第12話 葬送の残響
スバルが死んだ。
葬儀は行われなかった。
久遠寺家の、しかも「千鳥」の保有者が亡くなるということは、澱討伐の要を失うことと同義。国民が動揺する。
そう判断した浄界庁は、スバルの死を厳重な極秘扱いとした。英雄の死は、公に悼むことさえ許されない。彼の名は、霧の向こうへと消し去られたのだ。
遺体が自宅に戻ったと聞いたとき、父や兄に強く止められたが、制止を振り切ってスバルの家へと駆けつけた。
スバルの母親――マスミ叔母さんの姿は、そこにはなかった。
変わり果てた息子の姿を目にした瞬間に卒倒し、そのまま病院に運ばれたという。それきり、彼女の消息を耳にすることは二度となかった。
畳の広間の真ん中で、彼は白い柩に収められていた。
月詠の隊服を正しく着せられ、静かに横たわっていたが――。
頭部がなかった。
敵と交戦中に崖から転落。その後の捜索で発見されたときには、既に首から上が失われていたという。
遺留品の中に、あの日贈ったチョーカーはなかったと聞かされた。
首から下の胴体は、胸のあたりが不自然に落ち込んでいた。鋭く突き出した鎖骨のラインが、かつての少年の面影を痛々しく物語っている。
視線を落とせば、見慣れた彼の小ぶりな指。
爪は半分以上が剥がれ、黒ずんだ肉がめり込んでいる。最期まで、必死に何かに抗い続けたのか。
スバルの足元は、端正に整えられた白い足袋に包まれていた。
震える手で冷たく硬い爪先をなぞり、かさついた布地から鞐を一つずつ外していく。静寂の中で、微かに響く小さな金属音。
日焼けしていない、白磁の肌。左足首の内側に、ぽつんと一点だけ、墨を落としたような黒子があった。
その時になってようやく、「きっと何かの間違いだ」という暗示を、自分にかけていたことに気づく。
物心ついたときから共にいた僕には、鑑定結果など必要なかった。この遺体は、間違いなくスバルだと、理解してしまった。
月詠である以上、死とは隣り合わせ。兄も、スバルも、覚悟の上で剣を握っている。
わかっていたはずだった。
わかっていた、はずなのに。
視界が歪み、涙が止まらなかった。
一生分の涙を、あの日に流し尽くしたと、今でも思う。
枯れ果てたこの目には、もう流す涙など、一滴も残っていないのだ。
同じ年、僕は技術開発コンペの特待枠として浄界庁に入庁し、技術開発部へと配属された。
入庁の目的はただ一つ。
スバルの死の真相を突き止めること。
なぜ、どうしてスバルは死ななければならなかったのか。
だが、入庁してすぐに突き当たった壁は厚かった。
スバルの案件は、高位の権限者でなければアクセスできない「禁域」の情報となっていたのだ。
技術開発部の上司に、スバルの任務記録へのアクセス許可を願い出た。返ってきたのは、困ったような苦笑い。
「久遠寺くんの気持ちはわかるけど……あれは組織長クラスじゃないと開けない案件だよ」
「そうですか……」
それでも諦めきれなかった。
ふと、兄のことを思い出す――月詠総隊長。
兄ならその権限を、持っているのではないか。
それとなく情報管理局に配属された同期に尋ねてみた。
「組織長クラスって、月詠の総隊長も含まれるのかな?」
「勿論。月詠は浄界庁の中でも特別な組織だからね。シオン隊長は組織長扱いになってるよ」
兄なら、知っている。
だが、父や兄は、頑として口を閉ざし語ろうとしない。問いかけるたびに、視線を逸らされる。
ならば、自分で暴くしかない。
深夜の執務室。
荒い息を殺しながら、緊張で湿った指先で兄の職員番号を端末に叩き込んだ。静寂の奥で、硬質な打鍵音が響く。
パスワード入力画面が明滅する。どうせ誕生日だろうと入力したが——弾かれた。
もしやと思い、自分の誕生日を打ち込む――皮肉にも、画面はあっけなく開かれた。
【事案発生地点:不知火山脈「雷鳴峡」】
村の子供が「月詠に会いたい」という理由で、『野良犬のような澱に襲われた』と虚偽の通報を行った。それに応じる形で駆けつけたのが、スバルの属する壱番隊だった。
壱番隊隊長である兄は、入院中。
前日の任務で千鳥を使用したため、血中の霊子濃度が激減。こうなると千鳥はもちろん、叢雲を振るうことも難しい。
残りの隊員五名で任務に赴いたが、現場で誤報であると判明。即時帰投を予定していた。
しかし、村人から「放牧していた牛が二頭姿を消した。探してほしい」と懇願され、当面の任務がなかったこともあり、二時間限定で捜索に付き合うことに。
生き残った隊員たちの証言が続く――。
>【捜索中止の経緯】
降雨による視界不良のため、捜索の中止を決定。その直後に、未確認の澱と遭遇。
>【敵の脅威について】
体長四メートル超。虎の姿を模した大型個体。圧倒的な威圧感があり、我々は一瞬で戦意を削がれた。
