6 返答
俺は、すぐにも立てるように緊張させていた体から、力を抜いた。胡坐をかいて、ゆったりと座る。腰を据えて彼女と話そうという気になっていた。
「この地で言う妻とは、婚姻関係を結び、子孫をもうける関係にある女性のことだろうか」
母星では、そういった習俗はない。子孫は提供された精子と卵子から、能力をデザインして受精卵とされ、人工子宮で育てられる。生まれた後も、集団で養育専門の者に育てられる。
より良い社会を支えるために俺たちは生み出され、育てられ、やがてその能力に応じた貢献を社会にしていく。それぞれが、それぞれに与えられた使命を果たすことによって、社会はより良くなっていく。そこには能力の格差も、地位の上下もない。誰もが社会の一員として等しく必要な存在だからだ。
このシステムが採用された当初は、もっと婚姻関係を結び、デザインされていない子供が生まれていたというが、世代を経るうちに性欲が小さくなり、俺の世代では聞いたことがない。俺もこれまで女性に性欲を抱いたことはないし、そもそも割り当ての仕事があり、他人とブラウザ越しでなく共に過ごす時間などなかった。……だからこそ、感染しないですんだのだ。
「ええ。そうよ。……です」
「君の話し方は、語尾が二重に付けられていることがあると思われるのだが、間違っているだろうか?」
「え? ……ええと、そう、です。……その、あまり、丁寧な言葉遣いに慣れてなくて」
「できたら簡潔に話してもらえるだろうか。翻訳機が通訳しきれず、わかりにくい」
「え? 同じ言葉を話しているのではないの?」
「違う言葉で話している。わかりにくいか?」
「ううん。ぜんぜん気づかなかった。声はあなたのものではないの?」
「音声は俺のものだ」
「そう。よかった」
彼女は、ぱっと笑った。光が弾けたみたいに。少し上目遣いになって、恥ずかしそうに言う。
「その、素敵な声、だと思ったから」
「俺は歌を歌う能力は低いが」
「ほんと? 私も同じ! 音痴なの!」
嬉しそうに笑う。オンチとはよくわからなかったが、きっと何かいいことなのだろう。
「会話が逸れた。元に戻したい。いいか?」
「はい」
彼女が神妙な顔になった。
「俺が君を妻にするには、様々な障害がある」
「はい」
「一に、俺は機械越しにしかこの地の空気を吸えないし、この地の食物も食べられない。俺はここで暮らすことができない」
「どこへでも着いていきます。連れていってください」
「俺の星に、君の居場所はない」
「あなたの横にあればいいんです」
俺の横? それは考えてみたこともない視点だった。
俺はこれから先のことを思い描いた。ここで首尾よく抗体を手に入れ、母星に戻った後のことを。
すべての人間は眠りにつき、地上は荒廃しきっているだろう。そこを整備し、人が住めるだけの環境を整え、それからコールドスリープを解除して、病の治療にあたる。どれだけの年月がかかることか。寿命いっぱいの年数を費やし、ただ一人で母星を復興しなければならない。
……それは運が良ければの話だ。コールドスリープ施設と、精子・卵子のプール施設が、設計耐用年数どおりに風雪に耐えられたら、の。
地球と母星は千五百光年離れている。この宙域はワープ航路がなく、亜光速航行しても、往復で三千年かかる。ワープ航路が確保されている宙域なら、もっと遠くでも、数日でいけることすらあるのに。ここはその意味でも辺境なのだ。……帰ったら、何もかも無に還ってしまっているかもしれないほど。
それは、一人で復興にあたるより、恐ろしい未来だった。俺は、そうしたら、どうすればいいのか。すぐに同胞に殉じるべきなのか。寿命の分だけ、鼓動を刻むべきなのか。いずれにしても、俺の果たす役割は、何一つとしてない。
けれど、そこに彼女がいるのなら。
彼女を、見る。なにかを期待する目。きらきらとして、溌溂として、……そう、生命力としか言えないものに満ちている。
これが、『オリジナル』の人間なのか、と感嘆する思いにとらわれた。俺には、……母星の人間には、こんなものは感じられない。知の女神エタが提示した、種として衰退しているという指摘が、知識としてでなく、実感として理解できた。
けれど。だからこそ。
「俺の横に、君の居場所はない」
花が咲くのは、その性質に合った土壌、気候で育った時だけだ。合わない地では、移植しても根付くことはない。まして、摘んでしまえば枯れるだけだ。
彼女が、理解しかねるというように小首を傾げる。眉が顰められ、口元が引き絞られ、やがて大粒の涙を流しだしたところでうつむいた。手で顔を覆う。
俺は、ベッドの上を移動し、彼女に近付いた。嗚咽を漏らして、涙をぬぐうことに一所懸命になっているのをいいことに、彼女に手を伸ばす。
迷った末、彼女の頭に手を置いた。彼女はびくりと体を揺らしたが、振り払われることはなかった。さわりと撫でてみる。どうしてか、そうするべきだと、……そうしてみたいと、思ったのだ。
彼女の頭が動いて、顔を上げそうな気配がした。その前に、首へと指を移動する。彼女に見つめられる前に、光学迷彩服の出力を上げて、一点に集中し電流を流す。バチッとスパーク音が響き、彼女の体が崩れ落ちた。
俺も、酷い疲労を感じてベッドに手をついた。光学迷彩服の動力源は、生体から賄っている。特に放電は、百メートルを全力疾走したのと同じ代謝となる。体力値が低い俺には、そう何度も使えない手だ。
俺は、腰に装着した小型バッグから採血セットを取り出した。ベッドを下りて彼女の傍らに膝をつき、速やかに血液を採取した。
立ち上がって、光学迷彩機能を全身に展開する。立ち去る前に、ふと彼女に目が行き、このまま放置していくのが忍びなくなって、ベッドの上の布をはいで体に掛けた。
「……蛮族は俺だな」
交換条件を出した彼女の申し出を断り、情報を引き出し、昏倒させ、利だけを奪った。
二度と会うことはないだろう。
涙の跡の残る彼女の顔を数秒眺めて、俺は開け放たれた窓から外へ出た。