第11話知識もまた力
ユリウスに座学を命じられたミラベル、ブレイブは三人で王都の図書館へとやって来る。
ブレイブがアルヴェイン侯爵家へ迎えられてから、およそ一年と二ヶ月。
剣術も、魔法も、三人の鍛錬は着実に成果を上げていた。
しかしある朝、訓練を終えたミラベルとブレイブにユリウスは木剣を鞘へ収めながら穏やかに言った。
「今日からは、訓練の内容を少し変える。」
「え?」
額の汗を拭いていたミラベルが首を傾げる。
隣のブレイブも同じように不思議そうな顔をした。
「もっと厳しい特訓ですか?」
ユリウスはくすりと笑う。
「いや…今日は剣も振らないし、魔法も使わない。」
「…えっ?」
「その代わり――」
ユリウスは人差し指を立てた。
「勉強だ。」
「……。」
数秒の沈黙の後、ミラベルとブレイブは顔を見合わせた。
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
驚く二人の声が見事に重なった。
その日の午後。
三人は王都でも屈指の蔵書数を誇る王立図書館を訪れていた。
高い天井まで届く本棚。何万冊もの書物。
魔法史、王国史、魔物学、薬草学、戦術論……。
その圧倒的な光景に、ミラベルは思わず息を呑む。
(ゲームでは背景だった図書館だけど…実際に来るとすごい…。)
前世でも病気であまり通うことができなかったが、図書館は好きだった。
けれど、これほど大きな図書館は見たことがない。
ブレイブはさらに緊張した様子だった。
「す、すごい…。本がこんなにたくさん…。」
ユリウスは二人の様子を見ながら微笑む。
「強くなるために必要なのは腕力だけじゃない。魔法も剣も、知識があって初めて真価を発揮するものだ。魔獣の弱点を知らなければ討伐は難しいし、魔法理論を理解しなければ応用もできない。つまり――知識もまた力だ。」
その言葉に、二人は自然と姿勢を正した。
「まず今日は魔法理論、次に王国史。最後に魔物学だよ。」
「お…多くないですか?」
ミラベルが思わず本音を漏らす。
ユリウスはにこりと笑った。
「大丈夫。今日は基礎だけだから。」
(その笑顔が一番信用できないのですが…。)
ミラベルは心の中で小さくため息をついた。
閲覧席に座る三人。
ユリウスは分厚い高等魔法理論書を開く。
一方、ミラベルとブレイブの前には初心者向けの教材本が山のように積まれていた。
「うぅ…」
ミラベルは最初のページを開いた。
『魔力循環と属性親和性について』
文字は最初に一人で鍛錬していた頃に自宅の書庫で必死に勉強したため読める。意味も何となく分かる。
この世界の文字は現実世界の英語に近く、前世であまり学校に通えなかったミラベルだが学習は怠っていなかったが故に出来たことであった。
が…しかし本の内容は専門用語が多い。
「難しい…。」
ぽつりと呟く。
その隣では、ブレイブが真剣な表情で本と向き合っていた。
文字を一つひとつ指で追いながら、ゆっくりと読んでいる。
(!そうだった…。)
ミラベルは思い出す。ブレイブも一年前まで文字が読めなかった。
孤児として生きてきた彼に、学ぶ機会などなかったのだ。
それでも、アルヴェイン家へ来てから執事長のオズワルドが毎晩少しずつ読み書きを教えてくれていた。
最初は自分の名前を書くことすら難しかった。
けれど今では、本を読めるようになっている。
もちろん時間はかかる。難しい言葉になると辞書を引き、何度も読み返す。
それでもブレイブは決して諦めなかった。
「……『属……性……相……剋……。』…相剋…?…難しいな。」
そう呟きつつ辞書を開き、意味を書き写す。
そして、また本へ戻る。
その繰り返しだった。
ミラベルはその姿をじっと見つめる。
(ブレイブだってこんなに頑張ってる。文字を覚えてまだ一年なのに。)
前世では勉強ができる環境があるのは当たり前だった。
だから忘れていた。
学べること自体が幸せなのだということを。
ブレイブは顔を上げた。
「あ…。」
ミラベルと目が合う。
「どうしたの?疲れてしまった?」
「い、いえ…」
少し照れたように笑う。
「本の内容が難しくて…でも。」
拳をぎゅっと握る。
「覚えたいんです。皆さんのお役に立ちたいから。」
ブレイブのその一言に、ミラベルの胸に小さな火が灯る。
(…そうよね。ブレイブはこんなに頑張ってる。私も負けてられない!)
