第十三話 選ばれた少女・アレックの意地・火口への道
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ナイアの名前が呼ばれた瞬間、足が動いていた。
広場に人が集まったのは昼過ぎのことだった。村長の召集だった。理由は分かっている。揺れがまだ続いている。昨夜も二度、地面が動いた。北の山の赤みは消えない。井戸の水位が下がったとアレックが朝に言っていた。
リサはアレックと並んで広場の端に立っていた。クルが足元に座っている。村中から人が出てきていた。石畳の広場が人で埋まっている。子供の姿もあった。ナイアも来ていた。リサより少し前、人の輪の中ほどに立っている。
広場の中央に見慣れない人間がいた。白金の薄くなった髪。深緑の目。白い長衣に金の帯。村長の隣に立っていた。その周囲に革鎧を着た兵士が十人ほど、一定の距離を保って立っている。中央にいるのはマルキオン大議長だった。
「なんで大議長が来てるんだ?」
アレックが低い声で言った。
「火山の件と帝国の動きが重なったからだと思う。ペルネア村はドラヴァルへの道に近い」
「そういうことか」
アレックはそれ以上聞かなかった。
村長が口を開いた。揺れが続いていること、北の山の状況がさらに悪化していること、村中の井戸の水位が下がり、農地への影響が拡大していることを順を追って話した。村人が静かに聞いている。それから村長が老婆の方を向いた。
老婆が前に出た。昨日の会議にいた、あの老婆だ。腰が深く曲がっている。その体で広場の中央まで歩いた。誰も声を出さない。老婆が口を開いた。
「井戸が涸れかけている。三十年前と同じだ」
老婆の声は細かったが広場の隅まで届いた。
「山が怒った。伝承は生きている。人柱を立てる。一人、火口に立つのだ。山の神に命を捧げる。それがこの村の古い約束だ」
広場が静まり返り、風の音だけが聞こえている。
誰かが小さく「また来たか」と呟いた。別の声が「仕方ない」と続く。すぐに別の声が上がった。
「子供を差し出すのか、何百年前の話だ?」
「火山が本当に噴火したらどうする。こっちの方が怖い」
「でも子供だぞ!」
「それが伝承だ。昔から決まっている」
老婆が続けた。
「選ばれる条件がある。若く、清廉で、生まれながら魔法を持たない者。それが伝承の定めだ」
リサの胸の中で何かが動いた。
(私じゃだめだ。私の魔法は生まれつきじゃない。後から消えただけだ)
代われない。条件が当てはまる者は、この村に一人しかいない。
老婆が顔を上げた。視線がゆっくりと動いて止まった。
「ナイア。条件に合うのは、今はあの子だけだ」
声に出して呼んだ。リサの足はすでに動いていた。人の間をかき分ける。クルが後をついてくる。ナイアに向かって歩いた。ナイアは動かない。呼ばれた方向を向いたままじっと立っていた。
「待ってください!」
リサの声が広場に響く。村人が振り返った。老婆も振り返る。大議長が視線を向けた。
「火山の揺れは地の下の熱と圧力によるものです。命を捧げても山は静まらない」
「昨日も同じことを言ったな」
村長が言った。
「お前の話は推測だ。伝承は何百年もこの村を守ってきた」
「命と引き換えにして守ってきた平和が本当に人柱の効果だったのか、確かめる方法はありません!」
老婆が穏やかな声で言う。
「そうだ。確かめる方法はない。だから伝承に従う。確かめられないからこそ守り続ける」
論理ではない。それが信仰だった。リサは一生懸命言葉を探すが見つからない。
村人の後ろの方から声が上がった。
「弓師の言う通りじゃないか? 人柱で山が静まった証拠なんてないだろ」
「でも静まらなかった証拠もない。噴火したら村が終わるんだぞ」
「伝承を破ったら祟りが来る」
「神罰と噴火とどっちが怖いんだ!?」
声は重なったがまとまらない。老婆の側に立つ者の方が多かった。それがこの広場ではっきりと見えた。
マルキオンが初めて口を開いた。
「弓師よ。お前の言う通り根拠はない。しかし村の掟はセリア国の法の及ばないところにある。儂にはペルネア村の伝承を覆す権限がない。これはペルネアが決めることだ」
静かな声だった。
リサは大議長を見た。大議長もリサを見ている。その目が何か言いたそうだった。
その時だった。アレックが前に出る。
「おかしい!」
はっきりした声だった。
「ナイアはまだ14だ。子供を火口に落とすって言ってるんだろ? そんなことが許されるのか」
「伝承の定めだ。お前には関係ない」
「関係ある! この村で生まれて、この村で育った。ナイアと一緒に生きてきたんだ。それのどこが関係ないんだ?」
村長の隣にいた兵士が一歩前に出た。大きな男だった。
「下がれ!」
アレックは下がらなかった。兵士が腕を伸ばす。アレックの胸元を掴んで横に投げ飛ばした。アレックが息を詰まらせて倒れると、もう一人の兵士が近づいて、倒れたアレックを踏みつけようとした。
気づいた時にはリサは走り出していた。
リサはアレックに覆いかぶさるようにして、踏み下ろされる足の下に体を入れた。兵士の足が背にぶつかる。息が詰まった。それでも動かなかった。
兵士がもう一度足を上げた。
その足は下りてこなかった。マルキオンが片手を上げていた。声はない。それだけで兵士の動きが止まる。