>【装備と権限の不一致】
スバル隊員が『千鳥で仕留める』と進言。しかし千鳥の使用許可権限は隊長のみにある。今回は野良犬程度の澱を想定していたため、装備も捕獲用が主であった。
>【被害の拡大と独断専行】
副隊長が判断に迷っている間に、隊員が次々と蹂躙された。一人が頭部に牙を立てられそうになった瞬間、スバル隊員が独断で千鳥を発動。
>【戦況の破綻】
しかし「檻」は完成せず、敵はスバル隊員を明確な標的と定めた。それから先は混迷を極めた。呪符を掲げ、叢雲を振るったが、大型の澱には通じない。
>【顛末】
気がついたときには、スバル隊員が虎型と共に崖下へ転落していくのが見えた。
>【救助活動】
村に戻り救援を要請したが、豪雨により捜索は難航を極めた。
証言した隊員たちの名前には、それぞれ無機質な訂正線が引かれている。注釈には、「除隊」の二文字。
怪我による後遺症とされているようだが、実際はこの事件を闇に葬るための口封じだろう。浄界庁のやりそうなことだ。
当時の月詠総隊長は引責辞任。兄以外の壱番隊は全員が姿を消し、代わりに弐番隊が繰り上がる。兄が総隊長に任命されたのは、この時で間違いない。
そして三日後の正午、遺体発見。
虎型の澱はそれきり目撃されていない。捜索は公には行われず、たった二週間で打ち切りとなった。
報告書には、『落下の衝撃により再生不能となり、核のエネルギー不足により消滅したと思われる』、と書かれていた。
そんなわけあるか。
スバルは頭部を失っている。転落が原因とは考えにくい。ならば落下後に虎型に食われたと考えるのが自然だ。
虎型も衰弱しており、エネルギー補給のためにスバルの脳を頭ごと喰らった。
僕の中では、スバルの虎は確実に存在している。消滅などしていない。
そして「国民の動揺を避ける」という聞こえの良い言葉で、虎型の公表も見送られた。
浄界庁は、「はじめから虎型など存在しなかった」とすることで事件を決着させたのだ。
災害級の澱を取り逃がし、久遠寺家の千鳥保有者を失った失態を、その存在ごと闇に葬り去った。
月詠にすべてを捧げたスバルの、命を賭けた最期の戦い。
それが、こんな形で隠蔽されていたとは。
関連するデータや連絡事項にも全て目を通したところで、画面の明かりを落とした。
はっと意識が現実へと戻ったとき、燃えるような朱色の夕焼けは、夜の影に飲み込まれていた。
(少し……浸りすぎたかな)
見上げれば、先ほどまで透き通っていた半月が、今は冷たく夜を照らしている。
棚田の水面には、「もう一つの月」が波紋ひとつ立てずに沈んでいた。
「『不知火山脈、雷鳴峡』」
独り言のように、その地名を唇に乗せる。
「……雷鳴峡」
かさついた薄い唇を噛み締め、見開かれた瞳。大きく一回だけ、瞬き。
刹那、ハクは弾かれたように動き出した。村役場の扉を叩き開け、中へなだれ込む。
迷い込んだ猪のように飛び込んできた青年に、職員たちは驚きのあまり飛び上がったが、ハクの瞳には彼らの姿など映っていない。
壁という壁を、視線でぐるりと見渡す。ある一点に焦点が合うと、脇目も振らず突き進む。
行き着いた先は、壁に貼られた古びた観光マップ。
『ようこそ、棚田の村・月見里村へ』
のどかなタッチで描かれた地図は、近隣の景勝地を長閑に紹介していた。
月見里村の東には、『帝国の霊峰・天峰山』と記載された大山が描かれている。
そこに人差し指を置く。
「『西の結界札が消失』し、東に抜けた……」
ハクの指が、まず西に向かった。
「隠水山…」
更にその先へ。幾重にも連なる山々を越えていく。
「『何かに怯えているようだった』」
ハクの指先が、獲物を追うように山脈の稜線を辿り始める。
「鏡面湖、銀嶺峠、薙刀峰……」
地図に描かれた景勝地を、一つずつ通り過ぎる。
指が止まったのは、『朽縄ヶ原』。大蛇討伐で赴いた場所だ。すぐ上には、掠れた文字が――。
『不知火山脈』
ぐいと見開かれる、ハクの瞳。
「……繋がってる」
月見里村の西へ伸びる山々。
そして、その先にある不知火山脈。
別々の場所だと思っていた情報が、地図の上で一本の稜線を描いていた。
ハクの指に、力がこもる。
点と点が、血の跡をなぞるように繋がっていく。
連峰の最果て、終着点にあたる地名に指が突き当たった瞬間——。
正面玄関の扉がハクによって勢いよく開け放たれ、役場の職員たちが顔を上げる。
だが、そこに彼の姿はもうなかった。
壁に残された地図。ハクが最後に指を突き立てた場所には、爪を押し込んだ痕跡が残っている。
そこに書いてある名は——。
『雷鳴峡』
棚田の村の地図は、隠蔽された記録と重なり、血塗られた一本の道としてそこに刻まれていた。




