キーロガー⑤
赤城さんからタブレット端末を借り受けたその日の放課後、僕はすぐに帰宅準備を済ませて校内を後にした。
向かう先は、白石さん宅だった。
タブレット端末の調査結果をメッセージで彼女に伝えたところ、放課後に来るよう言われたからだ。
赤城さんは、今日は部活に顔を出すと言っていたので別行動となった。
昨日のSNSの件について、部員たちにもきちんと説明しておきたいらしい。
白石さん宅へ到着すると、彼女はいつものルームウェア姿のまま玄関で僕を出迎えてくれた。
「マキナに調べさせるから、姫那のタブレット端末を貸してくれる?」
リビングへ通された僕に向かって、白石さんは手を差し出した。
僕は鞄からタブレット端末を取り出し、それを手渡す。
端末を受け取った白石さんは「ちょっと待ってて」とだけ告げると、そのままリビングを出て行った。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、以前も見たノートPCが抱えられていた。
僕の向かい側へ腰掛けると、早速話し始める。
「タブレットで動いていたプログラムについては、いまマキナに調べさせてる。一応、私の方の調査結果も共有しておくけど、姫那が母親と共有しているPCには特に怪しい部分は見当たらなかった」
白石さんが調べたのなら間違いないだろう。
となると、やはり問題はタブレット端末の方だ。
「……まさかとは思ったけど」
白石さんはPCを操作しながら呟く。
そして数秒後、こちらへ視線を向けた。
「マキナから報告。タブレットで稼働していたプログラムの解析が終わった」
一拍置いて、白石さんは告げる。
「黒川も予想していたと思うけど、キーロガーだった」
嫌な予感が現実へと変わる。
「タブレット上で入力された情報が記録されていて、特定のサーバへ送信される仕組みになってる」
つまり――赤城さんのパスワードは、このタブレットから漏れた可能性が極めて高い。
そうなると次に考えるべき事は一つだった。
誰が、この端末へキーロガーを仕込んだのか。
学園支給のタブレットが配布されたのは入学式の日。
その場で各自がパスワードを設定した。
だとすれば、パスワード設定後にキーロガーを仕込んだとは考えづらい。
その時点ではまだ、盗むべきパスワードが存在していなかったからだ。
つまり……キーロガーは、生徒へ配布される前の段階で仕込まれていた可能性が高い。
端末が配布される前に自由に触れられた人物。
その条件を満たす人間は、そう多くない。
「マキナから追加報告」
白石さんが続ける。
「姫那の端末に入っていたキーロガーだけど、同じものがダークウェブ上で販売されているらしい」
「ダークウェブ……」
「つまり、このマルウェアを購入して利用したか、もしくは自分で開発したものを販売している人物が関与している可能性が高い」
マルウェアとは、悪意ある目的で作られたプログラムの総称だ。
今回のキーロガーも、その一種である事は間違いない。
利用者の利便性を向上させるためのものではなく、他人の情報を盗み出すために作られたものだからだ。
そういったプログラムを入手する手段は限られている。
自分で開発するか、ダークウェブのような裏市場で入手するか。
どちらにしても、相応の知識を持った人物が関与している事になる。
そして、その人物は生徒へ配布される前のタブレットにアクセスできた。
そんな条件を満たす人間を、僕は一人しか知らなかった。
思考の海へ沈みかけていた僕の耳に、規則正しい打鍵音が届いた。
白石さんが猛烈な勢いでキーボードを叩いている。
静かな打鍵音。
しかし、その速度は尋常ではない。
画面を見つめる瞳は鋭く、周囲の存在など完全に意識の外へ追いやっているようだった。
「なに……しているんですか?」
思わず声を掛ける。
だが、返事はない。
白石さんは聞こえていないかのようにキーボードを叩き続けていた。
恐ろしいほどの集中力だった。
もうこの部屋に僕がいる事すら、忘れているのではないかと思えるほどに。




