第17話
皮袋に入れられた月鳴草は、紛れもなく私たちが摘んできたものだった。少し水分を失ってしなっとしているが枯れてはいない。白い輝きを放っていた。イカーナはそれを指先で摘んで、小さなルーペを覗き込んでいた。
「月鳴草は……摘んで5分ほどで茶色く枯れてしまうはずです。それがこんなに長い時間効力を失っていない」
私はアルに目配せをすると、彼は小さく首を振った。「銀の小箱のことは言うな」というように。
「これをどこで手に入れたんですか?」
「えっと、森のお……」
「森の入り口のところに落ちてたんだよ。この袋に入っててさ。見たことない花だったから珍しいと思って売ったんだ。いい金になったよ」
アルは私がいう前に捲し立てて言った。杖で打たれた右頬は赤く腫れて痛々しい。冷たい水に浸した布を当てていた。イカーナは「はぁー」と気の抜けた返事をしていた。
「これは月の光がよく差し込む洞窟の奥なんかに生えてることが多いんです。治癒能力が高いので重宝されますが、すぐ枯れてしまうのが難点です。ですが恐らく魔力で固定されていますね」
ムムム、と顎に手を当ててイカーナは教えてくれた。魔力で固定、という言葉で私はあの銀の不思議小箱を思い出していた。
「恐らくは魔導師が摘んで固定したものを落としていったんでしょうかねぇ。うっかりさんですねぇ」
軽く笑い飛ばすのを尻目に私たちは沈んだ表情をしていた。魔導師でもないのに月鳴草を固定して売ってしまったやらかしが、うっかりで済まないようなそんな予感がしていた。
◇ ◇ ◇
次の日の朝早く、私はアルと森までの街道を一緒に歩いていた。仕込みが始まる前に言われた通り月鳴草を元に戻して、ついでに落としたままの短剣も拾ってこようという話だった。歩きながらアルはぶつぶつと文句を垂れていた。
「薬草なんかを扱う店に出入りしてる知り合いがいてさ、そいつに聞いたら月鳴草が持ち込まれること自体は珍しいことじゃないって。じゃあなんで俺殴られなきゃいけなかったんだよ」
私はそんな彼を宥めたが、珍しくないことだけが理由でないことをなんとなく感じ取っていた。そして売ればいい金になるなんていってアルを巻き込んで酷い目に遭わせてしまったことを後悔していた。
相変わらずだが街から離れるにつれて人はまばらになっていく。代わりに濃緑が繁る森が見えてきて、次第に霧が深くなっていた。その入り口には人がいた。
フードで顔は隠れていた。しかし片足が義足で杖を持ち、身体を支えているその姿は紛れもなく昨日私たちの前に現れたあの老人だった。
アルは咄嗟にポケットに手を入れていた。彼の武器は、コショウ玉だろうか。昨日の出来事で警戒心が高まり身構えた。しかし老人は私たちを見てから背を向けて、杖を突きながら森の奥へ歩いていった。私たちは顔を見合わせたが、意を決してついていった。
ゴツゴツとした石に義足と杖が当たる音が鈍く響いた。ゆっくりとした足並みの老人に合わせて私たちは歩幅を狭めて歩いていた。
「……お前たちにはわからんだろう。あれだけの量の月鳴草を魔力固定するには、宮廷魔導師三人分は必要だ」
獣の唸りに似た嗄れ声だった。以前と違って森の中は霧が立ち込めていて、異様な雰囲気に様変わりしていた。
「まさか、あの忌まわしい術がまだ残っているとは……いやはや」
寒気を感じてブルリと震えた。湿った冷たい風が肌をザワザワと撫でるように流れていた。私たちが向かう方向から、流れてきているようだった。
まっすぐ道を進んでいくと、あの洞窟が見えてきた。気味の悪い冷たい風は、洞窟から流れ出していた。ただのチュートリアル地点だった筈が、最終盤ボスのいそうなおどろおどろしさに変化していた。
「ここ……こんなでしたっけ?」
私が聞くと、老人は洞窟の前で立ち止まった。
「お主らが一度に沢山の月鳴草を抜いてしまったせいで、ここの魔力の循環が崩れてしまった」
私は目を伏せて、皮袋をギュッと握った。
「中に入って、しっかりその目で見てくるが良い」
素肌が粟立ち、鳥肌が収まらなかった。ここに足を踏み入れるのは、竜の巣に立ち向かうかの様に恐ろしかった。




