涙の理由③
水族館で食事を終えた後、館内を出た僕たちは、そのまま同じフロアにあるショッピングモールを軽く見て回った。
雑貨屋を覗いたり、服を見たり、ゲームセンターの前で立ち止まったり。
特別何かをする訳でもない。けれど、そうやって三人で並んで歩くだけでも、不思議と楽しかった。
気づけば時刻は十五時を回っていた。
帰る前に記念として水族館の入り口で写真を撮り、それから電車に乗って学園前駅へ戻ってきた頃には、空は既に茜色へと染まり始めていた。
ここから僕はバスで帰宅する予定だった。
だが、時刻表を確認すると、次のバスが来るまでまだ少し時間がある。
なので僕は、そのまま二人が住むマンションの前まで一緒に歩いて行く事にした。
「今日は楽しかったねー。また三人で遊びに行こ。それじゃあ、黒川君。またね」
マンション前へ到着した後、赤城さんのその言葉が解散の合図となった。
マンションの中へ入っていく二人の背中を、僕は黙って見送る……筈だった。
「赤城さん!」
自分でも驚いた。
気づけば僕は、彼女の名前を呼んでいた。
振り返った二人は、小声で二言三言なにかを交わす。
すると白石さんだけが先にマンションの中へ入っていき、赤城さんはこちらへ小走りで戻ってきた。
「黒川君、どうかした?」
「急に呼び止めてごめん。その……ちょっと二人で話したいと思って。少しだけ時間、良いかな」
「あ、うん。大丈夫だよ。そこ座る?」
赤城さんは、マンションの外構に設置されているベンチを指差した。
僕は無言で頷き、二人でそこへ腰を下ろす。
「丁度良かったよ。家に帰ったら、私の方から連絡しようと思ってたから」
「どうして?」
「折角のお出かけだったのに、お父さんの事で気を使わせちゃってたでしょ? だから、謝ろうかなって」
「それは全然、気にしてないけど」
「色々と複雑な家庭環境でねー。両親から板挟みって感じで、嫌になっちゃうよ」
赤城さんは笑いながら軽く言った。
けれど、僕にはそれが空元気のように見えた。
「私ね、お父さんの事嫌いなんだ。離婚する前はお母さんに暴言吐いたりしてたし、挙句の果てには秘書と不倫までしてたんだよ。最低だよね」
白石さんが、あそこまで赤城さんの父親を嫌っていた理由がようやく分かった。
話を聞く限り、弁護の余地は無さそうだった。
「もしかして、離婚の原因って……」
「うん、それ。最低な人だったけど、一応社長だったからさ。お金には困らなかったし、お母さんも色々我慢してたんだと思う。でも、お父さんが会社辞めたタイミングで不倫まで発覚して、お母さん完全にブチギレ。そこから一気に離婚調停って感じ。親権はお母さんが取った」
両親の離婚を、僕は経験した事がない。
だから、彼女の気持ちが分かるとは言えない。
けれど、想像するだけでも苦しいのは事実だった。
「会社の件もあったから、記者が家まで押しかけてきたり、急に道で声掛けられたりもしてね。あの頃は本当に色々あり過ぎて、精神的にきつかったな」
会社の件……ペルソナによるサイバー攻撃の事だ。
当時はニュースでも連日大きく取り上げられていた。
社長の娘である赤城さんも、相当な苦労を強いられたのだろう。
彼女はきっと、あの時期に限界を迎えていた。
夕暮れの教室で涙を流していたのも、張り詰めていた感情が、一人になった瞬間に溢れてしまったからなのかもしれない。
「あ、なんかごめんね! 私ばっかり話しちゃって。それも愚痴みたいな話だし……聞いてて気持ち良い内容じゃないよね」
「そんな事ないよ。むしろ、話してくれて嬉しかった」
「黒川君は、私に何か話があったんじゃないの?」
隣に座る赤城さんが、僕の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
きっと僕は、あの時見た涙の理由が知りたくて、彼女を呼び止めてしまったのだ。
でも、もうその理由を聞く必要はなかった。
「赤城さんから話を聞けたから、それはもう良いかな」
「え? それって、私の話が聞きたかったって事?」
「そうだね、うん」
「それは、どうして?」
「どうしてって、そりゃあ……」
赤城さんの事を、もっと知りたかったから。
君の事が、好きだから。
そんな言葉が、喉元まで込み上げる。
赤城さんは真剣な表情で、僕の返事を待っていた。
いつもの冗談混じりの空気じゃない。
ここで言葉にしてしまったら、何かが変わってしまう気がした。
でも――。
数秒間見つめ合った後、僕は偽りのない気持ちを口にしていた。
「赤城さんの事が、好きだから」
その瞬間、強い風が吹いた。
僕の言葉は、その風の音に掻き消されたような気がした。
風に目を細めた次の瞬間。
柔らかな感触が、そっと唇へ触れる。
思考が止まった。
キスされたのだと理解したのは、その感触が離れた後だった。
目の前の赤城さんは、照れ臭そうに笑っている。
「返事は、これで良いかな?」
僕は何も言えなかった。
頷けたのかどうかさえ、自分でも分からない。
「えっと……そ、それじゃあ帰るね!」
勢いよく立ち上がった赤城さんは、そう言い残すと逃げるようにマンションの中へ駆け込んでいった。
僕はしばらく、その場から動く事が出来なかった。




