ブラックハッカー①
ホワイトハッカーになるという目標を立ててから、僕は様々な技術や知識を学んできた。
だが、どんな技術や知識よりも大切だと感じるものがある。
それは、セキュリティに対する意識だ。
近年はサイバー攻撃による被害だけではなく、個人のセキュリティ意識の欠如によって被害に遭うケースも数多く見られる。
赤城さんの件が、まさにそうだった。
もし彼女がサービスごとに異なるパスワードを設定していれば、SNSアカウントが乗っ取られることはなかったかもしれない。
セキュリティ意識を持つこと。
それがどれだけ重要なのかを伝えていくことも、ホワイトハッカーに必要な役割なのだと僕は思う。
その上で、僕に今できることは何なのかを考えた。
赤城さんのタブレットに仕込まれていたキーロガー。
あれが赤城さんだけを狙ったものだとは思えなかった。
むしろ逆だ。情報処理部で聞いた生徒たちの会話。
『最近多いよねー。急に重くなったり、変なタイミングで固まったり』
赤城さんから聞いた噂。
『学校支給のタブレットが怪しいんじゃないかって騒いでる子が結構いて』
そして、菊島君のアカウント乗っ取り被害。
点だった情報が、少しずつ繋がり始めていた。
もし僕の予想が正しければ、キーロガーは赤城さんだけではなく、一年三組の生徒全員の端末に仕込まれている可能性が高い。
それを確認するため、僕は赤城さんにクラス全員のタブレット端末を確認できる時間を作れないか相談した。
赤城さんは人気者だ。
彼女からのお願いであれば、クラスメイトたちも協力してくれるだろう。
結果として、放課後に三十分だけ時間をもらえることになった。
僕はその時間を使って、自分にできることをするつもりだった。
◇ ◇ ◇
もうすぐ期末考査と夏休みが迫っていることもあり、学園全体にどこか落ち着かない空気が漂っていた。
そんな六月の放課後。
僕はすぐに一年三組の教室へ向かった。
ちょうどホームルームが終わったところだったらしい。
教室の扉が開き、新城先生が出てくる。
「おお、黒川。どうした?」
「……ちょっと用があって。先生、今日は部室にいますか?」
「ああ。俺は大抵、放課後はあそこにいるからな。なんだ、今日は顔を出すのか?」
「そうですね。後で顔を出します」
一拍置いて続ける。
「先生とも、少し話したいことがあるので」
「そうか。それなら後でな」
そう言って、新城先生は廊下の奥へと歩いていった。
その背中を見送りながら、僕は小さく息を吐く。
そして、緊張を振り払うように前を見て、僕は教室の中へ入った。
教室の中にいた生徒達が、一斉に僕へと視線を向けた。
少したじろぎながらも、僕は赤城さんの姿を探す。
僕の存在に気付いた赤城さんが、すぐさま駆け寄ってきた。
「黒川君。一応、皆には簡単に私がSNSのアカウントを乗っ取られた件に関連することで、黒川君から話がある旨は伝えてあるから」
「そっか、ありがとう」
既に赤城さんは、情報の頭出しまでしていてくれたようだ。
それは大分話しやすくなるので助かるなと思いながら、僕はクラスの人達からの視線を浴びながらも教壇の前に立った。
僕の横に、赤城さんが立つ。彼女と一度目を合わせてから、僕はクラスの人達へと向けて口を開いた。
「一年三組の皆さん、今日はお時間を頂きありがとうございます。一年二組の黒川湊です。既に赤城さんからお話を聞いていると思いますが、先日彼女が利用しているSNSのアカウントが何者かによって乗っ取られました。その原因を調査したところ、彼女が利用していた学園支給のタブレットに、不正なプログラムがインストールされている事が分かりました。このプログラムが悪さをし、赤城さんが利用しているパスワードが乗っ取り犯に漏れてしまった事が原因と思われます」
そこで一度言葉を区切り、一年三組の生徒全員の顔を見回す。
みんな真剣に、僕の話を聞いてくれているようだった。
僕は安堵しながら、再度言葉を続ける。
「見つかった不正なプログラムですが、皆さんのタブレットにもインストールされている可能性があります。今から僕が、皆さんに支給されているタブレットでシステムの一覧を表示する手順を黒板に記載します。その手順通りに、タブレットを操作してください。システムの一覧から不正なプログラムがあるかどうかを僕が確認して存在するようであれば消去するので、お願いします」
クラスの人達に説明しながら、僕は黒板にタブレットでシステムの一覧を表示する手順を記載していく。
こうやって視線を集めながら黒板に板書していると、まるで教師にでもなったような気分だった。
「こちらの手順に沿って、システムの一覧が表示できた人は手を挙げてください。順次、確認しにいきますので」
板書が終わりしばらく待っていると、ぽつぽつと手が挙がりはじめる。
手始めに、僕は最初に手を挙げてくれた人物の席へと移動する。
その生徒には、見覚えがあった。
