第3話名もなき少年
ミラベルとユリウスは少年を助けるために力を合わせる。
柔らかな翠色の光が、森の中を優しく照らしていた。
ミラベルとユリウス、二人の掌から溢れ出た治癒の魔力は血に染まった少年の身体をゆっくりと包み込んでいく。
「お願い…!」
ミラベルは必死だった。
これまで何度も練習してきた治癒魔法。
だが、治したことがあるのは、切り傷や擦り傷程度だ。
こんな深手を負った人間に使うのは初めてだった。
額から汗が流れ、魔力がどんどん削られていく。
「傷口を塞ぐことだけを考えるんだ。」
隣でユリウスが穏やかな声をかける。
「私が魔力を補う。」
「…はいっ!」
彼の膨大な魔力が優しく流れ込み、ミラベルの魔法を支えてくれる。
すると、裂けた肉が少しずつ閉じ始めた。
止まらなかった出血も、次第に収まっていく。
「…やった。」
少年の呼吸が少しだけ落ち着く。
ユリウスは脈を確かめ、安堵したように微笑んだ。
「命は繋いだ。あとは安静にすれば助かるだろう。」
「本当…ですか…?」
「ああ。」
その言葉を聞いた瞬間、ミラベルは力が抜けてその場へへたり込んだ。
「良かった…本当に…!」
目尻から涙が零れる。
前世では何度も病院で「助からなかった命」を見てきた。
だからこそ、目の前の命が救えたことが何より嬉しかった。
ユリウスはそんなミラベルを静かに見つめていた。
(変わったな…)
幼い頃から知っているミラベル。
以前なら平民をここまで必死に助けようとはしなかっただろう。
だが今、彼女は身分など一切気にせず涙を流して喜んでいる。
その姿に、ユリウスはどこか胸を打たれていた。
「屋敷へ運ぼう。」
ユリウスが立ち上がる。
「この傷では街の診療所より、アルヴェイン家の医師に診せた方が早い。」
「でも…」
「遠慮はいらない。」
彼は優しく笑う。
「命の恩人なのだろう?」
ミラベルも力強く頷いた。
「はい!」
ユリウスは少年を抱き上げると、空へ向かって右手を掲げた。
「飛翔。」
淡い白銀の魔法陣が三人の足元に浮かび上がる。
ふわり、と身体が宙に浮いた。
「わぁ…っ」
何度見ても飛行魔法は美しい。
風が頬を撫で、森が少しずつ小さくなっていく。
ミラベルは眠る少年を見つめた。
穏やかな寝顔。少し日に焼けた肌。荒れた手。
きっと苦労して生きてきたのだろう。
その時だった。
ふと、ゲームの記憶が蘇る。
『幼い頃、別荘地で魔獣に襲われたミラベルをユリウスが救った。それが彼女がユリウスへ恋をするきっかけだった。』
ゲーム内では、それだけの説明だった。
イベントCGもなく、文章が数行流れただけの過去話。
しかし…。
(…あれ?)
ミラベルは違和感を覚える。
ゲームでは確か――
『魔獣は別荘地周辺で複数の平民を襲い、その後ミラベルへ牙を剥いた』
そんな説明もあったはずだ。
複数の平民。名前もない、顔もない。
ただ、「被害者」とだけ書かれていた人たち。
そして目の前の少年。
(まさか…。)
胸がざわつく。
(この子は…。)
ゲームでは名前も語られず、あの魔獣に食べられてしまうはずだった子なのでは…。そんな考えがミラベルの頭をよぎる。
ゲームを遊んでいた頃は何も思わなかった。
「ああ、そういう設定なんだ」と流していた。
けれど今は違う。
ここはゲーム画面ではない。
一人ひとりが息をして、笑って、泣いて、生きている世界だ。
もし本来ならこの少年は、誰にも知られず命を落としていたのだとしたら――。
(そんなの……。)
ミラベルは少年の冷えた手をそっと握った。
「良かった……。」
小さく呟く。
「助かって、本当に良かった。」
その言葉に答える者はいない。
だが少年の指先が、ほんの少しだけ動いたような気がした。
ミラベル達の帰宅後、ユリウスから先に伝達魔法で魔獣の出現とミラベルが襲われた情報を受け取っていたアルヴェイン侯爵邸は騒然としていた。
「お嬢様がお怪我を!?」
「魔獣だと!?」
使用人たちが慌ただしく駆け回る。
玄関で待っていたミラベルの両親である侯爵夫妻も青ざめていた。
「ミラベル!」
母が真っ先に駆け寄り、娘を抱き締める。
「無事なのね…!?」
「お母様…ごめんなさい…心配をかけました。」
「謝らなくていいわ…!無事で本当に良かった…!」
父も安堵したように娘の肩へ手を置いた。
「ユリウス殿下、娘を救ってくださり感謝いたします。」
ユリウスは静かに首を横へ振る。
「私だけではありません。」
そう言って腕の中の少年を見る。
「この少年が、命を懸けてミラベルを守りました。」
侯爵夫妻の表情が変わる。
「…そうなのか。」
「はい!」
ミラベルが力強く頷く。
「この子は私の命の恩人です!だからっ…」
瞳を潤ませながら訴える。
「どうか助けてください!」
侯爵は迷うことなく答えた。
「当然だ。」
「え…?」
「娘の命を救ってくれた恩人を見捨てる親などおらん。」
侯爵夫人も優しく微笑む。
「我が家でも最高の医師を呼びましょう。だから、ミラベル。安心なさい」
その言葉に、ミラベルの胸が熱くなった。
ゲームでは冷酷な貴族として描かれていた両親。
しかし実際は違う。
娘を何より大切に思い、その恩人にも誠実に報いようとしている。
(ゲームのシナリオだけがその人達を語る真実じゃなかったんだ…)
そんな思いが胸をよぎる。
医師たちが少年を客室へ運んでいく。
眠るその横顔を見つめながら、ミラベルは心の中で静かに誓った。
(あなたは絶対に助ける。)
(今度こそ、生きて笑ってほしい。)
まだ名前も知らない。
何者なのかも分からない。
それでも――。
この出会いが、ミラベル自身の運命だけではなく、彼の運命も変えていくことになる。
そのことを、まだ誰も知らなかった。
今回も読んでくださりありがとうございました。少年は本編でも触れられてる通り、ゲーム上だとテキストで多少触れられて魔獣に襲われて亡くなる人間の一人に過ぎませんでした。そんな少年がこれからどう物語に絡むか見ていただけたら嬉しいです。




