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赤城姫那のお願い②

 僕が赤城さんと出会ったのは、この学園に入学した日のことだ。


 彼女は入学を果たした生徒たちの中でも、特に目を惹く存在だった。


 まっすぐに伸びた黒髪と、背筋をしゃんと伸ばした姿勢。

 

 まだ着慣れていないはずの制服さえ、まるでずっと前から身にまとっていたかのように自然だった。


 誰もが新しい環境に戸惑いや不安の表情を見せる中で、彼女だけは迷いなくそこに立っていた。


 彼女と同じクラス。

 そして、最初の席替えで隣の席になったと分かった瞬間、僕の心臓がひときわ強く跳ねたのをよく覚えている。


 ガタガタと机を引きずりながら、僕は赤城さんの隣に座った。

 

 すぐそこに彼女がいる。ただそれだけで、耳の奥がずっと熱かった。


「よろしく、黒川くん」


 そう言って、隣の席にいた赤城さんが、にこっと笑った。


 その笑顔は、作り物じゃなかった。気取ってもいなかった。

 まっすぐに、僕へ向けられていた。


 言葉に詰まりながらも、こくりと頷くのが精一杯だった。


 僕は、自分でも分かるくらいに普通だった。


 特別勉強ができるわけでも、運動が得意なわけでもない。

 

 目立たず、注目されるのは苦手で、クラスでは隅っこの方で静かに過ごしていたいタイプ。


 そんな僕に、彼女はあたりまえのように毎日話しかけてくれた。


 どんな話をしたかなんて、後から思い出せなくなるくらいに、毎日ドキドキしていた。


 僕が彼女に恋をするのに、そこまで時間は掛からなかった。


 どこか特別で、でも気さくで、誰にでも優しい。


 そんな彼女が、夕暮れの教室で一人涙を流していた。


 その時の映像は、今も脳裏に強く焼き付いている。


 ◇   ◇   ◇


「黒川君と話をするのって、中学生の時以来だよね?」


 図書館の席に腰を落ち着かせた赤城さんの、第一声がそれだった。


「うん。赤城さんとは、中学一年の時に同じクラスだったよね」

「そうそう。隣の席になったことがあったんだけど、覚えてるかな?」

「そりゃあもう、忘れる筈がないよ」


 つい今しがた、その時の事を思い返していたばかりだ。


「忘れる筈がないって……さっきから意味あり気だなー」


 変な事を言ったつもりはないのだが、赤城さんは何故か照れ臭そうに鼻頭を掻いた。


「それからはずっと別々のクラスだから、話す機会は全然なかったよね」


 同じ中高一貫校に通っていながら、僕と赤城さんが同じクラスになったのは中学一年の時だけだったので、こうやってちゃんと話すのは実に三年ぶりだった。


「赤城さんは人気者だからね。僕はほら、見ての通りぼっちだし」


 同じ学園内にいても、彼女と僕とでは住む世界がまるで違う。

 

 彼女は誰からも愛されており、僕は誰からも興味を持たれていない。


 そんなスクールカーストの最上位に位置する赤城さんと、底辺に位置する僕がこうやって二人で会話をしていること自体が、珍しい事なのだろう。


「どうして、僕なんかに声を?」


 それは僕の立場からすると、ごく自然な質問だった。


 しかし、何かが気に障ったのか、赤城さんは眉根を顰める。


「僕なんかって……そういう言い方好きじゃないな。君はそんな風に、卑下する必要のない人間だと私は思っているけど?」

「あ、えっと……ごめん」

「卑下する必要もなければ、謝る必要もないんじゃない? 私達は同級生なんだから、もっと対等な立場で普通に接して欲しいな。じゃないと、私も傷つくよ?」


 そうだった。僕が好きになった赤城姫那という人は、こういう人だった。


 誰に対しても分け隔てなく笑顔で接し、その笑顔や言葉で皆に元気をくれる。綺麗で可憐な、花のような存在。


 そんな優しい言葉を向けてくれる彼女を、僕は好きになったのだった。


「うん、ありがとう。赤城さんみたいに綺麗な人と話すのに慣れていなくて、ちょっと動揺しちゃったけど、もう大丈夫」

「……黒川君って、そんなに直球型だったっけ?」

「直球型?」

「いや、いいの。気にしないで。さっきの質問の答えだけど、黒川君がスマホで見ていたウェブサイト、私の幼馴染も前に見ていたんだよね。それが気になったの」


 赤城さんが言っているウェブサイトというと、CTFのサイトで間違いないだろう。


 あのサイトを訪れるのは、ハッキングスキルに興味のある人や、技術に長けた人くらいだ。

 

 まさか赤城さんの幼馴染も僕と同じで、そういった分野に興味のある人なのだろうか。


「赤城さんの幼馴染って、ハッキングとかに興味のある人なの?」

「興味……っていうレベルじゃないと思う」

「レベルじゃない?」

「あの子は天才だから。黒川君が見ていたそのサイトって、確かランキングみたいなのあったよね? そこで一位になっていた期間があるって言ってたよ」

「……は?」


 その言葉を聞いて、僕は思わず変な声を漏らしてしまった。


 あのサイトで、一位になっていた?


