キーロガー⑥
僕の声がほとんど届かなくなってしまった白石さんに別れを告げ、彼女の家を後にした僕は、バス停へ向かう道を歩いていた。
歩きながらも、頭の中では様々な考えが巡っている。
あの様子から察するに、白石さんはもう事態の解決に向けて独自に動き始めているのだろう。
白石さんは天才だ。
僕には思いつかないような方法で、この問題を鮮やかに解決してしまう気がする。
だが、だからといって全てを彼女に任せて傍観者になるつもりはなかった。
赤城さんを標的にしたブラックハッカーを見過ごすつもりはない。
もし僕の考えが正しいのだとしたら――。
「黒川君」
不意に名前を呼ばれ、顔を上げた。
すぐ傍に赤城さんが立っていた。
考え事に夢中になり過ぎて、声を掛けられるまで気付かなかった。
「赤城さん。ごめん、全然気付かなかった」
「ずっと下向いて歩いてたから、そうだろうなって思った」
そう言って彼女は小さく笑う。
「ちゃんと前向いて歩かないと危ないよ?」
「そうだね……あ」
そこで、ふと思い出した。
「ごめん。タブレットなんだけど、白石さんに渡したままだ」
「そうなんだ。でも大丈夫。後で返してもらうから」
そこで会話が途切れる。
数秒、互いの顔を見つめ合った。
夕陽に照らされた赤城さんの横顔を見ていると、先日の出来事が自然と脳裏に蘇る。
あの時の柔らかな感触まで思い出してしまい、慌てて視線を逸らした。
どうやら赤城さんも同じらしい。
髪を撫でながら、少しだけ照れたように目を逸らしている。
「えっと……そうだ」
気まずさを誤魔化すように、僕は話題を変えた。
「パスワードが漏れた原因、多分だけど特定できそうなんだ。だから、もう大丈夫だと思う」
「そうなんだ」
赤城さんは、安心したように微笑んだ。
「私のために色々調べてくれてたんだよね。ありがとう」
「いや、そんなの当然だから」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
赤城さんは優しく笑っている。
また沈黙が訪れた。その沈黙すら、どこか心地良い。
「じゃあ私、帰るね。また明日」
そう言って、赤城さんが僕の横を通り過ぎようとした。
気付けば僕は、彼女の腕を掴んでいた。
「え?」
「あ、ごめん」
慌てて手を離す。
だが赤城さんは怒るどころか、どこか楽しそうに笑っていた。
「黒川君は、私と離れ難いのかな?」
いつもの調子だった。
気を遣わせないように。僕が変に緊張しないように。
彼女なりの優しさなのだろう。
「うん、そうだね」
今度は誤魔化さなかった。
「ちゃんと赤城さんと話したいって思ってたから」
赤城さんの目が少しだけ丸くなり、嬉しそうに微笑んだ。
「そっか。奇遇だね。私もそう思ってた」
彼女と同じ気持ちだと分かり、胸が熱くなる。
「近いうちに、また出掛けようか」
「うん」
「今度は二人で」
「いいね!」
赤城さんの表情が、ぱっと明るくなる。
「じゃあ今度こそ、デートコースは任せたよ」
その笑顔に見惚れてしまう。
夕陽に照らされた彼女は、本当に綺麗だった。
「それじゃあ、また明日」
「うん。また明日」
僕たちはそう言葉を交わし、それぞれの帰路についた。
胸の中が温かかった。
彼女の笑顔を思い出すだけで、自然と顔が緩んでしまう。
そんな夢心地のまま、僕は再びバス停へ向かって歩き始めた。
その時だった。路肩に停まっている、一台の黒いセダンが目に入る。
運転席側の窓が開いており、サングラスを掛けた男がこちらを見ていた。
嫌な視線だった。まるで獲物を観察するような。
思わず視線を逸らし、そのまま通り過ぎようとする。
触らぬ神に祟りなし。関わらないのが一番だ。
「なあ、そこのお前!」
だが、男の方から声を掛けてきた。
「ちょっといいか?」
露骨に怪しい。
このまま無視してバス停まで逃げようか。
そんな考えが頭を過ぎる。
しかし、その直後。
「さっき姫那と話してただろ?」
男はそう言った。
「少し話を聞かせてくれよ」
赤城さんの名前を出されてしまっては、無視する訳にもいかなかった。
僕は警戒しながら車へ近付く。
「どうして赤城さんの名前を? あなた誰ですか?」
男は口元を歪めてにやりと笑い、ゆっくりとサングラスを外した。
そして、僕を真っ直ぐ見据えながら言う。
「俺はな――姫那の父親だよ」




