第6話
『歌うたいのマリアちゃん』は、神エル最序盤で発生するチュートリアル的タウンクエストだ。
ある宿屋の少女マリアが突然声を失ってしまう。歌が大好きだった彼女は気に病んで、店の仕事もろくに出来ず皿を何枚も割ってしまうところからイベントスタート。冒険者は神託を受けこの問題を解決に導く———というもの。序盤のため攻略方法は簡単だ。アイテムを一つ手に入れて渡すだけ。しかし私は営業後の宵ばな亭の床をモップがけしながら唸っていた。
「んんーー、これ私が解決していいのか?」
私ほど神エルを周回していれば、ヒントがなくてもどう解決するかは熟知していた。しかし問題は私がゲームプレイヤーではなくNPCだということ。
そして他にもおかしな事が起きていた。最序盤タウンクエストはまだクリアされていないのに神託クエストは進められているようなのだ。今回発生している『サラ姫様の失踪』は、後半の第6章で解放される。
何故そんなことを覚えているかというと、これがルシアレ共闘が拝める唯一のイベントだからだ。オタクの心が忘れていない。
「いやーーいやいやいやいやまさかここにきて生で推しイベント見れたら私成仏しちゃうよ?!」
キャーキャーと歓声をあげて喚いているのを、カウンターの向こうからアレックスが睨んでいるのに気がついて、すぐにまたモップで床を擦り始めた。
アレックスといえば、と私は彼に聞こうと思っていた事を今更に思い出した。まはひみについて、である。
そもそも私は、アレックスからまはひみという名前を聞いた事から事件に巻き込まれている。そうでなければアレン隊長の前で自分のペンネームである『まはひみ』を叫ぶこともなかっただろう。アレックスが不穏渦巻くマラーナ城をみながら「まはひみ様のおかげでマラーナ王国は安泰だ」というくらいなんだから、絶対何か知っている。
私はガラスのコップを磨くアレックスの様子を伺いつつ、モップを持つ手を動かしながらカウンターへ近づいていった。
「なんだよ」
流石に接近に気が付いたようで、アレックスの方から声をかけてきた。
「あの……お伺いしたいことがあるのですが」
その言葉に、彼は怪訝そうな顔をした。
「俺もお前に聞きたいことがある」
びくっと身体が震えた。やばい、昼にサボっていたことかな、と縮こまる。アレックスは表情を変えず、磨かれてピカピカになったガラスのコップを棚にしまいこむと私の顔をじっと見た。
「お前は、誰なんだ?」
2人きりの静かな店内に、張り詰めた冷たい緊張感が広がっていった。
初め、その質問の意味がよくわからなかった。誰っていうのは……宵ばな亭の女中であるけど中身は元社畜で重度神エルオタクの森下莉子で、なんて説明しようもない。
どう答えるべきかと狼狽えていたら、アレックスは相変わらず疑いの目で私を見ていた。
「昨日までと、人が変わったみたいだ」
ああ、確かにそれはそう。何故ならこの身体の中身は昨日までのこの人じゃない。アレックスはその違和感に気がついたようだ。そりゃそうか、朝寝坊したと思ったら感激しながら「マラーナ王国!」とか叫びだしたのだ。現地の人からすれば、意味がわからない。自分の立場に置き換えたら、ある日突然同僚の人格がまるっきり変わってしまったわけだ。恐ろしいに決まってる。しかしやはりどう説明していいかもわからず、しどろもどろで誤魔化した。
「……私は、私だよ?アレックス」
苦し紛れに絞り出したが、逆効果だ。
「俺のこと、いつからアレックスなんて呼ぶようになったんだよ。お前、いつも“アル”だろ」
昼にサボっていたことなんかより、余程痛いところを問いただされてしまった。私は何も言えなくて立ちすくんでいた。




