第二十一話 奴隷の列・帝国の門
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何日、歩いたか分からない。数えるのをやめたのは、たぶん三日目だった。
道が変わった瞬間、足の裏で分かった。
山道の石畳から、帝都へ向かう幹線の石畳へ。同じ石畳のはずなのに、踏むたびに返ってくる音が違った。石と石の継ぎ目がほとんど見えず、隙間に草の一本も生えていない。幅は馬車が二台すれ違える。両端を側溝が走り、雨水を流すための傾斜までつけてある。整っている。いや、整いすぎている。
(美月がいた時代の技術だ)
セリア国の街道とは作りが違った。あちらの道は地形に沿って曲がり、石はただ積んであるだけだ。これは違う。計画された線にしたがって地面を整形してある。
橋に差し掛かった。川幅は50メートルほど。橋脚の描くアーチが橋の重みを左右へ均等に逃がしている。石は刃物で断ったように精密で、繋ぎのモルタルもないのに継ぎ目は指の先も入らない。リサは歩きながらアーチの側面に手を触れた。兵士に「前を向け!」と怒鳴られて手を戻した。
橋の向こうに帝都の城壁が立っていた。
高さは20メートルを超えているかもしれない。石の段が寸分の狂いもなく積まれ、上端の線が地平までまっすぐ伸びている。目分量では作れない直線だった。必要な個所を測り、計算に基づいて作り上げられた。作業する人を計画通りに動かした者がいる。
城門が近づくにつれ、街の音が押し寄せてきた。鍛冶の槌、馬の嘶き、数えきれない声が重なって聞こえる。石と鉄と人いきれの匂いが混ざっている。リサはその音の壁に圧倒されながら前を向いて歩いた。
道の途中で別の一団と合わせられ、列はいつのまにか二十人を超えていた。アレックが鎖を鳴らして横に並ぶ。お互い声を出さず、一度だけ目が合って、それで前へ向き直った。ナイアはリサの半歩後ろ。クルは縄をつけられたまま黙って横を歩いていた。
城門の警備兵が弓を持っていた。
足が一瞬止まる。後ろから背を押されて、また歩き出した。
(……またあれだ)
斥候の弓と同じだった。グリップから前へ伸びる細いロッド。逆へ反り返ったリムの曲線。道具の名称はもう胸の奥で確かめ終えている。確かめるまでもなかった。
問題は、それを提げている男の方だった。
街道で自分たちを捕らえたのは、選り抜きの斥候部隊だった。だが今、城門の両脇に立っているのは、ただの門番だ。退屈そうに通行人を眺め、欠伸を噛み殺している。軍の末端だった。その背に、同じ弓があった。
一張りではなかった。右の兵も、左の兵も、その奥で交代を待つ兵も、同じ形の弓を提げている。寸分も違わない。
息が浅くなった。ドロスが一生をかけても、ここには届かなかった。あの工房には、この棒を削り出すための材も、削るための精度もなかった。図面の隅に描かれたまま、あれはとうとう作業台の上に現れなかった。
ここではそれが揃っている。
(量産されている)
ドロス一人の腕では逆立ちしても届かない数だった。設計図が写され、型が起こされ、いくつもの工房が同じ弓を作り続けている。ドロスが死ねば、あの弓は終わる。ここでは終わらない。石畳も、橋も、この城壁も、たぶん同じだ。一人が知っていることを、組織的に使えるようにした者がいる。
その人間が今も生きているのか。美月と同じ時代を生きていた人間。
リサたちは城門を抜けた。
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収容所への道は城門のすぐ内側から東へ続いていた。
囚人の列が石畳を連れられていく。リサは鎖をかけられたまま、ナイアの手を指先だけで握る。ナイアが小さく握り返した。クルの耳が前を向いたまま動かない。
「歩け」
背を押された。ナイアの足が止まる。リサはとっさにナイアの手を強く握った。指先が冷たい。列が一拍、滞る。兵士の目が、リサとナイアの繋がれた二つの手に落ちた。
「動くな」
肩を掴まれ、石畳に膝を突かせられる。石の硬さが腰まで突き上げた。兵士の足が上がるのが見えた。蹴ろうとしている。
