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第7話満月の約束

満月の夜、屋敷の敷地内にある塔から月を見上げていたミラベルは鍛錬を続けるブレイブを見かける。

夜の帳がアルヴェイン侯爵家を優しく包み込んでいた。


昼間の賑わいが嘘のように静まり返り、屋敷の窓から漏れる灯りだけが庭を淡く照らしている。


その夜は、ひときわ月が美しかった。


雲一つない夜空に浮かぶ満月は、まるで銀色の宝石のように輝き、庭や森を幻想的な光で染め上げていた。


「…綺麗。」


ミラベルは思わず呟いた。


自室の窓から眺めているだけでは物足りない。


(もっと近くで見たい。)


そう思い立ち、屋敷の敷地内に建つ小さな石造りの塔へ向かった。


この塔は見張り台として使われることもあるが、普段は誰も訪れない静かな場所だった。


螺旋階段を上りきると、心地よい夜風が頬を撫でる。


眼下には侯爵家の庭園が広がり、その向こうには昼間よく訓練をしている演習場まで見渡せた。


「前世でも…こんな月を見られたらよかったな。」


病室の窓から見える夜空はいつも狭かった。


外へ自由に出ることも叶わなかった。


だからこそ、今こうして自分の足で高い場所へ登り美しい月を眺められることが何より嬉しい。


静かに目を閉じ、夜風を胸いっぱいに吸い込む。


その時だった。


――ブンッ!


風を切る音が聞こえた。


「……?」


ミラベルは耳を澄ませる。


――ブンッ!


まただ。木の棒か何かを振るような音。


こんな夜更けに誰だろう。


ミラベルは塔の縁から身を乗り出し、音のする方へ視線を向けた。


「!あれは…」


月明かりに照らされた演習場の片隅。


一人の少年が、汗だくになりながら木の棒を振り続けていた。


「ブレイブ…!」


見間違えるはずがない。粗末な訓練着を着たブレイブだった。


何度も、何度も木の棒を振る。


構え、踏み込み、振り下ろす。


その動きは決して上手ではない。


けれど、一振り一振りに強い意志が込められていた。


ミラベルはしばらくその姿を見つめていた。


(こんな時間まで…)


彼は昼間は誰よりも働いている。


休憩もそこそこに使用人たちの仕事を手伝っていた。


それなのに、夜になってから一人で特訓しているなんて。


彼女はそっと杖を取り出した。


「飛翔。」


足元に淡い魔法陣が浮かび、身体がふわりと宙へ浮く。


まだ完全ではない飛行魔法。けれど短い距離なら問題なく飛べるようになっていた。


月明かりの中を滑るように降り立ち、ブレイブの数歩後ろへ静かに着地する。


「ブレイブ。」

「!ひゃっ!?」


突然名前を呼ばれたブレイブは飛び上がるほど驚いた。


慌てて振り返る。


「お、お嬢様!?」


そして手にしていた木の棒を、反射的に背中へ隠した。


「あっ…あの!こ、これは…」


気まずそうに笑う。


「眠れなくて、その〜…」


あからさまな嘘だった。ミラベルは思わずくすりと笑う。


「隠さなくてもいいのよ?」

「でも…っ」


ブレイブは視線を落とした。


「怒られると思いまして…」

「どうして?」

「使用人が勝手に剣術の真似事なんて…」


その姿を見て、ミラベルは少しだけ以前までの自分を思い出した。


誰にも言わず、森の奥で魔法を練習していた頃。


見つかったら止められると思っていた。


だから隠れていた。


(…似てる。)


