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ブラックハッカー②

 情報処理部の部室へとやってきた僕は、すぐに新城先生の姿を探した。


 近くにいた部員に話を聞くと、彼は奥の準備室に籠っているとの事だった。


 僕は教えてくれた部員に礼を言った後、準備室のドアの前へ移動してノックをする。


 しばらくして、ドアの隙間から新城先生が顔を覗かせた。


「おお、遅かったな。なんか話があるんだろ?」

「ええ。出来れば二人で話したいんですが」

「そうか。なら入れ」


 新城先生に促され、僕は準備室の中へ入った。


 準備室に入るのは、これが初めてだった。


 狭い室内の窓際にはPCデスクとチェアが配置されており、奥のラックには予備と思われるPC端末や、サーバとして使用されているらしい機器がいくつか並べられている。


 新城先生は、窓際にあるデスクチェアへ腰掛けた。


 デスクの上には、以前も見た彼の端末であるThinkPadが起動状態で置かれている。


 僕はすぐ傍にあったパイプ椅子を広げ、彼の近くに腰を落ち着かせた。


「来るのに結構時間が掛かったな。うちのクラスに用があったみたいだけど、誰か仲良いやつでもいるのか?」


 新城先生は自身の端末を操作しながら、僕に背を向けた状態で質問してきた。


「はい。赤城さんとは、仲良くさせてもらっています」

「……そうなのか。黒川と赤城が一緒にいる所は見たことがないから、意外だな」

「仲良くなり始めたのも、一か月前くらいからなので。クラスも違いますし、学園内で話す事もあまりありませんから」

「へえ……それで、俺と話したい事ってなんだ?」


 僕と赤城さんの仲については、そこまで興味がないらしい。


 新城先生の背中が、早く本題に入れと語っていた。


 それならば、こちらも遠回しにする必要はない。


 僕は小さく息を吸い、彼の背中に問いかけた。


「一年三組の生徒全員のタブレット端末で、不正なプログラムと思われるキーロガーが稼働していました。これについて、先生から説明をお願いできますか?」


 端末を操作する新城先生の手が止まる。


 彼はPCチェアをくるりと回転させ、こちらに向き直った。


「……どうやって気づいた?」

「先生もご存じの筈ですが、先日赤城さんのSNSアカウントが乗っ取りの被害に遭いましたよね。さっきも言った通り、僕と赤城さんは仲が良いんです。だから、彼女が設定していたパスワードがどこから漏れたのか調査しました」


 僕は新城先生の目を見たまま、言葉を続ける。


「その結果、彼女が利用しているタブレットで不審なプログラムが稼働していて、それを解析したところキーロガーであることが判明しました。聞けば数か月前に、同様の被害に遭った生徒もいるそうですね。菊島大幸。彼も貴方のクラスの生徒です」


 新城先生の表情は変わらない。


「それも不審に思ったので、先ほど一年三組の生徒全員のタブレットを調査しました。同じプログラムが動いていましたよ。これは一体、どういうことですか?」


 僕の言葉が終わっても、新城先生は無言のままだった。


 僕は更に言葉を続ける。


「生徒にタブレットが支給されたのは、四月の入学式の時です。各生徒がパスワードを設定したのも、その時でした。つまり、タブレットにキーロガーが仕込まれたのは、それ以前という事になります。一年三組の生徒に配布される予定のタブレットを操作できて、あのようなマルウェアを入手、あるいは作成できる人物は誰なのか……先生以外にはいませんよね?」


 僕の言葉が終わると、新城先生はしばらく無言でこちらをジッと見つめた後に、小さく息を吐いた。


「……はあ、お前のような生徒がいるとはな」


 そして、彼はあまりにもあっさりと告げた。


「認めるよ。確かに、生徒達のタブレット端末にキーロガーを仕込んだのは俺だ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。


 やはり、そうだったのだ。


「だがな、黒川。お前、勘違いしていないか?」

「勘違い?」

「確かにキーロガーを仕込んだのは俺だ。だが、それは生徒達の事を思ってのことだ。生徒達が何か犯罪に関わるような事を検索していたりしないか、そういうのが心配だったんだよ」