 それは一体、どれ程のハッキングスキルを有していれば出来る芸当なのだろうか。


 あのサイトに存在する各種CTFに挑戦するには、インフラや関連ツールに対する一定以上の知識が必要となっている。

 

 その知識がある事を参加条件としているため、サイトに登録するだけでも、ある程度の技術と知識が必要なのだ。


 世界各国、五十万人以上いる登録者の全てが、その参加条件をクリアしている。


 そんな中、ランキングで一位を取るというのは決して簡単な事ではない。


 それに、赤城さんの幼馴染という事は……。


「え、ちょっと待って。赤城さんの幼馴染ってことは、僕たちと同じ歳ってこと?」

「うん、私達と同じ歳だよ。白石沙里奈しらいしさりなっていう女の子。高校にも通わず、家でずーっとPC触っているような、引きこもりなんだけどね」


 文字通り、僕は開いた口が塞がらなかった。


 そんな超人的な存在が、僕の身近にいるという事実に驚きを隠せなかった。


「あのサイトを見ていたって事は、黒川君もそういうPC関係とか詳しいんだよね?」

「詳しい……と言える程ではないと思うけど、勉強はしてるよ」

「そっかー」


 赤城さんは唇を人差し指で撫でながら、天井をじーっと見つめた。


 何かを考える時の癖なのだろうか……。

 つい、その唇から視線が逸らせなくなる。


「黒川君、私からちょっと提案っていうか、お願いがあるんだけど良いかな?」

「赤城さんからのお願いだったら、僕は何でも聞くと思うよ」

「……うん、君がそういう言い回しをする人だって事はよく分かった。あのね、いま話した幼馴染の事なんだけど、さっきも話した通り引きこもりで、私としてはちょっと心配なの。ネット上の空間では友達が多いみたいなんだけど、実際の友達とか全然いないみたいだし。外出も本当に、必要最低限な時だけって感じなんだよね」


 ぼっちである事からも分かる通り、僕も人付き合いが得意な方ではない。

 

 しかし、話を聞いていると赤城さんの幼馴染はハッキングスキルに秀でてはいるが、コミュニケーションスキルは僕よりも低いのかもしれない。


「そこでなんだけど、黒川君。沙里奈の友達になってくれない?」


 それは、予想外のお願いだった。


 僕がすぐに返事出来ずにいると、赤城さんは更に言葉を続けていく。


「聞いて分かったと思うけど、沙里奈って結構気難しい子でね。直接話をするのは親と幼馴染である私くらいなんだけど、自分の興味がある話題にしか食いつかないの。そういうPC関連の話題ばかり話すんだけど、正直私も全然付いていけていなくて。ネットで調べてみたり、こうやって図書館に来て書籍を読んでみたりするんだけど、ほぼ素人の私だと全然会話のレベルが合わないんだよね。専門用語とかもう、ちんぷんかんぷん! 沙里奈が言っている事の半分以上……ううん、九割以上理解できていないの」


 まるで愚痴をぶつけるかのような勢いで話す赤城さんだった。


 確かにあのサイトで一位を取るような人物の話を、一般的なPCの知識しか持たない人が理解するのは難しいだろう。


 サーバなんかでよく使われるコンピュータの基本ソフトや、通信プロトコルと呼ばれるネットワーク上の通信ルールの話をした所で、何を言っているんだと思われるのがオチだ。


「同じサイトを見ていた黒川君なら、沙里奈と話が合うんじゃないかな? 黒川君からしても、沙里奈の話から学べることは多いと思うし……どうかな?」


 赤城さんの言う通り、これは願ってもない話だった。


 自分より遥かに高いスキルを持つ人物と話が出来る機会は、中々ないものだ。

 

 そういった繋がりが出来るのだから、ホワイトハッカーを目指す僕にとってはメリットしかないように感じられる。


「それに、必然的に赤城さんと繋がりが出来るな……」

「……あのー、漏れてるよ?」

「え? 漏れてる? 何が?」

「うーん……多分、下心かなあ」

「下心なんて、僕にはないよ!」

「ああ、はいはい。なんだか数回のやり取りでもう慣れてきたぞ……まあ、でも返事は聞くまでもなさそうだね。だって、私のお願いなら何でも聞いてくれるんでしょ?」


 悪戯な笑みを浮かべた赤城さんに、僕はまたしてもドキリとさせられる。そして、無意識に首を縦に振っていた。


「ありがと! この後、沙里奈の所に顔を出すつもりだから、その時に黒川君の事、話してみるね」


 そう言って、椅子から立ち上がった赤城さんは颯爽と出口の方へ足を向けていく。


 その途中で立ち止まり、振り返った彼女は笑顔でこんな事を言った。


「黒川君って、面白いね。また話そうね、バイバイ」


 手を振ってから去っていく赤城さんの背を、僕はジッと見つめ続ける。


 僕の心は、幸せな気持ちで一杯だった。

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