第2話運命を変えた出会い
魔法の鍛錬を始めたミラベル。彼女は思わぬ事態に遭遇する。
季節は春から初夏へと移り変わっていた。
侯爵家アルヴェイン家の広大な領地は、どこまでも豊かな森と澄んだ湖に囲まれ、朝になれば小鳥たちのさえずりが響き渡る。
ミラベルは今日も一人、森の奥へ足を踏み入れていた。
淡い水色の訓練着に身を包み、長い金髪を後ろで一つに結んでいる。令嬢らしい豪華なドレスではなく、動きやすさを優先した服装だ。
(……よし、今日はもう少しだけ先まで行ってみよう。)
前世では、病院の庭を少し散歩するだけでも息が切れてしまった。
だが今は違う。
森の中を歩き回っても息一つ乱れない。
それだけで胸が満たされる。
(生きてる…。)
木漏れ日の中で大きく深呼吸する。
土の匂い。葉が風に揺れる音。鳥のさえずり。
全部が愛おしかった。
「さて。」
一本の大木の前で立ち止まる。
ここが、最近見つけたお気に入りの修練場だった。
「火よ。」
指先に小さな炎が灯る。
「風よ。」
炎が消え、今度は柔らかな風が吹く。
「水よ。」
掌の上に澄んだ水球が浮かび上がった。
最初は魔力を練ることすら苦労していた。
しかし、毎日欠かさず練習を重ねた結果、初級魔法なら安定して扱えるようになっていた。
治癒魔法も少しずつ形になり始めている。
「…まだまだね。」
ゲームのミラベルは魔法が得意ではなかった。
だからこそ、自分が努力で補うしかない。
追放されても、一人で生きられるだけの力を。
その思いだけが彼女を支えていた。
その時だった。
――バキッ。
森の奥から、太い枝が折れる音が響いた。
「……?」
ミラベルは顔を上げる。
風が止んだ。鳥の鳴き声も聞こえない。異様な静寂。
ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。
「…何?」
耳を澄ませる。
ガサッ。
ガサガサガサッ――!!
何か大きなものが木々を薙ぎ倒しながら近付いてくる。
そして次の瞬間…。
「グオオオオオオオッ!!」
森中を震わせる咆哮が響いた。
「っ!?」
巨大な黒い影が木々を突き破る。
熊よりも遥かに巨大な体躯。全身を覆う黒い体毛。
額から伸びる二本の角。真っ赤に光る瞳。
口から滴る唾液は地面を溶かしていた。
「ま…魔獣…!?」
図鑑でしか見たことのない上位魔獣だった。
(どうしてこんな場所に!?この領地にはこんな上位魔獣は出ない筈…!)
考えている暇はない。
魔獣は一直線にミラベルへ飛びかかってきた。
「風よ!」
風魔法を使い、身体を横へ吹き飛ばす。直後、立っていた場所が粉々に砕け散った。
「はぁっ…!」
土煙が舞う。心臓が激しく鼓動する。
(落ち着いて…!)
逃げる?それとも戦う?
屋敷まで走っても追いつかれる。
ならば。
「火炎弾!」
炎の塊が魔獣へ飛ぶ。
しかし。
ボンッ!!
魔獣は前脚で軽く払い、炎を掻き消した。
「そんな……!」
初級魔法では傷一つ付かない。
魔獣は獰猛な唸り声を上げる。まるで獲物をいたぶることを楽しんでいるようだった。
「水刃!」
水魔法による鋭い水の刃。それも弾かれる。
「風刃!」
風魔法による風の刃。これも通らない。
(だめ……!)
圧倒的だった。
ゲームでは、こんな化け物はイベント戦でしか出てこない。
しかも必ず攻略対象が助けてくれる。
だが、今は誰もいない。
(逃げなきゃ…!)
