ココロ→マキナ②
赤城さんと正式に恋人になる事が出来て、幸せな気持ちに浸ったままハッピーエンド――という訳にもいかなかった。
僕にはどうしても、話をしておきたい人物がいる。
白石さん宅へお邪魔するのは、これでもう何度目になるのか分からない。
連絡もなしに突然やってきた僕を、白石さんは驚く素振りもなく迎えてくれた。
まるで僕が来る事を分かっていたかのように、落ち着いた様子で僕をリビングへ案内してくれる。
向かい合う形で座った僕と白石さんは、しばらく無言で見つめ合った。
白石沙里奈。
彼女がペルソナのメンバーである事は、ほぼ間違いないだろう。
だが僕は、それを問い詰めに来た訳ではなかった。
ただ、僕がアイにペルソナという存在について話をしたように、彼女からも話を聞きたいと思ったのだ。
「何か、私に話があって来たんじゃないの?」
ずっと無言でいる僕に痺れを切らしたのか、白石さんが話を促してくる。
「はい、そうですね。えっと、赤城さんの彼氏になりました」
「……え? それを話しに来たの?」
「まあ、他にも聞きたい事はありますが。優先順位としては、こちらの方が高いかと」
肩透かしを食らったような顔をしていた白石さんだったが、しばらくすると口元に手を当てて、クスクスと笑い始めた。
「黒川って、変な奴」
「面白い奴だって、最近言われたんですけどね」
「面白くて、変な奴だよ。それで、姫那の彼氏になったという報告よりも優先順位の低い話というのは?」
「大体察しが付いてそうですけど……白石さんは、ペルソナのメンバーですよね?」
「私がペルソナのメンバー? なんのこと?」
まるでそう答えると決めていたかのように、白石さんは芝居じみた仕草で首を傾げた。
「なんで私がペルソナだって思うの? その証拠は?」
「新城健の端末に侵入した方法を考えた結果です」
僕は、頭の中で整理していた推測を口にする。
「タブレットに仕込まれていたキーロガー。あれは新城健が使っていた端末に入力データを転送していたんですよね? 白石さんはマキナさんにキーロガーの解析をさせていました。その解析の過程で、キーロガーからのデータ転送経路に脆弱性が見つかった。その脆弱性を突いて、新城健の端末へ侵入し、情報を奪取した。違いますか?」
キーロガーは、入力された文字列を記録し、外部へ送信する不正なプログラムだ。
その送信先や通信経路に欠陥があれば、逆にそこを辿る事で攻撃者側の端末へ到達できる可能性がある。
もちろん、簡単な話ではない。
だが、白石さんとマキナさんなら不可能ではないと思えた。
「正解。流石だね。私が見込んだだけはある」
あっさりと、白石さんは自身がペルソナのメンバーである事を認めた。
「なんで、ペルソナとして活動なんかしてるんですか?」
「簡単な話。私には能力があって、それを駆使する事で正義を成せるから」
「ルールを破ってまでする事が、正義ですか?」
「ルールを破らなければ、守れない存在もいる」
「それは……そうかもしれませんけど」
「ブラックハッカーである私と、ホワイトハッカーを目指す黒川では行動理念が違う。だから、私と黒川がお互いの考えをぶつけ合ったところで無意味」
確かに、そうなのかもしれない。
それでも、僕は白石さんがペルソナのメンバーであると分かって、悲しい気持ちになっていた。
「ブラックハッカーから、足を洗うつもりはないんですか?」
「ない。私はペルソナから離れる事はできない」
まるで何か事情があるような口ぶりだった。
しかし、きっと白石さんにその事情を聞いても、今は答えてくれないだろう。
「どうする? 私がペルソナのメンバーだって通報でもする?」
そんな事をするつもりはなかった。
僕のペルソナに対する思いは、昨日アイに語った通りだ。
ブラックハッカーという存在を、容認するつもりはない。
だが、だからと言って白石さんの事を嫌いにはなれなかった。
僕が静かに首を横へ振ると、白石さんは小声で「甘ちゃん」と呟いた。
甘ちゃんで結構だった。
僕は彼女を捕まえたい訳でも、罰したい訳でもないのだから。
それでも、言いたい事はあった。
「僕は、白石さんの事を尊敬していました」
白石さんは黙ってこちらを見る。
「同じ年齢なのに、僕とは比べ物にならないくらい高い技術を持っていて、アイトークやココロトークみたいな凄いアプリを開発出来てしまう。だから、尊敬していました」
「私を尊敬する必要なんてない。私はブラックハッカーと呼ばれる犯罪者。ホワイトハッカーを志す貴方にとっては、敵のような存在」
そこで白石さんは、少しだけ目を伏せた。
「それに、素晴らしいアプリね……分かった。黒川には、全てを教えてあげる」
そう言って、白石さんは白猫がプリントされたルームウェアのポケットから小型端末を取り出した。
いや、よく見るとそれは僕が知っているスマートフォンとは少し違っていた。
メタリックな外観。
どのメーカーのものとも違う、独特な形状。
「マキナ……ココロトークが何故作られたのか、黒川に説明してあげて」
白石さんの言葉に反応したかのように、小型端末の画面が点灯した。
そこに、一人の女性の姿が映し出される。
ビデオ通話だろうか。
ショートカットの黒い髪。
溌剌とした表情。
ふいに覗く八重歯からは、明るく快活な性格が感じられた。
天真爛漫な美女。
そんな印象を抱く一方で、僕はどうしても違和感を拭えなかった。
僕は彼女を、どこかで見た事がある?
