第15話社交界デビュー
12歳になったミラベルに社交界デビューの日がやってくる。
窓から差し込む朝日が、アルヴェイン侯爵家の屋敷を黄金色に染めていた。
いつもは穏やかな屋敷も、この日ばかりは朝早くから慌ただしい。
「急いで!その花は応接間ではなく玄関ホールです!」
「こちらのリボンはお嬢様のお支度部屋へ!」
「馬車の最終点検は済んだか!?」
使用人たちが忙しなく廊下を行き交う。
その光景を見つめながら、ミラベルは鏡の前で小さく息を吐いた。
(今日なんだ…。)
前世では病室の窓から空を眺めることしかできなかった少女。
その自分が今、貴族令嬢として社交界へ足を踏み入れようとしている。
不思議な気持ちだった。
「お嬢様、お召し替えのお時間です。」
侍女が恭しく一礼する。
衣装部屋には、今日のために仕立てられたドレスが飾られていた。
淡いアイボリーを基調に、裾へ向かって淡い水色の刺繍が施された一着。
ミラベルの金髪によく映える青い宝石が胸元にあしらわれ、陽光を受けてきらりと輝いている。
「わあ…!」
思わず声が漏れた。
「本当に私が着てもいいの?」
「もちろんでございます。」
侍女たちは嬉しそうに笑う。
「旦那様も奥様も、お嬢様の社交界デビューをずっと楽しみにされておりました。」
数十分後…鏡の中には、いつもの私服のドレスや鍛錬着姿とはまるで別人の少女が立っていた。
ふわりと広がるドレス。
結い上げられた金色の髪。
赤い瞳は少し緊張しているものの、その表情には確かな気品が宿っている。
「…なんだか私じゃないみたい。」
そう呟くと
「そんなことはありません。」
と優しい声が聞こえた。
部屋へ入ってきたのは母、セレスティアだった。
濃紺のドレスに身を包み、優雅に微笑んでいる。
「とても綺麗よ、ミラベル。」
「お母様…。」
「今日まで礼儀作法もダンスも、一生懸命頑張ってきたものね。」
その言葉にミラベルは照れくさそうに笑った。
「はいっ…!でも…少し緊張します。」
「ええ、最初は誰だってそうよ。」
セレスティアは娘の頬へそっと手を添える。
「失敗しても構わないわ。大切なのは、あなたらしく笑うこと。」
その温かな言葉に、胸の緊張が少しだけほぐれた。
そこへ。
「失礼する。」
低く落ち着いた声とともに、父レオナルドが部屋へ入ってくる。
普段は領主として毅然としている父だったが――
娘の姿を見た瞬間。
「…!」
見事に固まった。
「お、お父様?」
「あなた?」
侍女たちがレオナルドの今の気持ちを察して、小さく笑う。
レオナルドは数回瞬きをすると、深く咳払いした。
「…うむ。」
それしか言えない。
「あなた。」
セレスティアが苦笑する。
「何か言ってあげたら?」
「いや、その…!」
レオナルドは頭を掻きながら娘を見る。
「…綺麗になったな、ミラベル」
その一言だけだった。
けれど。
ミラベルにはその一言で十分だった。
「!ありがとうございます、お父様!」
にっこり笑う娘を見て、レオナルドは少しだけ目を潤ませる。
(…こんなに大きくなったのか。)
つい数年前まで、絵本を読んでほしいと膝へ乗ってきていた小さな娘が今では立派な淑女になろうとしている。
「…困ったものだ。」
「何がです?」
「社交界へ出れば、お前を見初める男が増える。」
「えっ?」
「…父親としては複雑だ。」
「もうっ、あなたったら。」
セレスティアが吹き出す。
「まだ11歳ですよ?」
「それでもだ!変な男には近寄らせん。」
レオナルドは真剣そのものだった。
ミラベルは思わず笑ってしまう。
「大丈夫ですよ、お父様!私はまだまだ修行中ですから。」