菊島大幸。佐倉さんや園山さんの話に出てきた人物だ。
新城先生に舌打ちをして、態度の悪さを見せていたのを今でも覚えている。
「タブレット、見させてもらうね」
「ああ」
短いやり取りの後、僕は菊島君のタブレット端末を操作して、システムの一覧にキーロガーが存在していないかを確認していく。
予想通り、システム領域に隠されるようにして赤城さんのタブレット端末にあったのと全く同じマルウェアが稼働していた。
僕はそのマルウェア削除した後、タブレット端末を再起動させる。
「ありがとう。返すよ」
「不正プログラムっていうのはあったのか?」
「うん。あったね。削除もしておいた」
「俺も赤城と同じように、ショッピングサイトのアカウントが誰かに不正利用された事がある。いまお前が削除してくれたプログラムが原因だったってことか?」
「多分そうなんだろうね。あとはやっぱり、君のパスワードやIDの管理方法にも問題があったと思うよ。そこら辺についても説明するから、待っていてくれる?」
僕の言葉を聞いて、菊島君は頷いてから腕を組み、机の上に置いたタブレット端末に視線を落としまま黙り込んだ。
僕は近くにいた次の生徒の席へと移動し、菊島君に行ったのと同様の作業を実施した。
それをひたすら繰り返していく。一クラス三十名はいるので、中々に骨が折れる作業ではあった。
一年三組全ての生徒への対応が終わった事を確認してから、僕は再び教壇の上に立ち、クラス全員を見渡した。
思っていた通り、このクラスに在籍している生徒全てのタブレット端末に、キーロガーが仕込まれていた。
僕とは違い、部活動で忙しい生徒もいるだろう。
それなのに、わざわざこうやって時間を作ってもらったのだ。
僕にはこの事態について、説明する責任がある。
「ご協力ありがとうございました。僕が説明した通り、皆さんのタブレットには不正なプログラムが仕込まれていましたのでそれは除去しました。プログラムの除去にかなり時間を使ってしまったので詳細な説明は省きますが、タブレットは通常通り利用してもらって問題ありません。そこからパスワードが漏洩するような事は、もうないと思います」
僕の報告を聞き、教室内が少しざわめき始めた。
学園から支給されたタブレット内で不正なプログラムが動いていたという事実は、彼らを驚かせるには十分だったのだろう。
僕は咳払いを一つしてから、言葉を続ける。
「今回の件を受けて、僕から皆さんに伝えておきたい事があります。今回のように、自身が保有している端末から情報が漏れてしまう事は稀ではありません。個人個人のセキュリティに対する意識が欠如していれば、ブラックハッカーと呼ばれる悪い人たちは容易に個人情報を盗むことが出来てしまいます。インターネットの利用が身近になった今、僕たちの個人情報やプライバシーというものは常にリスクに晒されています。セキュリティへの意思を高める事が、自分自身を守るために必要不可欠だと僕は思っています。サービスを利用する際には、推測されやすい安易なパスワードではなく強固なパスワードを設定してください。そしてそれを複数のサービスで使いまわすような事はしないでください。身に覚えのないメールを開かない、公共のWiFi利用には注意する、信頼性の高いセキュリティソフトを導入する……個人の情報を守るために出来る事は沢山あります。こういった事に意識を向けてください。皆さんが被害に遭われない為にも、よろしくお願いします」
話をする前にはざわついていた教室内が、今は静まり返っていた。
みんな、あっけに取られたような表情で僕を見ている。
よく知りもしない生徒がやってきて、急に説教めいた事を話始めたのだ。
この反応も、致し方ないだろう。
横を見ると、赤城さんもジーっとこちらを見つめていた。
何故だか彼女からの視線だけは、クラスの人達とは違う温度を感じた。
「話が長くなってしまって、すみません。僕が伝えたかった事は以上です。えっと、なんかセキュリティについて聞きたい事とかあったら、いつでも質問とか受け付けているので……まあ、はい、そんな感じです。今日はお時間頂きありがとうございました」
最後の方は少しだけ、しどろもどろになってしまった。
やるべき事はやった。
言いたい事も言った。
ここでの僕の役目は、もう終わりだ。
「赤城さんも、ありがとね」
「え、あ、うん」
赤城さんは頷いてからも、僕の事をボーっと見つめ続けていた。
そんな赤城さんの様子が少し気にはなったのだが、あまり長居をして三組のみんなをここに留めてしまうのも悪い。
僕は一年三組の生徒達をその場に残して、そそくさと教室を後にした。
さて、今日はここからもう一仕事する必要がある。
これから話を聞きにいかなければならない。
新城健。
一年三組の担任である彼に、なぜクラスの人達のタブレット端末に不正なプログラムをインストールしたのかを聞きにいかなければならない。




