27 金の光
リュネットは顔の半分が焼けただれていた。
皮膚が踏まれたバラみたいにぐちゃぐちゃだ。
頬骨まで見えている。
騎士服と鎧も溶けていた。
眼鏡も弾けて散らばっている。
リュネットを打ったのは触手のようなものだった。
黒い壁から何本も生えている。
包囲を狭めて肉厚になった分、触手攻撃の余地が生まれたらしい。
「わたくしは……大丈夫です」
言っているそばから、剥がれた皮膚が流れ落ちた。
この人が大丈夫なら、バラバラ死体も軽傷だ。
「皆さんは事態を打開することだけお考えください」
「そうは言っても……」
四方を囲む酸の壁。
要塞の中には1000人近い兵士。
数名ならいざ知らず、全員を脱出させる手立てはちょっと思いつかない。
だから、ヨーザンもさっきから陣形を組めとか意地を見せろとか無意味な指示ばかり飛ばしている。
「いらっしゃるではありませんか。たったお一方だけ。この状況を覆せるお方が」
リュネットは顔の片側を苦悶に歪め、絞り出すようにそう言った。
「それはユシィのことですか?」
「その通りです。査察官たるわたくしが言うのもなんですが、聖武器が勇者の選定を誤ることなどありません。きっとユースハルト様ならばなんとかしてくださるはずです」
俺はユシィを見つめた。
目が合い、小魚みたいに泳ぎ、そして、目を伏せる。
「ぼ、ボクなんて……」
自信なさげ。
ずっとユシィを鼓舞してきた俺にも、ユシィにこの状況をひっくり返せるとは思えない。
平時ならばともかく、今は絶不調だ。
完全に自信を喪失している。
人前に出しても自己紹介すらできそうにない。
「ボクなんてどうせ……」
「……」
と思ったのだが、いじけて小さくなっている姿を見ていると、ちょっと腹が立ってきた。
ウチのリーダーなんだからドシッと構えてろよ、と思ってしまった。
そもそも、仮にこの場を脱してもユシィには未来がない。
ここで『勇者』をやるしかないのだ。
「ユシィ、聞いてください」
俺はユシィの両肩をぶっ叩いた。
ラノベ3冊分くらいしかない体をぶんぶん揺さぶる。
「たしかにユシィは勇者らしさゼロです。そもそも勇敢じゃありませんし、きっと魔王城の玉座の間にコニファーが座っていても尻込みするでしょうね。泣きながら逃げ出すかもしれません」
「そ、そこまでじゃないよ……」
幼げな顔立ちに少しの怒りが浮かぶ。
「とにかくユシィは勇者らしくありません。臆病者です。子供っぽいし、ついでに男なのか女なのか、未だに判然としません」
「な!?」
「でも、ユシィは誰よりも優しいです。俺が咲かせる花をいつまでもニコニコ見つめているような、そんな優しい人です。俺はね、そんなユシィが勇者であることが堪らなく嬉しいんです」
真正面から強く目を見る。
「ユシィは勇者らしい勇者にならなくていいと思いす。道端に咲く1輪の花を綺麗だと思えるような、そんな勇者でいてください」
「えっと……うん。わかった、かも」
ものすごく照れられた。
さっきより目の遊泳速度が増している。
「ユシィが自分を信じられないなら、仲間である俺が信じますよ」
女の子みたいな手が剣ダコまみれになるまで毎朝毎晩素振りするユシィの姿を、俺は知っている。
そのひた向きさを俺は信じる。
ユシィならきっとできると。
「でも、ボクなんて、一人じゃ何もできないし……」
「そういう植物は多いですよ。たとえば、アサガオとか自力じゃ立てませんし。でも、そんなときこそ、仲間にすがればいいんです」
俺はユシィの隣に立ち、肩を組んだ。
これだと俺がツル植物で、ユシィという木に絡みついているみたいだが、まあ、些細なことだ。
「俺が支えますよ。仲間ですからね」
ユシィは少しだけ顔を上げてくれた。
「でも、ボクは自分の魔力を抑えきれないんだ。聖剣を抜けばきっとまた暴走する。そんなことになったら……」
黒い触手から逃れて、兵士たちは要塞中央に密集している。
今、聖剣が暴走すれば、確実に誰か死ぬ。
でも、そうは言っても、このままじゃ全員死ぬ。
誰かが何かやらなくてはいけない。
それをするのは勇者であるユシィの役目だと俺は思う。
「そういえば……」
俺は気づいたことを口にした。
「ユシィはいつも自分の魔力を抑えようとしていますよね」
「当然だろ? 抑えないと暴走するんだもん」
「それ、あえて暴走させてみたらどうなるんでしょうか?」
「……え?」
正気かこいつ、という目で見られた。
もちろん、正気だ。
狂気と紙一重的な意味で。
「風船と同じですよ」
俺はフウセンカズラの種を発芽させた。
「抑え込もうとすればするほど反発は強くなって――」
