第13話 昏い翼の洗礼
酷暑を逃れた昏闇の先で
手放すものは 記憶か 光か
引き返す道など 疾うに断ち切った
観光地として名高い、国立公園内の日不見鍾乳洞。
本来なら避暑に訪れる行楽客で賑わうはずのその場所は、澱の発生報告を受けて公園ごと封鎖されていた。
鍾乳洞に続く道を、月詠の壱番隊、そして応援として駆けつけたハクとリョウガが進んでいく。
彼らの足元を、アスファルトから立ち上る陽炎が揺らしていた。
「暑すぎだろ、これ」
袖に腕を通したまま、隊服を肩からずり落とすリョウガ。首元をパタパタと掌で扇ぐ彼に、ハクが冷ややかな視線を向けた。
「リョウガ、だらしないですよ。ちゃんと着て下さい。今日は壱番隊も一緒なんですから」
「堅い事言うなよ、暑いもんは暑いんだよ」
深い谷底を流れる清流に沿って坂を降りる。下った先には『鍾乳洞入口こちら』と書かれた原色使いの巨大な看板が掲げられており、チケット売り場に続く下り階段が見えた。
道沿いには土産物店や休憩所が軒を連ねている――が、全てシャッターを下ろしており、色褪せたビニール屋根が艶を失った光を反射させていた。
看板の裏から、一人の影がこちらへ駆け寄ってくる。
「望月ミナト、ただいま戻りました。お疲れ様です!」
軽薄なほど明るい声を上げたのは、先行して偵察に出ていたミナトだ。
壱番隊隊長のナナセが、わずかに眉をひそめて迎える。
「斥候ご苦労――で、中の様子はどうだ」
ミナトはそこでピタリと足を止めると、お手上げと言わんばかりに肩をすくめた。
「いやぁ、ダメですね。ものすごい数のコウモリに占拠されてて、とても中には入れません」
「澱なのか?」
「いいえ。全部、本物です」
その言葉を聞いて、ハクが割って入ってくる。
「『ものすごい数』と言っても、天井に張り付いているだけではないんですか?」
「いやいや、めちゃくちゃ襲ってきましたよ」
「襲ってきた? 真昼間ですよ」
ハクは前髪を指で弾き、疑念の目を向けた。
「ミナト君……君が彼らを刺激したんじゃないですか?」
「ひっどっ! 斥候の俺がそんな素人みたいなことすると思います? そーっと、慎重に入りましたよ」
心外だと言わんばかりに両手を広げるミナトに、ナナセが業を煮やしたように口を挟む。
「どういうことだ、久遠寺」
「本来、コウモリは昼間は極めておとなしい生き物です。鍾乳洞に侵入した人間を攻撃するなど、通常では考えられません」
口元に指を当て、淡々と分析を述べる。それを受けて、ナナセの眼光がみるみる鋭くなっていく。
「お前、大袈裟に言って――」
「違いますって! 数千匹はいましたよ。嘘だと思うなら、自分の目で確かめてくれば良いじゃないですか」
ミナトの挑発的な言葉に、すぐ隣で黙って聞いていたリョウガが愛刀・十六夜白露をカチャリと鳴らした。
「中に入るってなら、俺も行くぜ。涼しいんだろ?」
「よし、行ってみるか!」
リョウガに背中を押され、ナナセが息巻いて歩き出す。
その後ろ姿を、ミナトが白い目で見送った。
「ナナセさん、シオン隊長がいないからって、伸び伸びしすぎだよ……」
傍らにいた月詠の隊員が思わず吹き出すが、ナナセは聞こえていないのか、リョウガを伴って意気揚々と階段を降りていく。
目を細めてあきれ顔になったミナトが、ボソリと独り言をこぼす。
「しーらないっと」
残された面々の頭上には、容赦ない陽の光が燦々と降り注ぐ。
売店周りの僅かな木陰へと、誰からともなくゾロゾロと移動し始める隊員たち。
店の裏には、『鮎の塩焼き』の幟が立てかけてあり、ガラス窓には『日不見のパワーストーン! 澱対策にも!』のポスターが、物寂しく貼り付いていた。
ハクは叢雲の柄から手を離し、顎から滴り落ちる汗を手の甲で拭う。
そして、改まってミナトに向きなおった。
「襲ってきた時の状況を、詳しく教えてくれませんか? どんな動きでした?」
「そうですねぇ……まるでひとつの生き物みたいに固まってた、かな」
顎に手を添えるハク。
(何者かにコントロールされているのか?)
思考の海に沈もうとした瞬間、ミナトが唐突にトーンを変えて問いかけてきた。
「ところでハク先輩。隊長、大丈夫なんですか? 入院したって聞きましたけど」
「……え?」
一瞬、思考が停止する。
これまでは「久遠寺先輩」と苗字で呼ばれていたはずだ。
不意打ちのような距離感の詰め方に、ハクは僅かに動揺を見せた。
「あ……はい、大丈夫です。念のための入院ですから。最近、兄さん――隊長は多忙が続いていましたから」
一ヶ月に一度の血液検査。霊子濃度の数値が思わしくなかった。シオンの責任感の強さは、時にその身体を蝕む毒になる。
(兄さんには、もっと『人に頼る』ということを覚えてもらわないと……)
「ほーら、帰ってきた!」
ミナトの冷ややかな声が、ハクを現実へ引き戻す。
視線の先、血相を変えて階段を駆け上がってきたのは、リョウガとナナセだ。
先ほどの威勢はどこへやら。二人の髪や隊服には、コウモリの糞尿と思しき生臭い飛沫がこびりつき、露出した顔面には鋭い爪で引き裂かれたような切り傷が。
「うわ……」
満身創痍の二人を目にして、ハクは無意識に後ずさりしていた。他の隊員たちも、かける言葉が見つからない様子で苦笑いを浮かべている。
「だから、いわんこっちゃない」
ミナトがやれやれと首を振りながら、背嚢からタオルを取り出してナナセに手渡した。
ひったくるようにそれを受け取り、屈辱に顔を歪めながら汚れを拭う。
「確かに、異常だ。尋常じゃない数で襲ってきた……すまんミナト」
隊員の一人が、慌てて隊長の頬の治療に取り掛かる。消毒液をかけられ、小さく声をあげるナナセ。
一方、リョウガは自分の醜態など全く気にする様子もなくハクに近づこうとする。ハクはさらに数歩、距離を取って尋ねた。
「……それで、澱の気配は?」
「ねえな。本物のコウモリだ。涼むどころじゃねえわ」
ナナセは手当を受けながら、髪についた異物を払い落とす。
「だが、統率が取れているように感じた。明確な意思を感じる攻撃だ」
ハクが再び黙考に入る。
(第一報の目撃証言は『大型のコウモリ』――澱が実在のコウモリを操っているのか?)
ハクの瞳に、静かな決意の灯が宿る。
「わかりました。僕も行ってみます」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、ハク先輩!」
ミナトが慌てて両手を広げ、進路を塞いだ。
「ダメですって。先輩までウンコまみれになっちゃいますよ」
「そういう君は、洞窟に入ったのに無傷じゃないですか」
「それは、俺がうまいこと逃げ回ったからですよ」
したり顔で口角を上げ、ニヤリと笑ってみせる。
「なら――」
ハクは前髪を指先で弄り、ミナトをまっすぐに見据えた。
「僕もうまいことやります――が、その前に、試してみたいことがあります」
ハクのよどみない返しに、ミナトは一瞬呆気に取られた後、フフンと鼻を鳴らした。
その表情には、どこか年相応の少年のような、楽しげな色が混じっていた。