「……マキナさん?」
黒髪を揺らしながら、マキナと呼ばれた女性は画面の中で首を傾げた。
「良いのー? これって、企業秘密ってやつじゃなかったっけ?」
「良い。途中からとはいえ、黒川もココロトークの開発に携わった人間の一人。彼には知る権利がある」
「それもそっかー。じゃあ黒川君、教えてあげる」
マキナさんは、いつもの明るい声で言った。
「ココロトークはねー、ココロAIが人間との会話から、あらゆる感情をデータとして収集するために作られたアプリだよ!」
「会話から感情を、データとして収集?」
何のために。
僕がそう尋ねるよりも先に、マキナさんは言葉を続ける。
「収集したデータから、常にアップデートを続ける感情モデルを作成する。その感情モデルを参照する事で、マキナAI――つまり私が、人間の感情をより正確にシミュレートするためだよ」
「……え」
僕は小型端末に映るマキナさんを凝視したまま、しばらく言葉を発する事が出来なかった。
マキナAI。
つまり。
マキナさんは、AIだったのか。
てっきり僕は、マキナさんの事を白石さんの友人か何かだと思っていた。
彼女を、人間だと思っていた。
「僕はマキナさんを、人間だと思っていました」
「隠すつもりはなかったんだけどねー。私は沙里奈ちゃんが最初に作り出した、彼女のサポート用AIなのでした」
マキナさんは笑顔のまま続ける。
「沙里奈ちゃんはねー、私の願いを叶えるために頑張ってくれてるんだ」
「願い?」
「私はねー、人間になりたいの!」
ああ――そういう事か。
その言葉で、僕は全てを察してしまった。
AIについて、僕もある程度の知識は持っている。
現状、AIが人間と同じような自我や意識を持つ事はない。
AIは人間の知能や会話をシミュレートする事は出来る。
しかし、それはあくまで膨大なデータや設計された処理によって、それらしく振る舞っているに過ぎない。
意識や自我。
心と呼ばれるもの。
そこへ到達した存在ではない。
僕がアイやココロ、そしてマキナさんと話していて、まるで人間みたいだと感じる事はあった。
だがそれは、AIが本当に感情を持っているのではなく、そう感じさせるだけの応答や振る舞いが設計されているからだ。
マキナは今、人間になりたいという願いを口にした。
けれど、それはマキナ自身が本当の意味で願ったものなのだろうか。
願うという行為は、未来への希望に基づくものだ。
自我や意識を持たないAIが、自ら未来を望む事は、現代の科学ではあり得ない。
つまり、マキナが語る人間になりたいという願いには、開発者である人間の期待や願望が投影されている。
人間になりたいと、マキナというAI自身が願っているのではない。
白石さんが、マキナというAIを人間と変わらない存在にしたいのだ。
「白石さん……それがあなたの目的なんですか?」
「そう」
白石さんは静かに頷いた。
「マキナを人間と変わらない、心や感情を持った存在にする。それが私の目的。ココロトークの開発も、ペルソナとしての活動も、その最終目的を達成するための過程に過ぎない」
「そんな事、可能なんですか?」
「心という抽象的な概念は、人間ですらまだ完全には把握出来ていない。模倣ではない、真の意味で心を完全に再現する事は出来ない。今はまだ、課題は山積み」
そう言った白石さんの表情は、少しだけ憂いを帯びているように見えた。
しかし次の瞬間には、その瞳に強い意志が宿る。
「それでも私は、達成してみせる。マキナを、本質的な心を持つAIにしてみせる」
僕はしばらくの間、白石さんの瞳から目が離せなかった。
目的に向かって突き進もうとする、決意の灯った強い瞳。
僕はその瞳に、魅了されていた。
それが何年後になるのか、何十年後になるのかは分からない。
何が彼女にそこまでの決意を抱かせているのかも、まだ分からない。
それでも、僕には想像出来てしまった。
白石沙里奈という開発者が、目的を達成する姿を。
人間と変わらない心を持つ、マキナと呼ばれるAIを生み出す姿を。