踵を返したその瞬間、魔獣が大きく跳躍した。
巨大な爪が頭上から振り下ろされる。
(間に合わない――。)
死。
その一文字が頭をよぎった。
だが。
「危ない!!」
誰かの叫び声。
次の瞬間。
ドンッ!!
何者かがミラベルを力いっぱい突き飛ばした。
「きゃっ!」
地面へ転がる。顔を上げた時には…。
「……え?」
一人の少年が、彼女の前に立っていた。
茶色の髪。粗末な麻の服。痩せた体。
年齢は自分より少し上だろうか。
魔獣の爪は、その少年の背中を深く切り裂いていた。
「ぐっ…!」
鮮血が飛び散る。
「いやっ!!」
ミラベルは駆け寄る。
「あなた!」
少年は苦しそうに笑った。
「……良かった。」
「え?」
「間に……合った。」
そう言うと、彼は膝をついた。
「早く……逃げて。」
「そんな……!」
「俺は……もう……。」
血が止まらない。
このままでは確実に死ぬ。
「嫌よ!」
ミラベルは叫んだ。
「あなたを置いてなんて行けない!」
「でも……。」
「命を救ってもらったのよ!恩人を見捨てるなんて絶対にできない!」
彼女は細い肩で少年を支え、その腕を自分の肩へ回した。
「立てる?」
「む、無理……。」
「だったら…私が支える!」
令嬢らしからぬ必死さだった。
少年は呆然と彼女を見る。
(この子は……。)
見るからに高貴な身分の人。
それも高価な服を着た令嬢。
本来なら自分のような孤児とは言葉すら交わらない存在。
なのに。どうして。
こんなにも必死になっているのだろう。
「行くわよ!」
二人はよろめきながら走り出す。
しかし、魔獣は逃がすはずもなかった。
怒り狂った咆哮を上げ、再び襲いかかる。
その巨体が目前まで迫った、その時。
「――光よ、穿て。」
凛とした少年の声が森に響いた。
一条の光が天から降り注ぐ。
轟音とともに魔獣が吹き飛ばされ、大木へ叩きつけられた。
「グアアアアアッ!!」
魔獣が苦しげに叫ぶ。
続けて無数の光の槍が降り注ぎ、その巨体を貫いた。
やがて魔獣は断末魔を上げることもなく、その場に崩れ落ちる。
森は再び静寂を取り戻した。
「もう大丈夫だ。」
聞き慣れた声。
白銀の髪を風になびかせた一人の少年が歩み寄ってくる。
王族の証である純白の外套。
穏やかな青い瞳。
「ユリウス様…!」
ミラベルは安堵のあまり、その場へ座り込んだ。
「怪我はないか?ミラベル。」
「私は…大丈夫です。でも!」
彼女はすぐに少年を抱き起こす。
「この子が…!」
少年の顔は青白く、呼吸は弱々しい。
大量の血が地面を赤く染めていた。
「お願いします!ユリウス様!」
ミラベルは必死に叫ぶ。
「彼は命の恩人なんです!私を庇ってこんな傷を…!絶対に、絶対に死なせたくありません!」
ユリウスは倒れた少年を見つめる。
そして、静かに頷いた。
「ああ。君の命を救った人なら、私も見捨てるつもりはない。」
その言葉に、ミラベルの胸が少しだけ軽くなった。
「ミラベル、君も治癒魔法を練習していたね。」
「はい…!」
「なら、一緒にやろう。私が魔力を補助する。」
ユリウスは片膝をつき、少年の傷へ手をかざした。
「君ならできる。」
ミラベルも震える手を重ねる。
(お願い…!)
(助かって…!)
淡い緑色の光が二人の掌から溢れ出し、少年の傷を包み込んでいく――。
その光は、ゲームには存在しなかった新たな運命の始まりを静かに照らしていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。ゲームでは婚約者となりミラベルを断罪するユリウス、そしてミラベルを助けた少年が登場しました。今後は3人の関係も書けていけたら思っています。
次回も読んでくださると嬉しいです。