「修行?」
「はいっ!」
小さく拳を握る。
「もっと強くなりたいですし、もっと魔法も勉強したいです!」
その言葉にレオナルドは苦笑した。
「やはり…我が娘だな。」
社交界デビューの日ですら、頭の中では魔法と鍛錬を考えているらしい。
そこへ、部屋の扉が三度叩かれた。
「失礼いたします。」
それは聞き慣れた声であった。
「ブレイブです。」
「どうぞ。」
扉が開く。
そこに立っていたのは、見習い執事として正装に身を包んだブレイブだった。
白い手袋に燕尾服。腰には護衛用として細身の剣が佩かれている。
一年前は服に着られているようだった少年も、鍛錬を積み重ねたことで肩幅が広くなり、執事服もよく似合うようになっていた。
「お嬢様、場所の準備が整い――」
そこまで言って言葉が止まる。
ブレイブの目が大きく見開かれた。
目の前に立つミラベルから視線を逸らせない。
いつも庭で魔法の練習をしている姿とも、笑いながら剣を振るう姿とも違う。
まるで物語に出てくるお姫様だった。
「……ブレイブ?」
ミラベルが首を傾げる。
「!あ…っ!」
ブレイブはようやく我に返る。
「も、申し訳ありません!」
耳まで真っ赤にして勢いよく頭を下げる。
「その…。」
なかなか言葉が出ない。だが、何とか勇気を振り絞り伝えたいことを口にした。
「お嬢様…。」
「はい?」
「…すごく、お綺麗です…!」
部屋が静まり返る。
飾らない、真っ直ぐな一言。
社交辞令でも、お世辞でもない。
心からそう思った言葉だった。
ミラベルは一瞬きょとんとしたあと、頬をほんのり赤く染める。
「!…ありがとう、ブレイブ…!」
その笑顔は、朝日よりも眩しかった。
「そんな風に言ってもらえて、嬉しいわ。」
ブレイブは思わず胸を押さえる。
(!?何だ…?胸が苦しい…。お嬢様が笑いかけてくださってるのに…。)
理由は分からない。
だが、その姿から目が離せなかった。
一方のミラベルもまた、胸の奥が少しだけ熱くなっていることに気付いていた。
(どうして…ブレイブに褒められただけなのに…。)
ユリウスに褒められた時とは、どこか違う。
不思議な高鳴りだった。
その微妙な空気を見ていたレオナルドは、腕を組みながら低く唸る。
「……。」
「あなた?どうかなさいました?」
「…今のは少し気に入らんな。」
「?何がです?」
「ブレイブ。」
「は、はいっ!」
名前を呼ばれ、ブレイブの背筋がぴんと伸びる。
「娘を褒めてくれたことには感謝する。」
「はっ、はい!」
「だが…。」
レオナルドは真顔で続ける。
「…今後も、そのくらいの距離感を保ちなさい…。」
「!!は、はい!承知いたしました!」
ブレイブは勢いよく返事をする。
その慌てぶりに、セレスティアもミラベルも侍女たちも思わず笑ってしまった。
重苦しい空気にはならない。
それはレオナルド自身も、ブレイブの誠実さを誰より知っているからだった。
その時、再び扉が開く。
「旦那様、奥様。」
執事長オズワルドが一礼する。
「馬車の準備が整いました。」
「いよいよでございます。」
レオナルドは大きく頷いた。
「ああ。」
そして娘へ手を差し伸べる。
「行こう、ミラベル。」
「はいっ、お父様!」
少女は父の手を取り、一歩を踏み出した。
それは、悪役令嬢として破滅するはずだった少女が、自らの未来を切り拓くための新たな一歩でもあった。
今回はミラベルとブレイブ、家族の話でした。次回からしばらくパーティー編が続くと思います。
今回は読んでくださりありがとうございました。次回も読んでいただけると嬉しいです。




