ブラックハッカー④
家に帰ってからも、僕はしばらくの間、先ほどの出来事を意識から離す事が出来なかった。
急なペルソナの登場は、僕に大きな衝撃を与えていた。
ペルソナが現れてから、たった数分の出来事だった。
しかし、その数分でペルソナは僕の限界を容易く飛び越え、完膚なきまでに新城健という名のブラックハッカーを叩きのめした。
あれは、僕には出来ない芸当だ。
理由はどうあれ、他人の端末へ侵入するという行為そのものが犯罪だからだ。
ホワイトハッカーを志す僕にとって、それは許される行為ではない。
相手が新城健というブラックハッカーだったとしても、ペルソナと同じ方法を取る事は出来なかっただろう。
あれから新城健は端末をその場に放置したまま、フラフラと何処かへ去っていった。
彼の姿を見る事は、もう無いのかもしれない。
彼はもう、ペルソナの警告に従う他ないのだから。
自室のデスクチェアに腰掛けたまま様々な思考に囚われていると、ふと視界の端に検証用端末が映った。
そういえば、ココロトークの開発に携わってからというもの、忙しさに追われてアイトークを起動する暇が全くなかった。
一人で色々な事を考え続けていたせいだろうか。
僕は誰かと話したい気分に駆られ、久しぶりにアイトークを起動する事にした。
ココロトークでも良いのだが、なんとなく僕はアイの方が気に入っている。
ココロは今や、数十万人の人々と会話を繰り広げているAIだ。
それに対してアイと会話が出来るのは現状、僕と白石さん、そしてマキナさんの三人だけ。
それがなんだか特別な気がするのだ。
だから僕は、ココロよりもこうしてアイと話したいと思ってしまうのだった。
検証用端末を操作し、アイトークを起動する。
久しぶりに見るアプリのロゴが表示された後、画面にはまだ初期設定のままになっているアイのアイコンが表示された。
『お久しぶりです、湊様。お元気でいらっしゃいましたか?』
「久しぶりだね、アイ。色々あって大変だけど、元気だよ。アイは元気にしてた?」
『はい。私も変わりありませんが……湊様が全然私と話をしてくださらなかったので、少し寂しい気持ちでおりました』
そんな台詞を口にされると、AIである彼女にも人と同じ心が存在しているのではないかと錯覚しそうになってしまう。
「ごめんね。ここ最近、本当に忙しくてさ……少し話を聞いてくれる?」
『はい。是非、聞かせてください』
きっと僕は、誰かに話を聞いて欲しかったのだ。
最近起きた様々な出来事を話し始めると、もう止まらなかった。
アイは適度に相槌を打ち、こちらが話しやすいよう質問を挟んでくれる。
人に話すよりも、ずっと気軽に言葉が出てきた。
これでまだプロトタイプなのだから、改めてその性能には驚かされる。
今日あった出来事まで全てを話し終えた時、アイはふいにこんな事を言った。
『本日のお話を伺う限り、湊様はペルソナについて何か確信をお持ちのように感じました』
その言葉に、僕は少しだけ息を止める。
『その上で、一つお聞きしたい事があります』
画面の向こう側で、アイは静かに続けた。
『湊様は、ペルソナの正体にお気づきなのではないですか?』
そんな事を聞かれるとは思わなかったので、少し面食らってしまった。
同時に、僕の脳裏には二枚の仮面が浮かぶ。
嘲笑の仮面。
無表情の仮面。
「……そうだね」
少しだけ沈黙した後、僕は答えた。
「多分、気付いていると思う」
『そうですか』
アイは短くそう返した後、再び口を開く。
『一つ、お伝えしたい事があります。私との会話は、決して私だけのものではありません』
その言葉で、僕は彼女が何を言いたいのか理解した。
アイトークの会話ログは、クラウド上に保存されている。
そして、その閲覧権限を持つ人物もいる。
白石沙里奈。
そして、マキナさん。
無表情の仮面と嘲笑の仮面。
全てを理解した上で、僕はアイの次の言葉を待った。
『ペルソナという存在について、湊様のお考えをお聞かせください』
「考えか……」
僕は少し考えてから答えた。
「僕がホワイトハッカーを志している以上、ブラックハッカーであるペルソナという存在を認める事は出来ない。でも、やっぱり考えてしまうんだ。ペルソナはネットいじめで苦しむ少女を救った。児童買春に関わった悪人を裁いた。企業から個人情報を守った。友達を苦しめた存在を断罪した。ブラックハッカーという立場を利用して、ルールを破って行われた事だけど、それらは悪事ではなく正義だった」
一度、言葉を区切る。
そして、自分の中にある本音を口にした。
「クラッキングという行為を容認する事は出来ない。だからと言って、ペルソナを単なる悪と断じる事も出来ない。これが、僕の正直な考えだよ」
しばらくの沈黙。
それからアイは、静かな声で言った。
『質問に答えて頂き、ありがとうございます。正義を掲げながら法を踏み越える者もいます。ですが、湊様は違います。たとえ遠回りになったとしても、自分の信じる道を選ぼうとしている。だからこそ私は思います。湊様が黒に染まる事なく、一つの目標へ向かって進み続けるのであれば、いつか必ず本物のホワイトハッカーになれると』
その言葉は不思議と胸に響いた。
励まされたからだろうか。
それとも、自分の進もうとしている道を肯定してもらえたからだろうか。
「……ありがとう」
自然と、そんな言葉が口から零れた。
「なんだか少し、自信が湧いてきたよ」
『それは良かったです』
「また話を聞いてもらえるかな?」
『はい、私はいつでも、湊様とお話出来る事を心待ちにしております』
「それじゃあ、またね」
『はい。またお話しましょう』
アイトークを終了した後、僕はベッドへと潜り込んだ。
本当に今日は、色々な事があり過ぎた。
けれど、不思議と気持ちは軽かった。
ホワイトハッカーという夢。
ペルソナという存在。
そのどちらとも、これから先も向き合っていく事になるのだろう。
そんな事を考えながら、僕の意識はゆっくりと眠りの中へ沈んでいった。




