第3話 月詠の矜持
お前の明日が白く透き通るなら
喜んで永遠の闇を歩もう
千の鳥のさえずりが止むその日まで
帝都郊外の丘陵地に広がる国営施設、「樹空の森公園」。
そこに隣接する形で浄界庁・執行部の第二演習場が設けられている。
少し開けた場所で、リョウガが神剣・十六夜白露を静かに構えている。首には、鈍く光る――〈霊鎖〉。
その視界を、数羽の「擬似・澱」が羽音もなくホバリングする。
鳩ほどの大きさのそれは、灰色のゼリー状の物質で鳥の形を模しており、胸元には赤いゴム状の球体――擬似の〈核〉が埋め込まれていた。
不規則な旋回で攪乱を狙う群れに対し、狂犬は大きく見開いた両眼をギョロリと動かした。
獣の直感。方向転換するリズムを、瞬時に看破する。
「そこだ!」
――銀閃。
水面を裂くような鋭い軌跡を描く白露。一羽の翼を断ち割り、返す刀で胸元の核を正確に一突き。
心臓を射抜かれた鳥は一度は地面に落ちるが、すぐさま新たな羽を伸ばし再び宙へ舞い上がる。再生能力は本物の澱さながらだ。
だが、彼の口元に浮かぶのは、かすかな笑み。文様を描くような美しい剣筋で、次々に敵を墜としていく。
やがて、執拗に急所を突かれ続けたカラクリたちは、ゼンマイが切れたように地面へ転がった。
「おーい。また壊れちまったみてえだぞ」
肩に剣を担ぎ、向こう側に陣取る研究員たちへ声をかける。
「主任……勘弁してください。これ一体に、いくらかかってると思ってるんですか。これじゃ予算がいくらあっても足りません」
頭を抱える研究員たちの傍らで、「主任」と呼ばれた青年が静かに歩み出た。
ハクだ。
「仕方ありませんね。僕が直接やりましょう」
整った前髪を人差し指で弾き、そのまま眉間に柔らかく当てる。
凍りつく、空気。
放たれた霊力が、伏していた擬似体たちに注ぎ込まれる。
鼓動するように核が弾力を取り戻し、高価な鳥たちは再び羽ばたき始めた。その速度は先程までの比ではない。
「おっ、いいね! そう来なくっちゃ!」
白い歯を見せた瞬間、一羽のクチバシがわずかに開いた。
シュッという鋭い音。灰色のゼリー弾が、水鉄砲のようにリョウガの頬をかすめる。
「なッ――!? 飛び道具ありかよ! 聞いてねえぞ!」
「貴方は敵がわざわざ、手の内をペラペラと喋ってくれるとでも思っているのですか?」
涼しい顔で淡々と応えるハク。
主人の挑発に応じるように、カラクリたちは四方八方から弾を射出し始めた。
やむことのない連射に、さしものリョウガも防戦一方。
「てめえっ、はっ、嫌味しかっ、言えねえ、のかよッ!」
左右から交互に放たれる弾丸を、小躍りするように回避。
反撃の機を窺い踏み込もうとした――刹那。
「そのぐらいでやめておけ、ハク」
訓練場に響き渡る、凛とした声。
その一喝に反応するように、鳥人形たちは糸が切れたように地面へ落下した。
眉間から指を下ろしたハクに歩み寄るのは、漆黒の隊服をまとった〈月詠〉の長、シオン。
「訓練なら別の方法でやれ。霊力を無闇に消費するんじゃない」
「申し訳ありません。ですが、このぐらいでないと彼の訓練になりません」
ハクが視線を向けると、研究員たちは「面目ない」と言わんばかりに一斉に頭を下げた。
シオンの足元に転がる、ガラクタと化した擬似・澱。
「……少し検討の余地があるな。技術開発部の予算申請については、私が便宜を図っておこう」
「恐れ入ります」
丁寧に一礼し、ふと思い出したように続ける。
「彼も随分とこの環境に慣れてきました。次の任務は護衛部隊なしでも問題ないと考えています」
それを聞くや否や、リョウガが鼻を鳴らした。
「そーだそーだ。俺一人で行かせろ」
彼を射抜く、シオンの鋭い眼光。眼帯のない右目に宿る威圧感に、二の句が継げない。
シオンは「圧」を保ったまま、ハクに問いかけた。
「二人きりとなれば、お前は常に奴に神経を尖らせていなければならなくなる。お前の負担が大きすぎるのではないか?」
「ふ……二人!? なんでこいつとセットで行かなきゃならねえんだよ!」
喚き散らす野良犬に対し、ハクは冷淡な一瞥をくれた。
「当たり前でしょう。貴方は囚人なのですよ。管理者が同伴するのは当然です」
不貞腐れてそっぽを向く狂犬。
ハクは流れるような動作で十六夜白露をリョウガの腰から鞘ごと引き抜いた。
口をへの字に曲げながらも、大人しくそれに応じて体をくねらせる。訓練後のルーティン、白露のメンテナンスだ。
その場に片膝をついたハクが懐から取り出したのは、清浄な懐紙。まるで持ち主の存在を忘れたかのように、黙々と白露の刀身を拭う。
シオンはハクの様子を暫く眺めると、彼の耳元で囁くように背中を丸めた。
「本当に大丈夫なのか? 記録では、こいつは自分の属していた盗賊団を、一夜で皆殺しにした男だぞ」
一瞬だけ止まる、ハクの指。
「承知しています。ですが、正直なところ少し意外に思っているのです。僕どころか、他の隊員にも危害を加える様子がありません。仲間を惨殺した男とは、とても……」