 僕にはそれが、言い訳にしか聞こえなかった。


 普通に考えて、生徒達の操作ログを監視したいだけなら、わざわざダークウェブ上で流通しているようなマルウェアを使う必要はない。


 監視や管理を目的とするなら、学校側で正式に導入できる管理ソフトを使えば良い。


 その方が安全だし、手続きとしても筋が通っている。


「僕の友人が、今回検出したキーロガーと同様のものがダークウェブ上で販売されている事を確認しています。これについては、どう説明しますか?」

「……え? そうなのか?」


 新城先生は、わざとらしく眉を上げた。


「それは知らなかった。俺は顔も知らないネットの知人からもらったプログラムを利用させてもらっただけなんだよ」


 それもまた、言い訳にしか聞こえなかった。


 僕の中で、彼に対する感情が少しずつ冷めていく。


「キーロガーの導入は学園の総意ですか? 違いますよね? 先生の独断でやった事じゃないんですか?」

「ああ、俺が独断でやった事だよ」

「学園の総意で、生徒達を守るために監視用のプログラムを導入するなら、まだ理解はできます。それでも、生徒に内緒でというのには納得できませんし、ダークウェブに流れているようなマルウェアを利用する事自体が危険です」


 僕は言葉を止めずに続ける。


「本来なら、タブレット端末を利用する上でのポリシーを定めた上で、正式な管理ソフトを導入すべきです。そして、それを生徒達に公表すべきです。そうでなければ、生徒達のプライバシーが守られていない事になります」

「ああ、お前の言いたい事は分かっている」


 新城先生は、少し困ったように笑った。


「でもな、俺も今回初めてクラスを受け持つことになって、自分の生徒達が問題を起こさないか不安だったんだよ。そのプレッシャーに負けて、あのプログラムを利用してしまったんだ。そこは分かってくれ」


 あまりにも都合の良い言葉だった。


「アカウント乗っ取りの件については、どう説明するんですか?」

「それについては言わせてくれ」


 新城先生はすぐに返す。


「確かに俺はキーロガーを仕込みはしたが、アカウント乗っ取りなんかしていない」

「赤城さんが利用していたパスワードは、タブレット端末からしか漏洩していません」

「絶対にそうだと言い切れるか? 別の場所から漏洩した可能性だって、ゼロとは言えないだろう?」


 それは……反論ができない。


 僕は赤城さんの行動すべてを把握している訳ではない。


 例えば、誰かが背後から画面や手元を覗き見てパスワードを盗む、ショルダーハッキングと呼ばれる手法がある。


 これは、高度な技術を必要としない。


 相手が入力している文字列を目視で盗み見るという、人間の油断を突く古典的な手口だ。


 赤城さんのように複雑なパスワードを一瞬で記憶する必要がある以上、可能性は低い。


 だが、ゼロとは言い切れない。


「お前は俺が赤城と菊島のアカウントを乗っ取ったと考えているかもしれないが、それは状況証拠からだろう? 俺が二人のアカウントを乗っ取ったという、明確な証拠はないだろう」


 その通りだった。


 僕は新城先生がアカウントを乗っ取ったという、明確な証拠を持っていない。


 あるのは、彼がキーロガーを端末に仕込み、パスワードを知れる立場にあったという状況証拠だけだ。


 新城先生がアカウントの乗っ取り犯であることを、僕の本能が告げている。


 しかし、明確な証拠がないこの状況で、彼を犯人だと断定する事はできなかった。


「……そうですね。先生がアカウントの乗っ取りをしたと断言する事は出来ません」

「俺はしていないからな」


 新城先生は、どこか勝ち誇ったように言った。


「キーロガーの件は、確かに俺が悪い。ちゃんと上に許可を取ったうえで、生徒達にも説明をするべきだった。明日にでもそっちの方向で話を進めるから、あまり話を大きくしないでもらえるか?」


 そうやって僕という生徒に懇願する彼の姿が、あまりにも小さく見えた。


「……分かりました。三組の生徒達も不安を感じていると思うので、ちゃんと説明だけはしてあげてください」

「ああ、分かった。話は終わりで良いか?」


 ここが限界だと感じた。


 僕にできるのは、ここまでだ。


 卑怯な大人らしい尤もらしい言葉を並べ、罪から逃れようとする彼を糾弾したい気持ちはある。


 しかし、これ以上話をしても、事態が別の方向へ進んでいくことはないだろう。


 僕にはもう、打つ手がない。


「……はい。話は以上です。これで失礼します」


 無力感に苛まれながら、僕はパイプ椅子から立ち上がろうとした。


 その時だった。


『まっさかー、これで終わる訳ないよねー?』


 その声は、突如として準備室の中に響いた。


 ボイスチェンジャーを使用したような、この場にそぐわない機械的な音声。


 新城先生の目が、驚きに見開かれる。


 きっと、僕も同じような顔をしていることだろう。


 僕と新城先生は同時に、声の出どころへ視線を向けた。


 新城先生が先程まで操作していた、ThinkPad。


 その画面内。


 哄笑する仮面と、無表情の仮面。


 二枚の白い仮面が、画面の中でくるくると舞い踊っていた。

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