22 お守り
茜色に染まったコッチーノ要塞を、兵士たちが目まぐるしく行き交っている。
夜襲決行の時刻が目前に迫っていた。
だというのに、誰も彼も文化祭の準備に追われる高校生みたいな表情をしている。
そこには勇者ユースハルトへの期待があるようだった。
俺は目下、その勇者様を捜し回っているところだ。
「ここでしたか」
ユシィは城壁に背を預けて体操座りしていた。
夕暮れが作る三角形の闇の中で、自分の膝に顔をうずめている。
ちんまりしたシルエット。
勇者というより消滅しかけの幽霊みたいな存在感だった。
開幕秒読みだというのに、主役がこれでは先が思いやられる。
「イッシュレー司令がトウガラシのついでにフルーツの盛り合わせをくれたので、栽培魔法で量産して見たんです。――皮ごといけますよ」
俺はユシィの小さな手に丸々とした桃を握らせた。
「今、兵士の皆さんも舌鼓を打っているところです。腹が減ってはなんとやらってね。甘いですよ? ユシィもどうぞ」
「ほっといてよ」
ユシィは桃を投げ捨てた。
俺はすかさず桃の木を生やして、さらに大きくて甘い桃を50個くらい実らせた。
「ほっとけません。俺はユシィの仲間ですから。トイレ以外は隣にいますよ。すごくウザいでしょう? 桃食べてくれたら3センチだけ離れてあげます」
もう一度桃を握らせる。
「ボクはもうダメだよ……」
ユシィは投げる気力もないようだった。
夕闇の中でも顔が青く見える。
「きっとダメだ。何をやってもうまくいかない。そういう星の下に生まれたんだ。ボクはさんざん恥をかいて最後には死ぬんだ」
「そんなことありません。ユシィは剣士としては普通に中の上ですよ。三ツ星冒険者くらいはあると思います。ゴブリンごとき目じゃないですよ」
「でも、勇者の水準にはジャンプしたって届かないよ。だって、ボクは自分の魔力さえも抑えきれないんだもの」
遅ればせながら気づいたが、ユシィは幽魔草の種が入った革袋をお守りみたいに抱きしめている。
「それはなんですか?」
いつの間にか、リュネットが隣に立っていた。
レンズの奥から色のない目が革袋を見つめている。
「幽魔草の種が入っているんだ。ケルンが魔法で増やしてくれたものなんだけど」
英語の例文みたいな質問にユシィはぼそぼそと答えた。
紐を解いて、ダイヤモンドに似た種を取り出す。
「幽魔……」
リュネットの目つきがわずかに険しくなった。
「魔を幽する……すなわち、魔力を閉じ込める種ですね」
「そう、だけど」
ユシィも何か察したらしい。
革袋をさりげなく懐に仕舞おうとした。
その手をリュネットがむんずと掴む。
「こんなものを使っておられたのですか?」
声にあるのは非難の色。
まるで選手のバッグから怪しい粉末を見つけたコーチのようだった。
「何か問題でも?」
俺は、藻塩ですけど? みたいな口調で問う。
「……いえ、わたくしには判断しかねますが、あまり印象はよくありません。ユースハルト様の魔力が人並外れて膨大であることは存じ上げておりますが、よもや、こんなものに頼らなければご自身の力を御しきれないなんて」
酒を飲まなければ手が震えるドライバーみたいなものだろうか。
たしかに、そんな人が運転するタクシーで高速に乗りたくはない。
でも、ドーピングや飲酒の類ではなく、どちらかと言えば、メガネでは?
メガネのドライバーなんていくらでもいる。
それこそリュネットもメガネっ子だ。
俺はそのへんをリュネットに訴えた。
「勇者様の魔力は女神様よりたまわった神聖なもの。それを地に生えた卑しい雑草の類で抑え込もうとするなんて、おぞましいと言うほかありません。勇者たれば清廉であるべきなのです」
それがリュネットの答えだった。
どこか、こじつけの理屈にも感じられる。
しかし、査察官がダメと言えば、ダメになる。
悪法も法だ。
「でも、ボクはそれがないと聖剣が暴走しちゃうんだ。戦えなくなっちゃうよ」
当然ユシィは抗弁するのだが、
「それは、聖武器の使用にご懸念があるということですか?」
と返されると黙るほかない。
「……わかったよ。ボクは幽魔草の種を使わない。これはキミが持っていて、リュネット」
「たしかにお預かりしました」
こうして、勇者ユシィはまた一歩追い詰められたのだった。
「いいよね、ケルンは。キミだけの特別な力があって」
はち切れんばかりの桃を見つめてユシィは力なく笑っている。
世界屈指の特別――勇者様にそれを言われると、反応に困る。
俺は黙って隣に座った。
そのくらいしかできなかった。
「ごめん。ボク、また嫌な子になってたよね」
消え入りそうな声でそう言われた。
「仲間に当たるようなことして、本当にごめんなさい。ケルンもコニファーも支えようとしてくれているのに」
「いいんですよ」
「どうしてケルンはボクにこんなによくしてくれるの?」
「うーん。……仲間だから。ですかね?」
ユシィは奴隷だった俺を勇者パーティーに迎えてくれた。
そこには打算もあったとは思う。
それでも、俺は初めて自分の価値が認められた気がして嬉しかったのだ。
その恩返しをしたいだけ。
「ほら、食べて。一気に元気が出ますから」
照れ臭い。
俺は話題を桃に移した。
「甘いね。ほんとだ。ちょっと元気出たかも」
リュネット登場以来、食事が喉を通らなかったのだろう。
空腹の概念を取り戻したユシィは、息継ぎもおざなりにして桃を平らげてしまった。
「それじゃ、そろそろ行きましょうか。アッチーノ要塞を勇者ユシィの晴れ舞台にしましょう!」
「うん」
俺はユシィの手を握って、まだわずかに残った赤い陽だまりの中に連れ出した。




