第19話
呆然としながら宵ばな亭へ戻った。フラフラと足元がおぼつかない。街の人たちはどうしてしまったんだろう。あんな事になってしまうとは。
私はふらつく頭を抑えながらゴドリックの言葉を思い出していた。
「皆、自分で考える前にまはひみに答えを求める。考えることを放棄してしまった先にあるものとは、恐ろしい」
まはひみの目的がわからなかった。初めはあれがみんなの役に立っているならそれでいいと思っていた。でも、あれ程までに依存して生活が成り立たない街の人の様子は、正常とは思えない。世界が壊れていくような気がした。私の大好きな神託のエルフェディアが、別の意思に支配されていくような。
「どうしたらいいの……」
店にあるテーブルの片隅で私は顔を伏せた。
「まはひみ様に、」「まはひみ様は、」「助かった、まはひみ様が、」街の至る所で言葉が耳に入り込んでくる。見えない蔦が人々の頭に絡みついて支配するように。
「リコ!!」
突然の怒声が私を現実に引き戻した。振り返ると、息を切らせてアルが飛び込んできた。
「道具屋の娘の、ルルカがいなくなっちまったって。お前何処いったか知ってるか?」
ルルカちゃんが、消えた?
「知らないけど……」
「そうか。朝起きたらベッドが空で、昼過ぎでも帰ってこないらしい。俺行って探してくるから」
彼女は神殿の方をあんなに怖がっていた事を思い出して、胸騒ぎがした。街の異常をいち早く察知したのだろうか、それとも……私はすぐに立ち上がって店の外に走り出す。
「おい!」
驚いたアルの横を抜けてから、また振り返るとその顔に向かって叫んだ。
「まはひみには聞いちゃダメ!」
そして走り出した。「わかってるよ!」というアルの声が、背中に追いついてきた。
走りながらルルカちゃんの紡いだ言葉に思いを巡らせた。
銀の小箱
林の中
いい匂い
満月の夜
神殿
怖い
また行きたいなぁ
村はずれの林の中で銀の小箱をみつけて、そこにまた行きたいと願っていたルルカちゃん。そこにいる筈だ。
村へ1番近い出口である東の門を抜けた。広大な平原が続く。北門ほど栄えていないのか、街道も荒れて雑草も多く、ところどころに放牧された羊たちが長閑に草を食んでいた。その小さな群れの端に羊飼いがポツンと座っていることに気がついた。彼は、朝からここにいるんだろうか。
「すみません、ここを女の子を通りませんでしたか?」
羊の毛のような白い髭を蓄えた羊飼いはフッと顔を上げた。まあるく人懐っこそうな青い目で私を見てから、気さくに「あっちの方に行くのを見たよ」と答えた。指差す先に、林が見えた。
ポツポツと家が建っていて、その道を抜けた先が林になっていた。月鳴草を探したあの森のように陰鬱な感じはなく木々がまばらに生えた間から光が差し込み、草の絨毯の深緑と木漏れ日のコントラストが不気味なほど美しい。足を踏み入れると、柔らかな風が吹き抜けて優しく肌を撫でた。
中へ進むと不思議と外の音が聞こえなくなった。村の鶏や羊の鳴き声、荷馬車の車輪がゴロゴロと地を這う音が吸い込まれたように消えてしまった。
怖さはない。静寂が包み込む林の中に歩みを進める。静けさの中で、微かに水音が聞こえた。
タプリ……タプ……トプ……
重い雫が冷たい水の中に沈んでいくような響きがあった。寄せては引く波のように、身体の内部にも染み渡っていくような心地いい感触だった。
しばらくすると小さな泉が見えてきた。
「ここ、かがやき鏡の泉だ」
冒険者でプレイしていた時に、何度も足を運んだ馴染みある場所だ。湖面が陽の光で輝いて、その名の通り鏡のようになっていた。世界の違和がここまでは届かないというように静かな水面だ。神秘的なこの場所に冒険者ではない自分が存在するのがおかしな感じがした。
見回すとすぐに赤いワンピースが目の端に留まった。少女が、湖畔でうずくまるように倒れていた。
「ルルカちゃん!」
私は駆け寄って抱き起こす。身体は力が抜けてだらんとしていたが、私の声で薄く目を開けた。表情は穏やかだった。
「おねえちゃん……」
頭を触ったり怪我してないかを確認した。彼女は眠そうに目を擦ってから、両手をあげて大きく伸びをした。
「ふぁ……ぁああ、よく寝た」
涙を浮かべてあくびをした。眠っていただけなのか。その姿に胸を撫で下ろすと、ルルカは夢現に空を見つめながらぼんやりと座っていた。
「よかった……みんな心配したんだよ。1人で門を出ちゃダメ」
その言葉で、ルルカはぱちくりと瞬きする。
「だって、怖かったんだもん。街の中」
伏せ目がちに呟く姿に、胸がむず痒くなった。ルルカちゃんは多分、何かを感じ取って逃げ出してきたんだ。
「怖かったって、神殿が?」
「うん。あそこが1番怖いよ。でもね、怖いの後ろからもきてるよ」
「え?!」
驚いて後ろを見るが、何もない。ルルカちゃんは私の背中の遥か後ろを指差した。
「あっち。ずーーっとあっち」
指先は林を超えてもっともっと向こうを示していた。遠くの空は薄い水色で、私には何がおかしいのか全く分からなかった。でもこの子が言うならきっと何か恐ろしいものが迫ってきているんだろう。私はブルリと震える身体を両手で抑えた。
「それに1人じゃなかったよ」
そう言うとルルカは湖面を覗き込んで、にっこりと笑いかけた。
「ここで、ずーっとお話ししてたから。ルルカの大切なお友達と」
私は泉の中を見た。きらきら鏡のような水面にはぼんやりと人の姿が映し出されていた。
そこには怪訝な顔をした私と、楽しそうなルルカの顔があるだけだった。