「わからんぞ。そうやって油断させて、隙を見て襲うつもりかもしれん。霊鎖のコントロールは決して緩めるな。いいな」
「わかっています」
シオンは無意識に彼の肩に手を置き、隊服の襟元を整えた。まるで、幼子の世話を焼く母親のように――。
「私がお前の代わりに、同行してもいいのだが」
「隊長がわざわざ出向くような任務ではありませんよ」
「しかし、万が一ということも……」
呆れたようにふっと息を吐き、少し鬱陶しそうにシオンから体を離すハク。
そして、自らの腰に差した愛刀――月詠隊員の証でもある〈叢雲〉の柄を、細い指先でトントンと叩いてみせた。
瞬間、氷の無表情が花の蕾のように柔らかく綻ぶ。
「心配しすぎですよ。僕だって『月詠』の一員なんですよ……ね、兄さん」
「にっ、兄さん!?」
リョウガが思わず目を剥く。
ほんのりと朱色に染まる、ハクの耳たぶ。リョウガに素の姿を露呈したと悟り、振り払うようにそそくさと道具を片付け始めた。
「あとの点検は研究室で行います――失礼します」
早足で去っていく背中。呆気にとられて見送るリョウガ。
(能面野郎も、兄貴の前じゃあんな顔するのか……)
毒気を抜かれていると、隣から「フン」と不満げな鼻息が聞こえた。シオンだ。
「いつまで見惚れている。ついてこい。見せたいものがある」
訓練施設の建物を後にし、なだらかな丘を登りきる。フェンスの向こう側に広がるのは公園の芝生広場だ。
シートを広げて食事を楽しむ家族連れ。子犬にせがまれるように歩く老夫婦。
柔らかな日差しと穏やかに揺れる木々が、彼らをのんびりと見守っている。
逆方向に首を回すと、月詠の隊員たちが演習を行っていた。手には月詠専用の兵装、叢雲。
「おい、ありゃあ……」
リョウガは不快そうに目を細める。
喉の奥に込み上げてくるのは、苦い胃液。奥歯を噛み締めて強引に飲み下す。
整然と円陣を組む面々。一斉に抜かれた叢雲の切っ先が、虚空の一点へと集中する。
耳鳴りのような高音。鉄が焼けるような、鼻を突く匂い。
空中に編み上げられていくのは、緻密で巨大な幾何学模様。
あの夜、闇の中で自分を地に這わせ自由を奪った、あの忌々しい術式そのものだ。
衝動的に、霊鎖の隙間に指をねじ込み皮膚を抉る。赤茶色い線がミミズ腫れとなってヒリヒリと浮き上がった。
「ハクが開発した拘束術、『銀鎖円環』だ。本来は澱を封じるためのものだが、貴様を捕らえるためにわざわざ対人用に応用したのだ。ありがたく思うんだな」
シオンの唇が、出来のいい息子を自慢する父親のように弧を描く。
「叢雲は澱を斬ることが可能だ。まずは弱体化させ、その上でこの術で拘束するというのが月詠のやり方だ」
「じゃあなんで十六夜白露なんか作ったんだよ。そこまでやれるなら、いらねえだろ」
言葉を吐き捨て、これ見よがしに顔を背けるが、シオンはそのまま続けた。
「貴様も実際に見ただろうが、澱は核を破壊しない限り再生する。成熟した個体だと、弱体化もままならん」
立ち止まり、リョウガの方に向き直る。そしておもむろに左目の黒布へ手を伸ばした。
「その場合は、我が一族に伝わる秘術、〈千鳥〉を用いる。これなら強力な個体にも対応できる。だが、この術には代償が伴う」
わずかにずらされる、眼帯。
思わずリョウガはゴクリと唾を飲み込んだ。
「その目……」
光を一切反射しない、くすんだ翡翠のような眼球。開いた瞳孔の奥には、未完成の金細工のような、おぼろげな紋様。
「ハクには絶対に千鳥を使わせん。私と同じ目に遭わせてたまるものか。覚醒したのはつい最近のことだ。まだ踏みとどまらせることが出来る」
兄弟愛、と言えば聞こえはいいが、そこには執念に近い重苦しい温度が宿っていた。
「あいつが光を失うくらいなら、私はこの右目も、命も、喜んで差し出す」
「へっ、過保護なこった」
無意識に噛む下唇。鉄錆のような血の味を舌先で転がしながら、暗い思考に沈む。
(あいつ、兄貴がこれ以上壊れねえように、記憶を喰う刀なんてモンを作りやがったのか……)
シオンは眼帯を戻し、剥き出しの殺気をぶつけてきた。
「いいか、狂犬。ハクに千鳥を使わせるな。弟に万が一のことがあったら、貴様の頭は胴体と永遠に別れることになると思え」
殺意は、本物だった。
警告ではない。
確定された、死の宣告。
(つまり、俺はあいつの目の「身代わり」……だから俺みたいなお尋ね者に白羽の矢が立ったってわけか)
乾いた笑いを肺から吐き出す。
腫れた首筋に、揺れる霊鎖。これまで以上に冷たく締め付けてくる。
「ハハッ、笑えるな。狂ってやがる」
まだ空気が少し冷たい、浅い春。朝露を吸い込んだ若葉の香りが、風に乗って鼻腔をくすぐる。
柔らかい日差しが満ちる芝生では、色とりどりのビー玉のごとく、子供たちが駆け回っていた。
一族の使命。
兄弟の歪な愛。
そして、奪われた光。
この眩しすぎる風景の裏側にある帝都の闇。そのゆがんだ歯車に、自分も組み込まれている。
苦虫を噛み潰したような顔で、リョウガはそれを味わっていた。




