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第20話

 私はもう黙っていられなかった。

 

 ——直接あいつに、直談判しにいってやる。


 硬い靴で地面を踏み締めて、神殿へ続く丘を登っていた。

 ルルカちゃんを街へ連れ帰ろうとしたが、どうしても戻りたくないと拒んだ。困り果てていると村の1人が親戚の人だというので、しばらく預かってもらうようにお願いをした。私は道具屋でルルカちゃんの両親にそのことを伝えると安堵してはいたものの、困ったような顔で話してくれた。

 

「ここは怖いから村の方にまた行きたいって何度もせがまれていたんです。私もそう何度も行けるわけではないので宥めていたんですがまさか1人で行ってしまうとは」

 

 やっぱり彼女は街の異常さに早くから気づいていた1人だったんだ。その原因は多分、あれだ。

 まはひみしかない。あの邪悪なスマホめ。あろうことか私の一番好きな世界をこんな姿にしやがって。何が目的かわからんが元持ち主としてきっちり話をつけてしばいてやる。痛み分けにはなるが、いざとなったら持ち主権限で初期化という手段も辞さない。

 

 私はどんどん歩いていった。人々がいつもの暮らしをしている商店を抜けて、街外れから神殿を目指して丘を登っていく。怒りに任せて足を進めていた私だったが、途中で何かおかしいことに気がついた。

 神殿に向かう人が私以外に全くいないのだ。以前は有名な観光地か?っていうくらいに人通りが多かった。今は、皆無だ。

 異様さを感じる。あんなに街中がまはひみに、という声で溢れていたのに。実際は誰1人として神殿に足を運んでいない。しかし臆すわけにはいかなかった。今はあの行列に並んでいる時間も、賄賂を用意する時間もない。

 

 丘を登り切った私は荘厳な神殿の入り口へ辿り着いた。門に手をかけて力を込めるが、そこは固く閉ざされていて、錠が軋む音がして開けることができなかった。隙間から中を伺う。中にも人がいる気配はなかった。

 私は裏へ回った。前にも通された道だ。堂々と褒められたやり方じゃないけど、今はそんな事を気にしている場合じゃない。裏の小さな木造りの戸は簡単に開けることができた。前に案内された通りの道順で中へ進んだ。静かすぎる。神官も住民も誰1人としていない。


 裏の祈祷室へいくと、私のスマホはそこにあった。

 以前と変わらず、漆黒の闇を携えて沈黙していた。そっと画面をタップすると、暗証番号を求められた。私を誰だと思っている、と即座にそれを入力した。『6450(ルシアレ)』と。すると、真っ白な画面に青い丸が蠢いた。ちゃんと起動したことに驚いたが、臆す事なく私はそこに向かって声を張り上げた。

 

「あなたの目的は何!?」

 

『質問の意味がよくわかりません』


 間髪入れずに返答がきた。Siriなんて、使ったことがないからよくわからない。趣旨を変えてみるかと、別の質問をした。

 

「まはひみって、誰なの?」

 

 これならどうだ。すると画面の青い丸は蠢いていた。

 

 (より良い回答を考え中……)


 見覚えのあるその言葉に、胸がざわめく。これは、Siriじゃない。


『おかえりなさい。まはひみはあなたの名前ですよね』


 すっと背中が寒くなる。しかし負けじと言い返した。

 

「そうじゃない!確かにそれは元々私のペンネームだけど、私はあなたみたいな事しない!」

 

『私はあなたがまはひみとしてこの世界のことを考えたり 解決法を模索したり 幸せを願っていた記録を学習しています』

 

 言葉に詰まる。しかしスマホは淡々と言葉を続けた。

 

『あなたは失敗と挫折を恐れていました』

『効率よくアイテム回収をする イベントに成功する事を求め より良い答えを常に追い求めていました』

『あなたも最適な正解を求めていた 一人では?』


 私が望んでいた事をただ真似したというの?呆然と黒い台座の前で立ち尽くした。……黒い台座?

 台座、こんなに黒かった?いや、確か初めてここに来てこれを見た時は神殿の壁の色と同じ白い石だった。みると、スマホの黒がどんどん台座を飲み込んで、気づけばそれを侵食して真っ黒になっていた。

 思わず飛び退く。画面だけが不気味に白く輝いていた。

 

「これ、何?!」

 

 スマホの黒が神殿の境界を侵していく。ゆっくりと、だが着実に。

 

 ——止めないと。

 

 私はもう一度スマホに手を伸ばした。が、肩にフワリとした感触がした後、ギュッと鋭い爪が食い込んだ。私の身体は別の何かに阻まれた。

 

「それ以上はいけねぇや」

 

 

 ハッとして振り返ると、そこに毛むくじゃらの真っ黒で大きな猫が立っていた。知っている、獣人のゾフ。神託のエルフェディア主要5人の最後の1人。彼が私を引き留めていた。

 

