ココロトーク②
翌日の日曜日、これで三度目となる白石家を訪問した僕は、リビングのテーブル一杯に並べられていた料理の数々を前にして目を丸くしていた。
事前にお昼を抜いてくるよう白石さんから連絡をもらっていたのだが、こういう事かと納得する思いだった。
キッチンに立っていた赤城さんが、エプロン姿のままこちらへと手を振っている。
「これが報酬」
横に立つ白石さんが言った。
ああそうか。
やはりこの人は、見た目通りの女神だったという訳だ。
今すぐその場に跪いて感謝の祈りを捧げたい気分だった。
「もう少しで準備が終わるから、座って待っていて」
キッチンの方から聞こえた赤城さんの声に従い、僕と白石さんは向かい合う形でリビングの椅子に腰掛ける。
それからすぐに、赤城さんがドリンクの入ったグラスが並べられているお盆を片手にやってきた。
それらをテーブルに並べた後、彼女は白石さんの隣へ着座した。
「沙里奈から聞いてるよ。黒川君、ここ数日大変だったんでしょ? 頑張っていたから労ってあげてほしいって言われて、作ってみました」
少し照れ臭そうに言った赤城さんの言葉を聞いて、そういえばと思い出す。
彼女は確か、料理部に入部していた。
テーブルにはトマト系のパスタに、今にも肉汁が滴ってきそうな大きいハンバーグ、バジルと粉チーズがまぶしてあるイタリアンサラダに、コーンスープまで並べられている。
それらに視覚と嗅覚を刺激され、唾液の分泌量が否応なしに増えていく。
「食べて良い?」
「どうぞ、召し上がれ」
赤城さんに許可を得た僕は、先ずパスタから頂く事にした。
パスタをフォークに絡ませてから、それを口の中へ運ぶ。
トマトの程よい酸味と、ピリっとした辛さが舌を刺激した。
咀嚼する度に、魚介の旨味が口の中全体へと広がっていく。
次にハンバーグをナイフで切ると、中から肉汁がブワっと溢れ出てきた。
口の中に運んで咀嚼すると、魚介の旨味で一杯だった口の中が、今度は肉の旨味に満たされていった。
どちらも美味しすぎて、僕は思わず天井を見上げた。
食の有難み、美食への感動、赤城さんの手料理。
様々な想いから、自然と僕の頬を涙が伝っていた。
「うわ……泣いてる」
ドン引きするような、白石さんの言葉だった。
そんな事には構わず、僕はテーブルの上にある料理を次々と口へ運んでは、感動に打ちひしがれた。
「えっと……口に合っているって事で良いんだよね? 不味くて泣いているんじゃないよね?」
「うん。今まで食べたどんな料理よりも、美味しくて感動してる」
「あはは、それなら良かった。それじゃあ、私達も食べよっか」
赤城さんの言葉を合図に、僕以外の二人も食事を開始した。
それから僕たちは赤城さんの料理に舌鼓を打ちながら、食事の時間を楽しんだ。
僕にとってこの時間は、他の何にも勝る報酬だと思った。
食事が終わると、赤城さんは洗い物をする為に再度キッチンへ籠った。
聞けば赤城さんは、週に何度かこうやって白石さんの家に料理を作りに来ているらしい。
彼女がわが物顔で白石さんの家を訪ねていたのには、そういう理由があったのだ。
つまり白石さんは、あの料理をもう何度も口にしている訳だ。
羨ましい事、この上ない。
満腹となった僕と白石さんは、ソファの上でダラリとしていた。
後片付けまで赤城さんにやってもらって申し訳ないと思う傍ら、食べ過ぎて苦しい状態で動き回る気力は正直湧いてこない。
手伝おうかと赤城さんに声は掛けたのだが、僕を労う為に用意したものなのだから、ゆっくりしていてくれと言われ、その言葉に甘えてしまった。
料理があんなに上手で、そんな優しい言葉まで掛けてくれる。
僕が好きになった人は、なんて素晴らしい女性なのだろうか。
一生全力で養うから、もう本気で結婚してほしいと思った。
「うー、苦しい……」
僕の隣では、白石さんも同じようにして食べ過ぎによる満腹感に苛まれていた。
神々しいまでの美貌を持つ彼女のそんな姿を見て、ああ彼女も普通の人間なのだなと、少し親近感が湧いた。
「まさか赤城さんの手料理が食べられるなんて……頑張った甲斐がありました。ありがとうございます」
「別に私が料理を作った訳でもないし、お礼なら姫那に言って。むしろ私の方がお礼を言いたい。正直な話、セキュリティの人材確保に関しては頭を悩ませていたから」
お腹を摩りながらお礼を言った僕に対し、白石さんも同じ動作のまま答える。
「セキュリティ診断についてはマキナにやらせても良かったのだけど、できれば開発に携わっていない第三者からの意見が欲しかった。でも、よく知りもしない外部の人間に依頼をする気にもならなくて、どうしようかと悩んでいたタイミングで、黒川がアイトークの脆弱性を報告してきた」
なるほど。
僕の報告は、正にグッドタイミングだったという訳だ。
あの時、白石さんに連絡を取っていなければ、今回のような経験は出来なかっただろう。
「白石さんはそう言いますけど、お礼を言いたいのはやはり僕の方です。この二週間での経験は、僕にとってもかなり良いものになりましたから」
「まあ、黒川がそう思ってくれているなら良かった」
そこまで話して、僕と白石さんの会話は途切れた。
キッチンからは、赤城さんが洗い物をしている音が聞こえてくる。
なんとも、緩やかな時間が流れていた。
手持無沙汰となったのか、白石さんがスマートフォンを手に取る。
なんとなく、僕は白石さんがスマートフォンを起動するまでの所作を目で追ってしまっていた。
彼女のロック画面に表示された、一枚の写真が目に入る。
小学生くらいだろうか。
仲が良さそうに抱き合って映る、二人の少女の姿がロック画面には表示されていた。
よく似た二人。
その面影から、一人は白石さんである事が分かった。
しかし、もう一人は誰だろう。
「白石さんって、姉妹がいるんですか?」
「……ああ、スマホのロック画面が見えたんだ。うん、姉妹がいた」
……いた。
過去形で答えられた事で、僕は嫌な予感がして口を噤んでしまう。
そして、その予感は当たってしまった。
「妹。小学生の時に事故で死んだから、今はもういないけど」
「すみません」
「……別にいい。もう昔の事だし、気にしてない」
本当に何も気にしていないという素振りで、白石さんはこちらを見る事もなくスマホの操作を続けている。
アプリの開発工程に関わった事で、白石さんとの距離が少し縮んだとは思った。
だが、だからと言ってこれ以上踏み込んで良いものでもないだろう。
僕は白石沙里奈という女性の事を、まだ全然知らない。
人形のような美貌を持ち、同世代とは思えない程の天才的なハッキングスキルを持っていて、赤城さんの事が大好き。
知っているのは、それくらいだ。
知らない事の方が多い。
それは出会ってまだ数日なのだから当たり前なのだが、彼女の妹について聞いた事で、僕はそれを痛感するのだった。




