赤城姫那のお願い①
CTFと呼ばれるゲームがある。
CTFはキャプチャー・ザ・フラッグの略で、簡単に言ってしまえば旗取りゲームの事だ。
ここで僕が言っている旗取りゲームは、肉体を駆使して行うものとは違う。
情報セキュリティに関連する専門知識や技術を用いて、オンライン上に隠されている答えを時間内に見つけ出し、そのスコアを競うハッキングコンテストのことだ。
僕が登録している海外のとあるサイトでは、クリアしたCTFの状況によって登録者達がランキング形式で表示されている。
サイトへの登録者数は、五十万人以上。
世界各国から様々なハッカー達が、各種CTFに挑戦を繰り返している。
自身が普段利用しているスマートフォンの画面に、僕は登録しているCTFのサイトを表示していた。
そこに表示されているランキングには、二十万という桁が付いている。
僕はとある事件をキッカケに、ホワイトハッカーになる事を目標としている。
ホワイトハッカーとは、サイバーセキュリティの分野で活躍する専門家のことだ。
企業や政府機関等から依頼を受け、システムのセキュリティを強化する為に活動するのが主な仕事。
ホワイトハッカーになる事を目標として定めてからというもの、僕は様々な書籍を読み漁っては、その技術を高めてきたつもりだ。
しかし、ハッキングの世界は驚くほどに奥が深い。ホワイトハッカーとして求められる知識の幅は、とても広い。
ネットワークセキュリティ、プログラミング、オペレーティングシステム、暗号技術、エトセトラ。
それらについての知識は簡単に習得できるものでもなく、CTFの順位を見てもらえば分かる通り、まだ高校一年生である僕がホワイトハッカーとしての地位を確立できる日はまだまだ遠いと感じる。
サイトに表示されているランキングを眺めては、思わずため息が漏れる。
長い道のりに辟易とした気持ちになりながらも、僕は学園内に併設されている図書館に設置された椅子の背もたれに背中を預け、右手にスマートフォンを持ったまま、大きく伸びをした。
その体勢のまま、辺りをざっと見回す。
放課後の図書館内、窓際のスペースには僕以外誰もおらず、静かな空間が形成されていた。
親の教育方針もあり、中高一貫である公立学校へと入学を果たした僕は、そのままエスカレーター式で高校へと上がった。
いま僕がいる中央図書館は、広大な敷地を持つ学園内の中央に位置する場所に存在している。
図書館自体もかなりの広さがあり、奥側にある窓際の席は、人があまり立ち寄らないことから気に入ってよく足を運んでいた。
放課後になると、形だけ在籍してはいる情報処理部には顔を出さず、ここで一人勉強をするのがいつもの流れとなっている。
家に帰っても良いのだが、知識を頭に入れ込むという作業は家だと中々捗らない。
情報処理部に顔を出すという選択肢は、今の所ない。
高校では部活動への入部が義務付けられているため、仕方なく情報処理部に籍を置いているだけだ。
一度顔を出してはみたのだが、僕のようにハッキングの知識を学んでいる生徒など、どこにもいなかった。
先輩部員達はPC端末を使ってオンラインゲームに興じている。
先輩達のそんな姿を見て、あそこで得られる学びなど無いだろうと既に見限っていた。
ここでハッキングに関連する技術書を読んだり、調べものをしている方が有意義だと感じられた。
家や情報処理部のようにPC端末がないのはデメリットだが、実践的な事は夜や休日に家でやれば良い。
ホワイトハッカーになるべく、今日も一歩ずつ進んでいこう。
そうやって気力を奮い立たせた、そんな時だった。
「あれ? そのサイトのページどこかで……」
誰も人はいないだろうと完全に油断していた。
突如聞こえたその声に、僕は驚いて飛び上がりそうになった。
その声の主が誰なのか、確認するまでもなかった。
僕がその声を、聞き間違う筈がない。
それは僕が密かに想いを寄せている同級生、赤城姫那の声だったのだから。
僕が座っている席に、パタパタと足音が近づいてくる。
心臓の音が煩く鳴り響いている僕を他所に、赤城さんは僕が右手に持っているスマートフォンの画面を肩越しから覗き込むようにして見た。
「やっぱり……沙里奈が見ていたサイトのページと同じ。黒川君って、こういうの詳しいの?」
名前を呼ばれ首を横へ動かすと、横目でこちらに視線を送る赤城さんと目が合った。
髪質からして僕とは違う、セミロングの艶やかな黒髪が顔に掛からないよう、赤城さんは耳元を手で押さえながらこちらを見ている。
心臓が、止まるかと思った。
間近で見る赤城さんの顔が綺麗すぎて、うまく呼吸が出来なかった。
少し切れ長ながらも大きな目、透き通った綺麗な肌と形の良いふっくらとした唇、その全てが美しい。
「えっと、黒川君?」
「はっ……ごめんなさい。ちょっと、トリップしていました」
「え? トリップ? だ、大丈夫? というか、何で敬語なの?」
「きゅ、急に女神が現れたので」
「え?」
「ああ! すいません……心の声が漏れました」
「心の声が漏れた……」
急な想い人の登場に、僕の思考は支離滅裂な状態に陥っていた。何を言っているのか自分でも分からない。いったん、落ち着いた方が良いかもしれない。
僕は心配そうにこちらを見続ける赤城さんに背を向け、大きく深呼吸を三回ほど繰り返した。
好きな女性の前で慌てふためくような、かっこ悪い姿をこれ以上見せたくはない。
平静を装いながらも、僕は赤城さんに声を掛ける。
「やあ、赤城さん。何か用かな?」
「今更そんな、平静さを装っても遅いような……」
「な、何を言っているんだい? 僕はいつでも、平静で冷静なクール男子だよ?」
「さっき私のこと、女神って言った?」
「あわわわわわわ」
そんなやり取りをしていると、ふと図書館の壁に貼ってある紙が目に入ってきた。
【図書館ではお静かに】
その張り紙を見て、僕は静かにするべく口を両手で押さえつける。
赤城さんも、僕の見たものが何かを察し、ニコリと笑ってから口元に人差し指を当てた。
その可愛らしい仕草に、またも僕は天に召されそうになった。
だが、赤城さんから座って話をしようというジェスチャーを受けたので、まだ死ぬわけにはいかない。
まさか、彼女と二人でまた話せる日がくるなんて。
今日は、とても良い一日になりそうだった。




