第十五話 17歳の救出劇、六本の矢
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四人いた。
リサにはわかった。断崖の上に兵士が二人と神官が一人。山道の途中には兵士が一人。クルから届いた感触はそうだった。断崖の岩陰から稜線を見上げた瞬間、頭の中で地図が完成する。神官は戦わない。制圧すべきは兵士三名。
リサは弓を引いた。
夜明けの空気に硫黄が混じる。矢筒の中で矢が触れ合う音がした。六本。ドロスと二人で最初の六本を炉の横に並べた、あの夜と同じ数だ。
指先に弦の感触がある。引き手の人差し指の第一関節が右の頬骨の下に収まり、弦が鼻の頭に触れた。いつもの位置だ。呼吸を止める。断崖の縁が見えた。岩の上に小さな人影がある。
(ナイア!)
兵士の一人が抜き身の剣の腹でナイアの背を押し、断崖の縁へ立たせようとした。その瞬間だった。
熱の柱が下から上へ押し上げていく感触が、クルからそのまま流れ込んできた。言葉ではない。断崖の壁を舐めて昇るものがある、というだけの感覚だ。
考える前に狙点が下がっていた。
リサは指を開いた。
その兵士の手から剣が跳ね上がる。矢が柄を叩いていた。金属音が断崖に反響して溶岩の音に混じる。兵士が手を引いた。剣のない手を、信じられないものを見るように眺めていた。
「次は手首だ!」
リサの声が谷に響いた。
断崖の上が動いた。もう一人の兵士が剣を抜く。
(許さない。ナイアを守る。絶対)
次の矢を番えた瞬間、白い影が岩陰から飛び出した。クルだった。一直線に、剣を抜いたその兵士の右腕へ。金色の目が一瞬光る。噛みついた。兵士が叫んだ。二人の位置が崩れる。ほんの一瞬の隙。それで十分だった。
その兵士の鍔と刃の境目を狙った。衝撃で剣が指から離れ、岩の上を滑って断崖の縁で止まる。
クルが離れた。兵士の腕から跳び退いてリサに向かって一瞬顔を向ける。
風が変わった。クルが向きを変えた瞬間に分かった。
最初に剣を落とした兵士の肩口、まだ構えていた盾を吊る革帯の留め具を狙った。留め具が弾け、盾が落ちる。兵士が膝をつく。
断崖の上の二人が止まった。剣も盾も失って、それでも前に出ようとしている。素手でも来るつもりだ。気持ちは分かる。でもお願いだから、もう止まって。
神官が山道の方へ向かって走りだした。振り返らず、そのまま、まだ暗い山道の下へ消えてしまった。
入れ替わりに、山道の方から駆け上がってくる音が聞こえた。重い足音だ。山道の途中にいた見張りの兵士が異変に気づいて応援に向かってくる。
(来るな!)とリサは心の中で叫ぶが、もちろん兵士には聞こえない。
山道を登り切ってきた兵士の兜の庇の縁を射た。矢が金属を叩き、兜が横にずれて目の前を塞ぐ。兵士が本能的にしゃがんだ。それでもすぐに立ち上がりなおも迫ってくる。その瞬間、別の方向から駆ける音がした。アレックだ。山道の脇から飛び出して、駆け上がってくる兵士の正面に立ちふさがる。
「通すか!」
アレックが叫んで道に飛び出し、駆け上がってきた兵士に体当たりした。兵士が前のめりによろけた隙に、リサは剣帯の金具を狙う。以前、行商人を襲った男の腰に向けたのと同じ場所だ。手が先に覚えていた。剣ごと腰から外れて岩の上に落ちる。
六本目を番えた時、静寂が来た。
溶岩の音だけが続いている。三人の兵士が誰も動かなかった。剣を失い、盾を失い、一人は膝をついたまま、リサの矢先を見ていた。次の矢がいつ来るか分からない。それだけで兵士達を大人しくさせるには十分だった。
クルが前に出た。低く、ゆっくりと。唸らない。牙も見せない。金色の目が三人を順番に見た。大きな体が一歩また一歩と間合いを詰めていく。
兵士の一人が後ずさった。それが合図になった。三人が一斉に山道へと走り出す。神官の後を追って駆け下りていく足音がどんどん遠くなった。
リサは弦をゆっくりと戻した。六本目の矢が、まだ指の中に残っている。
クルが戻ってきた。足音もなくリサの隣に並ぶ。リサがクルに声を掛ける。
「よくやった」
クルの耳が少しだけ動いた。山道の方を向いたアレックが肩で息をしながらリサに言った。
「お前もな」
リサは断崖を登った。
岩が熱い。硫黄の臭いが手のひらに染みついてくる。足を置くたびに岩の温度が靴底から伝わってきた。夜が明けかけていた。空の端が白み始めて断崖の輪郭がはっきりしてくる。溶岩の音は止まらない。低く、絶え間なく、谷の底から響き続けていた。
岩の上に小さな人影が見えた。座ったままだった。動いていない。でも倒れてはいない。背筋が伸びていた。リサが叫ぶ。
「ナイア!」
声に出したら、堰を切ったように涙が溢れだしてきた。
ナイアが振り返る。その目を見た瞬間、リサは走った。岩の凹凸も熱も関係ない。
断崖の上にたどり着くと、リサは思わずナイアを抱きしめた。
ナイアの体は思っているよりずっと細かった。腕の中で体全体が小刻みに震えている。火口の縁に座っていた間、この震えはどこにも出ていなかったはずだ。ナイアの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ、頬を伝っていった。リサが口を開く。
「来たよ」
「知ってた」
そう言ってから、ナイアはまたぽろぽろと涙をこぼした。しばらく、二人はそのまま抱きしめあった。
山道を下り始めたのは空が白んでからだった。
クルが先を歩く。リサはナイアの手を引いたまま岩の段差を一つずつ降りた。登りとは逆に足元から熱が引いていった。硫黄の臭いも少しずつ薄くなっていく。山道に入ると地面が変わった。岩から土へ。踏む感触が柔らかくなる。木の根が道を横切っている。夜明けの光が木の葉の隙間から差し込んで道の上にまだらな影を作っていた。
山道の途中にアレックがいた。ナイアを見た瞬間、アレックの表情が少しだけ変わった。アレックは何も言わず、ナイアの反対側に来てその肩を支えるように並んで歩き始めた。リサが話しかける。
「待ってたの?」
「当たり前だろ」
アレックが答えた。クルが振り返った。「早く行ってよ」とでも言うように金色の目がリサを見る。
このまま山を回り込んで峠へ抜ける道はある。頭の中に地図が浮かんで、すぐに畳まれた。ナイアのサンダルはもう底が抜けかけている。食料も水もない。アレックの家族は村にいる。ドロスもいる。
それに、ここで逃げればナイアは一生「逃げた人柱」のままだ。山が次に揺れた日、村はまたこの子の名前を呼ぶ。
戻る。戻って、終わらせる。
三人と一匹で歩き始めた。村はまだ遠い。でも夜明けの光が山道を照らし始めていた。
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