涙の理由②
白石さんの希望もあり、僕たちがやってきたのは都内にある有名な水族館だった。
この暑さの中、ずっと外を歩き回るのは正直しんどい。
それは僕も同じだったので、涼しい室内で過ごせる水族館という選択は、夏の外出先としてかなり理にかなっていると思えた。
三人分のチケットを購入した僕たちは、館内の順路に沿って進みながら、水槽の中に広がる幻想的な光景を楽しんでいった。
巨大な水槽を悠々と泳ぐ魚たち。青い照明に照らされた回廊。ゆったりと流れる水の音。
どこか現実感の薄い空間だった。
そんな中、白石さんは特にクラゲエリアを気に入っているようだった。
そのエリアには、床がガラス張りになっているデッキがある。
下を見下ろすと、青白く発光する無数のクラゲたちが漂っていた。
まるで海の上に立っているような、不思議な感覚を味わえる空間だった。
白石さんはその場所でしばらく立ち止まり、ぼんやりとクラゲの群れを見下ろしていた。
「クラゲが好きなんですか?」
「うん……ここ、懐かしい」
「懐かしい?」
「昔、家族四人でここに来たことがあるから。妹とクラゲ追いかけたりして……楽しかった」
そう言う白石さんの声音は、いつもより少しだけ柔らかかった。
過去に事故で亡くなったと言っていた、妹さんとの大切な場所。
きっと、本当に大切な思い出なのだろう。
水槽から反射する青白い光が彼女の横顔を照らしていて、その表情はどこか儚げにも見えた。
三人で話をしながら館内を回る時間は、とても楽しかった。
だが、その一方で。
時折、赤城さんがスマートフォンを気にしているのがずっと引っ掛かっていた。
通知が来るたびに画面へ目を落とし、その度に少しだけ表情が曇る。
それを見ていると、こちらまで落ち着かない気持ちになってくる。
「ごめん、ちょっと電話してくるね。私に構わず、先に注文しちゃってて良いから」
館内出口付近のカフェスペースで腰を落ち着けたタイミングで、赤城さんはそう言った。
荷物を席に置いたまま、スマートフォンだけを持って離れていく。
「……赤城さん、どうしたんだろ?」
「多分、父親でしょ」
メニュー表を眺めながら、白石さんは興味なさそうに答えた。
どうやら彼女は、赤城さんの様子がおかしい理由を知っているらしい。
「黒川との待ち合わせ場所に向かう途中で、父親から急に連絡が来たってぼやいてた。久しぶりに会わないか、とか言われてるんじゃない」
「え? 久しぶりにって……」
「ああ、黒川は知らないのか。姫那の両親、もう大分前に離婚してるから」
それは、初耳だった。
赤城さんのお父さんと言えば、あの企業の元代表取締役。
ペルソナによるサイバー攻撃の後、責任を取る形で辞職した人物だ。
僕はてっきり、その後も家族と一緒に暮らしているものだと思っていた。
まさか、既に離婚していたとは。
白石さんの時にも思ったが、赤城さんについても、僕はまだ何も知らない。
「あんなろくでなしの事なんて、無視すれば良いのに。姫那は優しいから、あんなのでも父親だと思ってるんでしょ」
「……随分な言い方ですね」
「私、あの人嫌いだし」
白石さんは本気でそう思っているらしかった。
赤城さんの父親とは会ったこともないが、彼女にここまで言わせるという事は、何かしら理由があるのだろう。
それから注文するメニューを悩んでいる内に、十分ほどで赤城さんが戻ってきた。
「急に抜けて、ごめんね」
そう言って笑う彼女の顔には、少しだけ疲れの色が見えた。
「父親?」
白石さんの問いかけに、赤城さんは一瞬だけ僕へ視線を向けた。
僕の前で話して良いか、迷っているようだった。
だが、少し考えた後、彼女は小さく頷く。
「うん。今度会わないかって」
「会うの?」
「会わないよ。お母さんが悲しむもん」
「そう」
そこで、その話は終わった。
折角の外出なのだ。これ以上その話を掘り返すのも違う気がして、僕も何も聞かなかった。
その後、三人で軽食を食べながら雑談を続けた。
けれど、ふとした瞬間。
僕は、昔見た赤城さんの姿を思い出していた。
夕陽が差し込む教室。
一人で窓際に立ち、静かに涙を流していた彼女。
もしかしたら、その両親の離婚というのが関係していたのではないだろうか。
ペルソナによるサイバー攻撃により、父親が失脚。それによる家庭の崩壊。
そんな流れを想像してしまう。
あの涙の理由を、僕はまだ知らない。
直接聞いたこともない。
けれど今、無性にその理由を知りたいと思っている自分がいた。