「その女に手を出すな」
少し離れたところから低い声がした。声が届いた瞬間、兵士の足が止まる。誰もが声のした方向を見た。リサも顔を上げた。
広い肩幅。黒の軍装。振り返らずに歩いていく背中。
兵士が直立したまま、その背中を目で追っている。声が出ない。階級の違いなのか、それとも別の何かなのかリサには判断できなかった。
「あの声は……」
呟きが喉の奥で止まる。
その時、クルが鳴いた。
「ワオー」
甲高い声だった。喜びが弾けるような、聞いたことのない鳴き声。クルは四肢で石畳を蹴り、黒の軍装の背中へ向かって跳び上がるように走り出した。縄がピンッと張り詰める。兵士が引き戻そうとするがクルの力が上回って足が滑る。もう一人が剣を抜いた。クルは構わない。縄を引きちぎる勢いで前へ前へと向かい、嬉しさを隠しもしない鳴き声を上げ続けた。
「止まれ! 止まれ!」
兵士が叫んだ。剣先がクルに向く。
振り返った男の目が、跳ねてくる白い塊の金色の目と正面から合った。それから片手を上げた。
「この犬に餌を与えてやれ」
それだけで兵士の剣が下がり直立不動の姿勢となった。クルが静かになる。縄の張りが緩んだ。
クルがあんな声を出したのを聞いたことがなかった。
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収容所は城壁の内側、北寄りの奴隷区にある。区画の南の端、鉄格子の並ぶ棟だ。
石造りの粗い建物で、窓には鉄格子が嵌まっている。床は石畳のままで藁が薄く敷いてあるだけだ。夕方になって与えられた食事は干し肉の欠片と水。毛布は一枚もない。夜になると石の冷気が床から這い上がってくる。ナイアが震えていた。アレックが壁に背中をあずけて目を閉じている。起きているのか眠っているのか判断がつかなかった。クルが三人の足元に体を回して丸まった。白い毛がわずかに温かい。
老婆がいた。
収容所の隅に小さな体で膝を抱えて座っている。年齢は見当もつかなかった。皺だらけの手が何かの実を三つ、静かにリサの方へ差し出す。言葉はなかった。老婆の目は穏やかだった。
リサは軽くお辞儀をしてそれを受け取り、ナイアとアレックに渡し、三人で食べた。何の実か分からなかったがほんのりと甘い。老婆はまた膝を抱えて壁に背中をつけた。
石の冷気がまた這い上がってくる。リサは膝を抱えて壁にもたれ、昼間見た背中を思い出していた。
(転移してきた者はこの帝都にいる)
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その夜、兵舎の一角にある個室で、副官のブラガが報告書を机に置いた。
「総帥、例の一行は収容所に入れました。弓使いの娘、連れの二人、それから白い大型犬が一匹。目が金色で体躯が通常の犬の倍はあります。普通の獣ではないかと。逃走の手段はなく、脱走の恐れはないと思われます」
ブラガが一枚めくった。
「娘の手ですが、弓を引く胼胝のほかに、鉋と鑿の胼胝がありました。弓師の工房の者かと」
レオンは窓の外を見ている。帝都の夜が石畳の向こうに広がっていた。ブラガが一礼して退室する。扉が閉まる音がした。
自分がなぜあの時声を上げたのか。理由が分からない。
あの瞬間、兵士が少女を蹴ろうとした。それを見て自分でも気づいた時には声が出ていた。遡ろうとして、遡る先がなかった。セリア国から逃げてきた弓使いだという情報は持っていた。有用な人材かもしれないという判断ならある。しかしそれは蹴られた後で考えればよかった。なのに声が先に出た。
そして白い犬のことが頭から離れない。
縄を引きちぎる勢いで向かってきた。それでいて襲い掛かる様子はなかった。あの金色の目、どこかで見たことがある気がした。記憶のどこを探しても白い大きな犬など出てこない。それでもあの目を見た時に胸の奥の触れたことのない場所に何かが触れる感覚があった。
いとおしい。そういう言葉が浮かんだ。
理由が分からなかった。
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