第十二話 火山の目覚め・人柱の伝承・目覚めゆく古の兵器
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火山が揺れた。
足の裏に伝わる振動。地面の底から低く唸るような音が伝わり、長く揺れが続いた。石畳の路地に立っていたリサはその揺れが止まった後もしばらく動かなかった。揺れは終わっていたが、足の裏にその感触が残っている。
空を見上げた。北の方角、山の稜線の向こうに細く白い煙が立ち上っている。風もないのに真っ直ぐに高く伸びて、やがて空の青の中に溶けていく。昨日まではなかった煙だった。
クルが隣に来た。北を向いている。もう驚かなかった。寂しそうな声で小さく「ワオーン」と鳴いた。
夕方になると村に噂が広がっていた。
農作業を終えた女たちが井戸のそばで声を低めて話す。「三十年前もこうだった」と誰かが言った。「あの時は井戸が先に涸れた。それから、人柱を立てた」。「今夜は子供を外に出すな」という声も聞こえた。市場では売り物を早めに片づける者がいた。普段なら夕方まで続く商いが、今日は昼過ぎには静かになっている。
リサは工房に向かう途中で広場に立ち止まった。
「山の神が怒っているんだ」
男の声だった。断言するような言い方だ。
「北の山は神域だ。人が踏み込んでいい場所じゃない。冒された怒りが地を揺らしている」
うなずく声が続いていた。
リサは聞いていた。反証する言葉は持っていた。この村の言葉ではなかった。
「違う」と思ったが、口には出さなかった。火山が動く時、そこには地の下の動きがある。神の怒りとは別の話だ。でもそれをこの村の言葉でどう説明すればいいか、分からなかった。
リサが工房に着くとドロスはいつものように作業台に向かっていた。削る音だけが続いている。奥で二人の見習工が膠を煮ていた。アレックが入ってから、若い者が二人増えていた。ドロスは名を呼ばず、顎で指示するだけだ。それでも二人は手順を間違えない。しばらくしてアレックが来た。アレックも見習工としてドロスの世話になっていた。アレックは扉を押して入り、ドロスに軽く頭を下げてからリサの横に立った。アレックが話しかける。
「帝国の大軍が北の山沿いに動いているらしい。今まで見たことない規模だと」
リサは手にしていた弓を置いた。
「どのくらいの規模?」
「行商人が言ってた。半日歩いても行列の端が見えなかったって。兵だけじゃなくて、大きな材木や石材を積んだ牛車が何十台も連なってたって。道も直してるらしい。石を敷いて、まっすぐに。それで、長老たちが集まって話し合いをしているそうだ」
ドロスの手が一瞬だけ止まった。
材木。石材。兵だけではない。何かを建てるか、大きな掘削作業でもしているか。頭の隅に違和感が引っかかった。帝国の大規模な動きが始まったのと火山が揺れ始めたのはほぼ同じ時期だった。関係があるのか、偶然なのか、まだ分からなかった。
(このまま黙っていていいんだろうか)
広場で聞いた「山の神が怒っている」という言葉が頭に残っていた。村人はそれで納得している。でも、材木と石材の話を知っているのは、今この工房にいる自分たちだけだ。この繋がりに気づいたまま黙っているのは、何か違う気がした。
知っていて黙っている、というやり方は、「守り手」と呼ばれるようになった今のリサには許されない気がした。リサがアレックに話しかける。
「話し合いはどこでやってるの?」
「広場の集会所だと思う。でも関係ない人は締め出されてる」
ドロスが低い声で言った。
「無駄足になるかもしれんが」
リサは振り返った。ドロスが削りかけの木片を持ったまま、こちらを見ていた。
リサは弓を持って工房を出た。クルとアレックがついてきた。
集会所の前まで着くと、扉は閉まっていた。外に村人が何人か立っている。リサが声を掛ける。
「私は弓師です。帝国の動きについて知っていることがあります」
扉のそばに立っていた男が少し動きを止めた。リサの顔を見て、それからため息をついた。
「……待ってろ」
しばらく待つと扉が開いた。
「入れ。ただし余計なことは言うな」
集会所の中は油皿がいくつか灯っていた。中央に低い台があり、その周りに村長と長老が六人座っていた。村長は五十代の男で顔に深い皺が刻まれている。長老の中に一人、八十近い老婆がいた。腰が曲がっていて、目は薄く白濁していた。
「山の神の怒りに間違いない」
長老の一人がそう言っているところだった。村長がリサに気づいて片手を上げる。話が止まった。