別の兵士がリサの肩を掴んで乱暴に払いのけた。ただの村娘だと思っている顔だった。石畳に手をついたが、すぐに起き上がってまた二人の前に立ちはだかった。
「どけ!」
「どきません!」
食い下がった。一歩も引かなかった。
兵士がまた手を伸ばしかけた。その時、ナイアの声が響いた。
「やめて!」
ナイアが人の輪をかき分けて前に出ていた。
「お姉ちゃん、もういい。私が行く」
「ナイア……」
「ここで揉めたら、もっと悪くなる」
ナイアの声は静かだったが、揺るがなかった。それから軽く微笑んだ。泣いていなかった。怯えていない。静かに笑っていた。いつものナイアの笑い方ではない。何か別のものが混じっている。もっと深いところから来るような笑い方だった。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ」
そう言うと、自分から兵士の方へ歩き出す。
リサは動けなかった。ナイアの背中を見ながら、何かが喉の奥からせり上がってくる。リサが叫ぶ。
「待って。待ってよ! こんなの、おかしい。ナイアが何をしたっていうの? 何も悪いことしてない。何百年前の言い伝えのために、なんでナイアが選ばれなきゃいけないの。誰か止めてよ。誰か……」
声が震えていた。目から涙があふれた。
「お願い。お願いだから!」
ナイアに向かって手を伸ばした。指先が届く前に、兵士の腕がリサの体を横から抱え込んだ。もがいた。それでも大人の力には敵わない。
「離して! ナイア!」
アレックがリサの反対側から加勢しようとしたが、別の兵士に押さえ込まれた。クルが唸り声を上げて兵士に飛びかかろうとしたが、槍の穂先が鼻先に突きつけられて動きを止められ、別の兵士に首輪を捕まれた。
リサ、アレック、クルは、その場に押さえつけられたまま動けなかった。
ナイアは振り返らなかった。まっすぐ前を向いて、兵士たちの方へ歩いていく。両脇に兵士がついて、連れていかれた。広場の端にある石造りの倉の方向だった。扉が閉まる音が広場に響き渡った。
リサの体を押さえていた兵士の力が緩んだ。リサはその場に膝をついた。声も出なかった。
マルキオンがリサの方を向いた。
「気持ちは分かった。しかし今は引け」
「ナイアを返してください」
「今夜、神官が来る。儀式が整えば、夜が明ける前に山へ向かう。それまでにどうするか考えろ。お前は賢い」
大議長は声を落とした。静かな声だ。
「儂にできることはなにもない」
それだけ言って大議長は村長の方に戻った。
夕方まで手が打てなかった。
石造りの倉の前には兵士が二人立っていた。扉は閉まっている。村人が何人か遠巻きに見ていたが近づいてくる者はいなかった。
ドロスが工房の前に出てきた。リサが戻ってきた時すでに外に出ている。リサを見て一度だけ目を合わせた。
「お前には関係ないとは言わん。今夜どうするかはお前が決めることだ」
それ以上は言わなかった。工房に戻った。
アレックがリサの横に来た。
「追いかけるんだろ?」
「うん」
「じゃあ一緒に行く」
「止めない」
「最初から止めさせる気なかっただろ」
リサは少し黙った。
「怪我、大丈夫?」
「これくらい平気だ」
嘘だった。口の端が切れていた。でもアレックはそれ以上触れなかった。リサも同じだった。
日が暮れる前、リサは一度工房に戻った。弓を手に取る。矢筒に矢を入れる手が震えていた。
夜になった。
リサは石造りの倉を遠くから見ていた。灯りが一つ、倉の前の松明だった。兵士が二人、交代せずにそのまま立っている。
真夜中を過ぎた頃、扉が開いた。ナイアが出てきた。両脇に兵士がいる。長い外套を着た神官が一人、その後ろに立っていた。松明を持った者が先頭を歩く。北の方角へ向かった。
クルが立ち上がった。耳が真っ直ぐに立ち、鼻が動く。クルから感覚が届いた。
〈あっち、あっち〉
リサはアレックを見た。アレックが頷く。歩き出した。
護送の一行は正規の山道を進んでいる。リサたちは獣道を選んだ。崖を直登する道で、山道より険しいが距離は半分もない。危険な分、詰められる。
月明かりが白く岩肌を照らしていた。道は細く、ところどころ岩が突き出している。足元が不安定だった。リサはその岩を手で掴みながら上る。岩肌の冷たさが手のひらに刺さる。
息が切れた。それでも止まらなかった。アレックが隣にいる。それでも声を出さない。
硫黄の臭いが濃くなってきた。クルが先を走り、時々振り返った。〈あっち〉という感覚が断続的に届いてくる。
空気が変わった。冷たかった夜の空気の中に熱が混じり始めた。北の空が地の下から照らされているように赤い。
足音が聞こえた。先を行く一行の足音だ。
リサは歩き続けた。岩を掴む手が痛い。それでも足を止めなかった。
ナイアの笑顔が頭から離れなかった。
(お姉ちゃん、大丈夫だよ)
あの笑顔の意味は分かっていた。私を安心させるためだ。これ以上誰も傷つけたくない、そのための笑顔だった。
間に合わなければならない。その感覚だけが走る足を動かし続けていた。
クルが一度だけ短く吠えた。前方に松明の光が見えた。
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