色が悪く、汗の量が普通ではない。
「ナイア」
リサが呼んだ。ナイアはすぐアレックの傍に来た。膝をついてアレックの手を両手で包んだ。
アレックが目を閉じた。しばらくしてアレックが目を開けた。アレックが小声で言う。
「何をした?」
「何もしてない」
ナイアが答えた。
リサはナイアの肩に手を置こうとして、その手首に触れた。
熱かった。
湯を張った器に触れたのに近い。指を離した後も、その熱が指先に残っている。ナイアの顔には汗ひとつ浮いていなかった。
ナイアは自分の手のひらを裏返し、指を一本ずつ握って開いた。そして、何も言わなかった。
翌朝、アレックは再び丸太を運ぶ列に並んだ。体力が完全に回復したわけではない。それでも、担ぎ上げる動きが昨日より半拍早かった。アレックが自分の肩を一度見た。
列が動き出す。リサは窓越しにその背中を見送った。歩幅は、昨日より広い。
だが、元の広さには届いていなかった。
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その夜、リサは寝つけなかった。
耳の奥ではレオンの呟きがまだ鳴っている。あの最高権力者が蓮先輩だという、まだ誰にも言えない事実がそこにあった。正体を探ることには危険が伴う。それでも、確かめなければならない。
リサは天井の染みを見つめた。
工房に出入りする行商人の動線がある。収容所の廊下にはペトロスが立っている。どちらも、外へ繋がる糸口になるかもしれない。ただ、あの兵士に直接ものを頼めば、あの兵士の首が飛ぶ。間に誰かが要る。焦れば命を落とす。まずはそのどちらか一つを確実なものにする。
一方で、答えの出ないものも増えていく。ナイアの掌の熱が指先に残っている。アレックの歩幅は日ごとに戻りきらない。そして昨夜と同じ振動が、また床の下を通っていった。
リサは目を閉じた。藁の上についた掌の下で、微かな脈動が続いていた。
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