「弓師とやらか。帝国について知っていることがあるそうだな。言ってみろ」
リサは扉の近くに立ったまま口を開いた。
「帝国の動きと火山は別の話だと思います」
村長の眉がわずかに上がった。
「なぜ?」
「火山が動く時、地の下で何かが起きています。帝国の軍が来たから揺れるものではない。ただ、帝国の大規模な動きと揺れが同じ頃に始まっているのは確かです。行商人の話では兵だけでなく大量の材木や石材を積んだ牛車が連なっていたとのことでした」
「それが火山と何の関係がある」
「分かりません。でも偶然とも断言できません」
村長が腕を組んだ。しばらく何も言わなかった。それから老婆の方を見た。
「婆さま。言うつもりなら、今言え」
老婆が口を開いた。声は細かったが部屋にはっきり届いた。
「三十年前と同じだ。あの時は一人が火口に立った。人柱だ。それで山が静まった」
部屋の空気が一瞬冷たくなった。老婆は続ける。
「今度の揺れは、あの時よりも長く続いている。井戸の涸れ方も早い。もしこれが伝承の類なら、悠長にはしていられない」
老婆は言葉を止め、それ以上は続けなかった。
老婆の目がリサの方を向いた。白く濁っているはずのその目が、リサの姿をはっきりと捉えていた。
会議は結論が出ないまま終わった。
「様子を見る。揺れが続くようなら、また集まる」というのが村長の判断だった。帝国の軍の動きについては斥候を出すことになった。セリアの大議長がこちらへ向かっているという話も出た。北の帝国の動きを見に来るのだという。人柱の伝承については誰も直接触れなかった。ただ、老婆の言葉が皆の耳に残っていた。
外に出ると夜になっていた。アレックが待っている。クルも待っていた。
「どうだった?」
「分からなかった」
リサは空を見た。北の方角にかすかに赤い光が滲んでいた。遠くの山の稜線の向こうだ。
「……溶岩か」
アレックが呟いた。誰も答えなかった。
その夜、ナイアが早く帰ってきた。母の畑仕事を手伝いに出ていたが、いつもより日が高いうちに戻ってきた。
夕食を食べながら、ナイアが言った。
「お姉ちゃん、今日の長老たちの会議に入ったんでしょ」
「聞いたの?」
「アレックが言ってた」
リサは箸を置いた。向かいに座ったナイアを見る。14歳になったナイアは背が伸びて、目の高さが姉に近くなっていた。髪は薄い金色で目が水色に近い。ペルネアの子供らしい顔だった。
「人柱の話、出た?」
突然ナイアが聞いた。静かな声だった。
リサは少し間を置いて話す。
「出た。古い伝承だって言ってた」
「そう」
ナイアは箸を持ったまま、少しの間、何も言わなかった。
ナイアの目が一瞬、どこか遠くを見た。リサには見覚えのある表情だ。
夕食が終わってナイアが片づけを始めた。リサも手伝う。二人でしばらく黙って動いた。窓の外の赤みは夜が深くなるにつれて少しずつ濃くなっていた。
深夜、リサは眠れなかった。
ナイアの寝息が聞こえた。クルが床に伏せている。リサは天井を見ていた。
火山が揺れている。帝国の大軍が北に動いている。人柱の伝承が会議の場で口に出た。その三つが頭の中でぐるぐると回った。
帝国の行動。大きな荷車。材木と石材。
(何かを運んでいる。北の山の中で何かを作っている)
それが何なのかまだ分からなかったが、確かに引っかかっていた。
クルが起き上がった。音もなく立って窓の方を見た。
リサは起き上がってクルの横に座った。ナイアの寝息が続いていた。
クルが低く、一度だけ「クーン」と鼻を鳴らした。
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火山の岩盤に、刳り抜かれたような空洞があった。
壁は黒く焦げていた。床に細かいひびが無数に入り、そのひびの隙間からかすかに赤い光が滲んでいる。硫黄の匂いが充満していた。
ひびの奥で、何かが低く唸っていた。音とも呼べない、地の底そのものが震えるような響きだった。
そこから遠く、遥か北の地中深く。まだ土に埋もれたまま目覚めきっていない古の兵器が、低い波を発し始めていた。波は岩を伝い、マグマを揺らし、地脈をつたって遠くこの火山にまで届いていた。
その波は熱だけでなく、地上に暮らす者たちの意識のわずかな隙間にも同じように滲み出していた。
意志も、言葉もない。ただ滲み出す波が、静かに広がり続けていた。
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