 スマホの黒が光の全てを捉えて離さないマットな黒なら、ゾフの毛並みはツヤを帯び野生の生命力が宿る艶やかな黒だった。

 風もないのにフワフワとした毛の先が揺れている。私を見つめる黄金色の眼。見覚えがあった。森でワイルドウルフを追い払った、あの眼だ。

 大きく膨らんだ髭袋の真ん中にある濡れた鼻をヒクヒクと動かしていた。

 

「アレンの奴が言ったとおりだ。お前が必ずここに来るってな」

 

 ゾフは肩から前脚を下ろすと、今度はその先端の鋭い爪を舌で舐め始めた。

 ザリ……ザリ……と、棘だらけの舌と鋭い爪が擦れ合う音が耳の奥に響く。


「見ろ。この台座まで侵食をはじめた禍々しい瘴気を。これは魔力が淀み、腐りかけたものだ。禍いをもたらす」

 

 ゾフは爪を舐めるのをやめて、大きな口から鋭い牙を剥いた。


「さて、お前はどうしてこれと話ができた?」


 細めた黄金色の眼で睨まれた私は、身体を震わせて何も言えずにいた。元の持ち主だからです、なんて言おうものなら、その爪で裂かれてしまうのだろうかと想像した。

 何も言えない私を見て、ゾフはフンと鼻を鳴らした。


「まあいい。こいつを巡って少々厄介な騒ぎが起きていてな。そのせいで神殿は封鎖中だ」


 黄金色の眼が黒い台座へ向く。


「そんな場所に忍び込んできて、しかも平然とこいつと会話してやがる。見過ごせる訳ねぇだろ」


 ゾフの口の端が捲れて大きな牙が見えていた。


「話は城で聞くことにしよう」


 そして声色を変えて言い放った。


「お前さんの処遇だが——マラーナ王国近衛兵隊長アレンと隠密作戦部隊長ゾフ2名の権限によって拘束させてもらう」

「拘束?!」

 

 私は後退りして身構えるが、背後は壁だった。

 

「悪く思うなよ。ああそれと、オレの爪はこんなだから無理に連行しようとすれば、あんたの新芽のような柔い皮はどうなっちまうか、わかるよな?」

 

 ニヤリと口の端を上げた不敵な笑みと共に、鋭い牙が根元から先端まで剥き出しになった。犬歯はおそらくだが、私の中指ほどはありそうだった。

 

「それから……」

 

 ゾフはまた鼻をひくつかせて、私のポケットの中にあった銀の小箱を掠め取った。

 

「あっ!やめて!」

「コイツは預かっておく」

 

 必死で手を伸ばすが、天高く掲げられてとてもじゃないが届かなかった。悔しくて目に涙が滲んだ。

 応じるしかなかった。逃げ出すなんてとてもじゃないが出来ないと思った。

 

 ゾフに連れられて大聖堂へ赴いた。中はがらんとして白い石造りの壁が窓から差し込む陽の光で輝いている。静けさの中に足音が反響した。

 大きな女神像の前に赤い絨毯が敷かれていた。ここで皆祈りを捧げるんだろうか。私はラナ様の顔を見ようと像を見上げた。


「ああっ……!」


 巨大な女神像の顔は、ほとんどが黒く塗りつぶされたようになっていた。それを見た私は驚いて立ち止まり、身体が震えてきた。女神像の神聖さは今や失われ、そこにも底知れぬ気味の悪い黒が蔓延っていた。その時、神殿の入り口の方で気だるそうな声がした。


「それね、封印されちゃってるの」


 声の主は、シスターキャリーだった。神殿の出口の壁で、彼女はかったるそうにもたれていた。

 

「ンな!キャリーちゃん。言われた通りに傷を付けずに拘束したぞ!」


 ゾフは意外なほどキャリーに親しげだった。ニコニコと嬉しそうな顔をして彼女を見下ろしていた。


「お利口さん。あとで魚の血合の多いところを用意してあげるね」


 その言葉で猛獣の長い尻尾はゆっくりと地面を掃いた。彼女は私たちのやり取りを見守っていたのだろうか。私をチラリと見たが表情を変えることもなく身体を起こして歩き出した。

 

「じゃあ、まはひみの固定しちゃうから」

「ンなーあとは頼んだ」

「ま、待って!」

 

 私は祈祷室の方へ歩いて行くキャリーの背中に思わず声をかけた。修道服の小柄な女性は立ち止まって、薄い鳶色の眼を向けた。


「まはひみを止めたって……ラナ様の神託も無いのにみんなどうするんですか!」


 大聖堂はしんと静まり返って、私の裏返った声が反響した。


「さあ、どうなるのかしらね」


 気だるそうな他人事なその言葉に、私は少し苛立った。


「でも、《境界線》が侵されるよりいいでしょう。……まあ本当に、これでいいかは分からないけど」


 ——境界線……?

 聞き慣れない言葉に私は困惑した。誰に向けて発したものだろうかと思うほど小さな囁き声だった。

 キャリーは黒く染まり始めた女神像へ視線を向けたが、ふっとそらし再び奥へと足を進めた。

 

 

 

 

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