ココロ→マキナ①
朝のホームルームで、二組の担任である池田先生から一つの報告があった。
その内容は、一年三組の担任である新城健が、一身上の都合により教師を辞職することになったというものだった。
新城先生は女子生徒からの人気が高かったこともあり、教室のあちこちから悲鳴にも似た声が上がった。
その直後、池田先生へ向けて様々な質問が飛んだ。
だが、池田先生も詳しい事情までは把握していないらしく、その全てに曖昧な返答をするだけだった。
なんでも昨日、辞職の意思を伝える連絡があって以降、新城健とは一切連絡が取れなくなっているらしい。
ただ、彼は最後の最後で僕にとって厄介な置き土産を残していた。
詳しい事情は、黒川という生徒に聞いてほしい。
そう言い残していたのだ。
説明を全部、僕に丸投げしたらしい。
嫌がらせのつもりだろうか。
ホームルーム終了後、僕は池田先生から職員室へ来るよう呼び出された。
そこで僕は、新城健が行っていたことについて、多少の嘘を交えながら説明することになった。
担任という責任に強いプレッシャーを感じていたこと。
生徒達が問題を起こさないか不安になり、その結果としてタブレット端末へ不正なプログラムを導入してしまったこと。
そして、自らの行為を恥じて教師を辞する決断をしたこと。
アカウント乗っ取りの件や、ペルソナについては触れなかった。
新城健の名誉を必要以上に傷付けないような説明をしてしまったのは、ペルソナに叩きのめされた彼の姿を見て、少しだけ憐れみを感じてしまったからかもしれない。
新城健が最低の人間だったことに変わりはない。
それでも、彼と技術の話をしていた時間が楽しかったのも事実だった。
だからこそ、これ以上追い打ちを掛けるような真似はしなくても良いと思ったのだ。
その後、事情を把握した池田先生から、一年三組の生徒達へ新城先生の辞職理由について説明が行われたらしい。
その話を僕が知ることになったのは、昼休みになってからだった。
◇ ◇ ◇
「「「黒川くーん」」」
「……は?」
昼休みの開始を告げるチャイムが鳴って間もなくのことだった。
一年三組の女子生徒三人が、廊下から僕の名前を呼んでいた。
静まり返る教室の中で、僕は思わず辺りを見回す。
しかし考えてみれば、二組に黒川という生徒は僕しかいない。
慌てふためく僕の様子を見て、三組の女子生徒達はクスクスと笑いながら手を振り、そのまま楽しそうに去っていった。
その後ろに隠れるような形で、赤城さんが立っていた。
彼女は僕を見て笑っていた。
笑いながら、こちらへ歩いてくる。
ちょっとだけ、怖かった。
「黒川君……ご飯、一緒に食べよ?」
「あ、はい。喜んで」
赤城さんの迫力に押されて、なんだか畏まってしまう。
僕は先を歩き始めた赤城さんの後を、まるで姫に付き従う従者のようについていった。
辿り着いたのは、僕達が高校生になって初めて言葉を交わした、図書館の一角だった。
今日も赤城さんはお弁当を作ってきてくれていた。
僕達は隣同士に腰掛け、机の上にお弁当を広げる。
相変わらず、見た目からして美味しそうだった。
「私のクラス、黒川君の話題で持ち切りだよ」
お弁当に感動していると、赤城さんがふいにそんな事を言った。
「なんで?」
「なんでって……三組のみんなからしたらね。黒川君は新城先生の悪事を暴いて、皆を助けてくれたヒーローみたいな存在になってるから」
先ほど女子生徒達が僕の名前を呼んできた理由を、そこでようやく理解した。
「なにそれ……嫌だな。僕、あんまり目立つの好きじゃないんだけど」
「昨日の黒川君、凄くかっこよかった」
それは飾り気のない、素直な誉め言葉だった。
好きな人にそんな事を言われて、嬉しくないはずがない。
「その後に先生からあんな話を聞かされて……黒川君、モテモテになっちゃうかも」
「まあ、人生には三度モテ期が来るって言うしね」
冗談のつもりだった。
だが赤城さんは、不満そうな顔で僕を見つめてくる。
「えっと……僕が好きなのは赤城さんだけだよ」
慌てて本心を口にすると、赤城さんは真剣な表情で僕を見つめ返してきた。
「ねえ、黒川君。昔の話をしてもいい?」
「昔の話?」
「中一の頃の話。私と黒川君が同じクラスで、席も隣だった頃」
「うん。良いけど……どんな話?」
「前にも話したけど、あの頃の私ってちょっと……いや、かなり大変だったんだよね」
赤城さんは小さく笑った。
「お父さんの会社があんな事になって、ニュースでは毎日のようにお父さんの名前が流れてて。それから両親が離婚して、周りの大人もクラスのみんなも凄く心配してくれてた」
その頃の事は、僕もよく覚えていた。
教室へ行く度に、赤城さんの周りには沢山のクラスメイトが集まっていた。
人気者だった彼女を、皆が気遣っていた。
僕はそれを、いつも少し離れた場所から眺めていた。
「こんな事を言うと酷い女だって思われるかもしれないけど、正直ね……その頃は周りの心配が少しだけ煩わしく感じちゃう事もあったの」
赤城さんは静かに続けた。
「だって、大丈夫かって聞かれても、大丈夫って答えるしかなかったから」
その言葉に、僕は何も返せなかった。
「それで色々と限界が来ちゃった時に、一人になった場所で泣いちゃったんだよね」
そして少しだけ悪戯っぽく笑う。
「その時の私を見たの、黒川君だったよね?」
「あ、ごめん。覗くつもりはなかったんだけど……忘れ物を取りに行ったら赤城さんがいて」
「うん。気付いてた」
「え?」
「気付いてたよ」
少しだけ恥ずかしそうに笑いながら、赤城さんは頷いた。
「明日になったら、きっと黒川君も大丈夫かって聞いてくるんだろうなって思ってた……でも黒川君は何も聞いてこなかった」
あの時の僕は、何も言わなかったんじゃない。
何も言えなかったのだ。
もう十分過ぎるほど心配されているだろうと思ったし、何より掛ける言葉が見つからなかった。
「あんな場面を見たのに、黒川君はいつも通り接してくれた。家庭の事にも触れなかったし、泣いてた理由も聞かなかった。学校行事の話とか、授業の話とか、本当に普通の話ばっかりしてくれて」
赤城さんは少しだけ目を伏せた。
「それが嬉しかったの」
その言葉は、静かだった。
だけど、真っ直ぐ胸に届いた。
「実はね」
赤城さんは意を決したように顔を上げる。
「私、前からずっと黒川君の事を意識してた」
心臓が大きく跳ねた。
「だから、その……何が言いたいかっていうとね」
一度言葉を切る。
そして彼女は、照れ臭そうに笑った。
「私ね、もう待てないかも」
その瞬間、彼女が言いたい事が分かった。
だから僕は彼女へ向き直り、自分の気持ちを言葉にした。
「本当は今度のデートで言おうと思ってたんだけど、いま言うね」
息を吸う。
そして。
「赤城さん。僕の彼女になってくれませんか?」
赤城さんの顔が、ぱっと綻んだ。
「はい」
その返事に迷いはなかった。
「私は黒川君の事が大好きです。彼女にしてください」
そう言って、赤城さんは僕へ抱きついてきた。
胸が苦しくなるほど幸せだった。
ずっと好きだった人が、今は腕の中にいる。
それが夢みたいだった。
こうして僕と赤城さんは、晴れて恋人同士になったのだった。