ばーん、と。
果実は割れてしまった。
「こんな感じです。だから、抑えようとせずに風船の口をほどいて出すもの出してしまえばスッキリするんじゃないですかね?」
「ケルンの言う通りだわ」
コニファーが腕組みにツンとした顔を添えて言った。
「ユースハルト、鬱憤がなぜ溜まるか知っているかしら? 周りのものに思いっきりぶつけてスッキリするためよ。あなたの中に溜まっているもの、全部ぶつけてしまいなさい。遠慮はいらないわ」
不満をぶつけることに関しては右に出る者のないコニファーが神髄を伝授した。
「どうせ、このままじゃ全滅です。追い詰められたら自爆する魔王さんにならって、いっそ最期にひと花咲かせませんか?」
俺はろくでもない提案をする。
でも、ユシィならなんとかしてくれそうな予感もあった。
「みんなもそれでいいの?」
問いかけられ、ジュノットたち兵士は悲壮な笑みを浮かべた。
「勇者様でダメなら、諦めもつくっすよ!」
「いっちょやっちゃってください、ユースハルト様!」
「責任なら全部司令が取ってくれますから!」
「私がか……!? う、うむ。ろくに指揮も執れぬゆえな、責任者として責任くらいは取るとしよう」
ヨーザンが切実な自虐で束の間の笑いを誘った。
「ユースハルト、あなたはわがままな私を受け入れてくれたわ。だから、私は勇者パーティーの一員になれたの。感謝してあげているのよ?」
コニファーも俺にならってユシィの肩を抱く。
おまけに、思いっきり頬をツネっている。
「私も受け入れるわ、どんな結果でもね。思いっきり、ぶちかましなさい!」
「やりましょう、ユシィ! かっこいいとこ見せてくださいよ!」
ユシィは俺を見上げ、コニファーや兵士たちを見渡し、そして、はにかむように笑った。
「わかった。ボク、やってみるよ! ありがとう、ケルン、コニファー! リュネットもみんなも!」
ユシィは聖剣を抜いた。
かつてないほど迷いなく、すらりと。
金の刃を胸の中に抱いて目をつむり、僧侶のようにブツブツと何か唱える。
「抑えるんじゃなくて、あえて暴走……。全部出してすっきり……。バーンって感じで……」
このシーンだけ切り取ると、絶体絶命の絵ヅラに見えない。
俺たちは今、凍るコケのおかげでかろうじて消化を待ってもらっている身だ。
ユシィだけが頼みの綱。
本当に頼む。
なんとかしてくれ。
俺もぎゅっと目をつむった。
「ボクと頑張ろ! シュヴェアガルド!」
目を開けると、もう一度閉じる羽目になった。
まぶしい。
夕焼けを真っ向から見つめたような、そんな感じ。
俺はうっすら目を開けた。
「……!」
麦粒の大波。
黄金の吹雪。
はたまた太陽神の降臨か。
世界が金色だった。
聖剣が、それを持つユシィが、どんなセレブにも真似できないくらい金色に輝いている。
太古の昔より金には破魔の力が宿るとされる。
光を浴びた黒い壁は突沸でも起こしたみたいにボコボコと泡立っていた。
表情もなければ、たぶん感情も存在しないはずなのに、俺には黒い壁が恐怖しているように見えた。
それは、かつて同じ光景を見たからかもしれない。
「……そっか。ぎゅっと押し込むと鋭くなるけど、こうすると、ふわっとするんだ」
ユシィは何かコツを掴んだようだった。
黄金像風の若干シュールなビジュアルで、満足げに笑っている。
「これなら誰も傷つけない」
光の質が変わった。
まぶしさが消えて、羽毛のような柔らかさに。
「っ……」
リュネットが小さな戸惑いの声を漏らした。
俺も、あっ、と言いそうになった。
ただれていたリュネットの顔が逆再生でもするみたいに元通りになっていく。
俺の頬にあった酸性雨のかすり傷も。
「これがユシィの力……」
半ば無意識でつぶやいていた。
「そうみたい」
ユシィはどこか楽しげに笑うと、体を預けてきた。
俺とコニファーは我が子を抱く夫婦みたいな感じで、その体を支えた。
「いくよ!」
ユシィが聖剣を振りかぶる。
光が増した。
「シュヴェアガルド・バーン――!」
謎の技名を叫び、ユシィは聖剣を振り下ろした。
金が爆ぜる。
すごく懐かしい気分だった。
遠い日の田園風景がまぶたによぎる。
トンボが舞う中を無邪気に駆け回る、幼い日の思い出。
胸があったかくなった。
俺が都会生まれ都会育ちで、田舎とは縁がなかったのは置いておくとして。
光が収まったとき、もう黒い壁はなかった。
満月と星空の下、金の残滓がホタルのように舞うだけ。
ユシィの持つ聖剣は、なぜか見た目が変わっていた。
つぼみが開いたように刃の花が咲いている。
「聖剣解放……」
リュネットが幻でも見たようにそう言った。




