第4話
紫が、視界を奪った。
扉の向こうに立っていたのは、ゲーム画面越しに何百回も見た男だった。
マラーナ王国魔導師隊師団長、ルシフェル。
主に魔力による攻撃や戦略を担う魔導師隊は知能、知略、そして魔術に秀でた者たちの集団。その頂点に立つ師団長こそ、このルシフェル様である。
狡猾な魔法使いの集まる部隊を見事に纏め上げ自らの魔力も圧倒的チート。悪魔に魂を売ったとまで言われるこの人物も、神エル内で主要人物の1人でありシナリオ攻略に欠かすことができない。
シンプルな濃紫のマントを纏い、波打つブロンドの髪が揺れる。吊り気味の眉の下にあるどこか人を食ったような垂れ目からは、自らの才を疑ったことなど一度もない者の傲慢さが滲んでいた。
なお、実際悪魔に魂を売った設定で彼を題材にした二次創作は後を絶たない。
私はさっきまでの緊張から解き放たれて、本物のルシフェル様を前にして言葉を失う。それ程までに彼には圧倒的な美しさと存在感があった。画面越しでは分からない。やはり、本物は違う。
しかしそれ以上にアレン隊長が放つ殺気が、物凄い勢いで談話室内を支配していた。
「師団長殿、すぐに行くと伝言を渡したが?」
私を尋問していた時よりも響く低い声が轟いた。これこれ。ルシアレは基本喧嘩なんですよね。しかしそんなオタクの悦びを吹き飛ばすほど、実際2人の関係は劣悪であった。
「遅すぎるから迎えに来てやった私の行為を無下にすると?だいたい近衛兵は普段から頭が硬すぎて機動力に欠ける。姫の居所を特定したと連絡を貰ったならば、一目散に駆けつけるべきだと思うね。近衛兵隊長、様」
高慢なルシフェルの物言いが癇に障ったのか、或いは私という部外者がいる中で姫様の居所という重要な情報を漏らした失態に対する逆鱗か。アレンは私に目を向けながら、眉間の皺を深くしてルシフェルに対峙した。
そうしてようやく私の存在に気付いたルシフェルが、一瞬値踏みするような目で見てから、すぐに貼りついたような笑顔を見せた。
「これはこれは!お客様がお出での様で。我がマラーナ王国の王宮へようこそ!こんな汗臭い兵の屯舎でなく我が魔導師隊の貴賓室でお迎え出来なかったことを心苦しく思いますよ」
言い淀む事なくスラスラと巧言令色に彼は言った。ルシフェルは、女には皆一様にそうなのだ。農園の幼女から置き屋の妓楼まで。撒ける種は何処にでも蒔く、が彼のモットー。そこが近衛兵隊長アレンと水と油の所以だ。
「ルシフェル、今はこっちの話が先だ」
猛獣の唸り声の様な迫力だ。しかしそんな程度で師団長の態度は改まることはない。
「何処のお方が私を蔑ろにしたのが先か?」
一触即発である。この城が王国の二大戦力によっていつ無くなってもおかしくはない状況であった。
私は自身の震えを必死で抑えながら、煽りに煽りをぶつける応酬を静観していたのだが。
「公式ルシアレ圧が強すぎ……」
それが私の最後の言葉だった。緊張の糸が切れ、推しカプの現実を目の当たりにした私は、その場で意識を失った。
ハッと目を覚ますと、見知らぬ天井が見えていた。身体を起こしあたりを見ると、だだっ広い広間にベッドがいくつか並んでいた。王宮の医務室だ。こんなところに運ばれたのか。私はゆっくりベッドから這い出して床に靴はないかと探した。
「起きたの?」
甘ったるいようなその声で、顔を上げると1人のシスターが椅子に座ってこちらを見ていた。気怠そうな顔をしている。
「あ、あなたは、」
もちろん知っている。癒しの魔法を専門とするシスター・キャリー。祈り巫女のくせに、やる気がない。そして、ルシフェル、アレンと同様神託を得てイベントを攻略する主要キャラ達の1人でもあった。
「体調は?」
彼女は水差しからカップに飲み水を注ぎ入れ、私に手渡した。
「あ……まあ、まあです」
公式ルシアレを致死量摂取したにしては、至って冷静であった。キャリーが何も言わずに私を見ていたので、手に持った水を口に含みゆっくり飲み込んだ。冷たくよく冷えている。今しがた井戸から汲んできてくれた水なんだろう。ぷはーと一息つくと、それを見て彼女は満足気に微笑んでいた。
「アレン隊長から貴女に詫びて欲しいと言伝がありましてよ」
ぶほっと水を吹き出しシーツにぶちまけた。キャリーの表情が一瞬で曇った。
「げほっ……何故アレン隊長が……?」
その言葉で彼女は肩をすくめた。
「有無を言わさず兵舎へ連行し尋問した後、魔導師長との見苦しい争いを見せられたことで卒倒してしまったのでしょう?お気の毒様。でも彼もとても後悔していたみたいよ」
さすがアレン隊長。気遣いが他のキャラとは一線を画していた。神エル夢女界隈でダントツ人気は伊達じゃない。
「ま、まあ驚いたのは確かですけど、そんなに気に病んで頂かなくても大丈夫です」
怖くて倒れた訳ではなく、持病が発症しただけなのだ。むしろ私は今、「公式ルシアレ口論を生で浴びた人間」として歴史に名を刻みたい気持ちでいっぱいだった。キャリーは眠そうな目で私を見ていたが、椅子から立ち上がって大きく伸びをした。
「じゃあ、大丈夫ならお戻りくださいな。もう夕方だから、お店の人が心配してるわよ」
ハッとして時計を探すが、そんなものこの世界にはない。窓の外では陽が陰り始めていた。キャリーはさっさと私を追い出して伸び伸び仕事をサボりたいんだろう。ゲームでは突然医務室に押しかけると、気持ちよさそうにうたた寝しているキャリーちゃんの姿が見れて萌えるとファンの間で話題だ。
医務室を後にして私は街へ戻り、宿屋に帰ってきた。そっと入り口から覗くと、店主のカロッツァがいて私に気づく。
「あらあんた!お帰り!遅かったねぇどうかしたの?」
こんな時間まで何をしていたんだとお叱りを受ける訳でもなく、カロッツァは私の安否を心配してくれた。ほっとする様な、仕事をサボって申し訳ない様な気持ちでいっぱいになる。前の世界でも、こんな風に労われたかったな…と胸がじんわり暖かくなった。