彼女は勢いよく本を開き直した。
「よーし!」
思わず声が出る。その瞬間。
「ミラベル。」
少し離れた席からユリウスが微笑んだ。
「図書館では静かに。」
「あっ…!」
ミラベルは慌てて口を押さえる。
「ご、ごめんなさい…。」
「も、申し訳ございません。」
なぜかブレイブまで一緒に謝る。
その様子にユリウスは肩を震わせた。
「ふふ。二人とも、本当に息が合うね。」
夕方。
三人は図書館に隣接したカフェで休憩を取ることにした。
香り高い紅茶。焼きたてのスコーン。
穏やかな時間が流れる。
「頭を使うと、お腹が空くわね。」
ミラベルが紅茶を口にする。
ブレイブも頷いた。
「そうですね…いつもの鍛錬とはまた違う疲れ方です。」
その時だった。
「失礼してもよろしいでしょうか?」
柔らかな少女の声が聞こえた。
三人が顔を上げる。
そこには一組の少年少女が立っていた。
少年は緑色の髪に紫色の瞳。
知的な雰囲気を纏い、本を胸に抱えている。
少女は蜂蜜色の髪を肩まで伸ばし、優しいヘーゼルブラウンの瞳を細めて微笑んでいた。
「先ほど図書館でお見かけして…とても楽しそうに勉強なさっていたので。」
少女は丁寧に一礼する。
「私はアイリス・ウェインライトと申します。こちらは婚約者のルシアン・エヴァレットです。」
緑髪の少年も軽く会釈した。
「初めまして。ルシアンです。」
ミラベルも見覚えのある二人の姿にハッとしながらも笑顔で立ち上がる。
「!ミラベル・フォン・アルヴェインです!こちらはユリウス様と、ブレイブです!」
自己紹介を終えると、アイリスが嬉しそうに笑った。
「よろしければ、ご一緒しても?」
「もちろんです!」
こうして新たに二人が席についた。
――ルシアン・エヴァレット。
その名前を耳にした瞬間、ミラベルの心臓が一つ大きく跳ねていた。
(ルシアン…やっぱりこの人も攻略対象…!)
前世の記憶が鮮明に蘇る。
彼は幼少期から魔法理論の天才で評される人物であった。学院では「氷の秀才」とまで呼ばれていた少年。
そして、その隣で柔らかく微笑む少女。
アイリス・ウェインライト。
(この子も…ルシアンの婚約者だった令嬢。)
ゲームでは彼女は、主人公マリナとルシアンが親しくなるにつれて焦りを募らせる”ライバル令嬢”の一人だった。
ルシアンは静かにブレイブを見つめる。ふと口を開いた。
「失礼ですが…君は文字を学び始めて一年ほどですか?」
「え?」
ブレイブが目を丸くする。
「ど、どうして分かったんです!?」
「本の持ち方…読む速度…難しい単語で辞書を引く癖。どれも学び始めた人の特徴です。」
ブレイブは感心したように息を呑む。
「す、すごい…。」
ルシアンは少しだけ微笑んだ。
「ですが、図書館で一生懸命勉強するあなたを見て思いました。あなたはとても努力家ですね。本に向き合いながら地道に辞書を引く…普通なら途中で投げ出してしまう人がいてもおかしくないでしょう。…けれど…あなたは違う。」
その言葉にブレイブは照れくさそうに笑った。
「!ありがとうございます!」
隣ではアイリスが嬉しそうに頷いている。
前世でミラベルがゲームをプレイしていた頃に描かれていたアイリスは、どちらかといえば主人公へ嫌味を言ってルシアンに執着する存在として描写されることが多かった。
もちろん、前世のミラベル自身も当時はそういうキャラクターなのだと思っていた。
けれど――。
「ルシアン様、突然そんなに分析したら驚かせてしまいますよ。」
「あ…申し訳ない。つい癖で。」
少しだけ申し訳なさそうに頭を下げるルシアン。
それを見て、アイリスはくすりと笑う。
「ルシアン様は本が大好きで、読書をすると周りが見えなくなってしまうんです。だから私が時々止める係なんですよ。」
「それは…否定はできません。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。
その空気はとても自然だった。
張り合うでもなく、取り繕うでもなく、互いを理解し尊重し合っている。
(…全然違う。)
ミラベルは目を瞬かせた。
(ゲームでは、婚約者同士なのにどこか冷たい関係に見えた。でも、本当は…。)
ルシアンは決して冷たい人ではない。人付き合いが少し不器用なだけ。
アイリスも嫉妬深い令嬢ではなく、彼を誰より理解し支えている優しい女の子だ。
(そうだったんだ…。)
ゲームではイベントや立ち絵、短いテキストだけで語られていた人物たち。
だから気付かなかった。
彼らにも、ゲームには描かれなかった日常があり、笑顔があり、支え合う時間があったのだ。
それはブレイブと出会った時に感じたことと同じだった。
“名前もないモブ”だと思っていた少年にも人生があったように、“ライバル令嬢”としてしか見ていなかった少女にも確かな想いがあった。
(みんなそれぞれの想いがあってこの“現実”を生きてる…それは私自身も…。)
その事実を、ミラベルは改めて胸に刻むのだった。
穏やかな笑い声がテーブルを包んでいる。
こうしてまた一つ、新たな縁が結ばれていく。
ミラベルはまだ知らない。
この知識を愛する少年と心優しい婚約者が、やがて学院生活でかけがえのない仲間となることを。
そして、この出会いもまた、本来のゲームには存在しなかった未来への一歩なのだということを。
新たな攻略対象のルシアンと彼の婚約者のアイリスが登場しました。ルシアンは読書家で魔法研究が大好きな設定のキャラクターです。アイリスもルシアン同様読書好きですが、のめり込みがちな彼の良きストッパー役となっています。
次回以降も新キャラの登場機会を増やしていきたいと思っています。
今回は読んでくださりありがとうございました。次回も読んでくださると嬉しいです。