彼も同じなんだ。誰にも迷惑を掛けたくなくて、一人で頑張ろうとしている。


ミラベルは優しく微笑んだ。


「ねぇ、どうしてこんな時間に一人で練習しているの?」


ブレイブはしばらく黙っていた。


夜風だけが二人の間を通り過ぎる。


やがて彼は、小さく息を吐いた。


「…守りたいんです。」

「え?」


ブレイブは木の棒を握り締めた。


「お嬢様も…ユリウス様も…侯爵様も、奥様も、執事長も…屋敷のみなさんを…!」


その瞳は真っ直ぐだった。


「俺には今、大切な人がたくさんいます。この家が…ここが俺の今の大切な居場所です。」


少しだけ表情が曇る。


「だから…もう失いたくないんです!」


ミラベルは静かに耳を傾ける。


「森で仲間を失った時…何もできませんでした…。逃げることしかできなかった…。」


ブレイブは拳を強く握る。


「だから…っ!今度は違う自分でありたい…!いざという時、みんなを守れるくらい強くなりたいんです!」


その言葉に嘘は一つもなかった。


「でも…」


ブレイブは自嘲するように笑う。


「使用人の俺がみんなを守るなんて…烏滸がましいですよね…」


その瞬間だった。


「そんなことない!」


ミラベルは思わず声を上げた。


ブレイブが驚いて顔を上げる。


ミラベルは真っ直ぐ彼を見つめていた。


「大切な人を守りたいって思うことは、少しもおかしくなんてない。むしろ、とても素敵なことよ!」

「っ!お嬢様…」


ブレイブは目を見開く。


ミラベルは言葉を続けた。


「誰かのために強くなりたいって思える人は、本当に強くなれる人だと私は思う。」


そう言いながら、心のどこかがちくりと痛んだ。


(私は…追放されたらどうしよう、生き延びるにはどうしようって…そんなことばかり考えて強くなろうとしていた。)


もちろん、それも間違いではない。


でも、ブレイブの願いはもっと純粋だった。


自分ではなく、大切な人のため。


(…私も…ブレイブのような考え方で在りたい。)


心の中でそう強く決意をし、ミラベルはにっと笑う。


「ブレイブ!」

「は、はい!」

「一人で特訓するにも限界があるでしょう?」

「え?」

「だったら…」


胸を張って宣言する。


「私と一緒に特訓しましょう!」

「……え?」


ブレイブは固まった。


「お、お嬢様と…ですか!?」

「そう!」

「そんな…!」


ぶんぶんと首を横に振る。


「恐れ多すぎます!俺は一使用人ですよ!?」


ミラベルは笑って首を振る。


「うちにはね、家のために努力する人を止める者なんていないわ。」


そして少し悪戯っぽく笑う。


「それに、執事は主人を守る護衛役を兼ねる家だって多いのよ?鍛える理由としては十分じゃない?」


ブレイブは呆然とミラベルを見つめた。


この人は、身分なんて本当に気にしない。


名前をくれた時も。今も。


自分を対等に見てくれている。


胸が熱くなった。


木の棒を握り直し、そして真っ直ぐミラベルを見つめた。


「…わかりました。」


その声には迷いがなかった。


「俺、必ず強くなります。」


一歩前へ出る。


「お嬢様を…皆さんを、必ず守れるようになります!」


その瞳は、満月よりも眩しく輝いていた。


ミラベルは思わず息を呑む。


(…え。)


胸が、どくんと高鳴る。


顔が少し熱い。鼓動が速い。


(な、何……?)


どうしてだろう。


ユリウスと一緒にいても、こんな気持ちにはならなかった。


嬉しい。誇らしい。


でも、それだけではない。


名前の付けられない感情が胸いっぱいに広がっていく。


けれど今のミラベルには、それが何なのか分からなかった。


「…ふふっ。」


誤魔化すように笑う。


「じゃあ、明日からユリウスにもお願いしてみましょう。」

「えっ!?」

「きっと一緒に鍛えてくれるわ!」

「えぇぇぇっ!?」


再び慌てるブレイブを見て、ミラベルは声を上げて笑った。


その笑顔につられるように、驚いていたブレイブも笑みを浮かべる。


満月の光は、そんな二人を優しく照らしていた。


この夜の約束が、三人の新たな日々の始まりになることをまだ二人は知らない。

今回はミラベルとブレイブの2人の話でした。また2人の距離が少し縮まったのではないかと思います。


今回も読んでくださりありがとうございました。次回も読んでいただけたら嬉しいです。

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