20 奇策
谷を抜ける風が前髪をなぶっていく。
コッチーノ要塞壁上から望むアッチーノ要塞は、座礁した幽霊船か、さもなくば、巨大なパンドラの箱に見えた。
つまり、不気味だ。
得体の知れないオーラをまとっている気がする。
「勇者様方、気をつけられよ。ゴブリンどもの矢はここまで届くゆえ」
要塞司令のヨーザンが矢除けの盾を構え、俺を見た。
「ケルン殿は対岸に渡りうる妙案を思いつかれたそうだな」
「ええ。しかし、妙案は妙案でも、奇策でして。口で説明してもちょっと信じてもらえないと思うんです。なので、まず俺の固有魔法をご覧いただきましょうか」
俺は種子ポーチからマシュマロみたいなものを取り出した。
「それが何かうかがっても?」
凹凸壁の凸部分にセミみたいに引っ付いたリュネットが、おっかなびっくり尋ねてくる。
「キノコの胞子を丸めたものです」
要は、キノコの種。
これに魔力を込めて、壁上大型弩砲のやじりにこすりつける。
「……狙いはこんなところでいいでしょうか」
俺は山勘で照準を合わせ、引き金を引いた。
ばぎゃん、とすごい音がして、槍みたいな矢が飛んでいく。
峡谷を軽々飛び越え、ビキナーズ・ラックだろう、壁の陰から片目だけ覗かせていたゴブリンにものの見事に突き刺さった。
そして、ぼこん、ぼこん、と巨大なキノコが傘を広げる。
「い、一体何をしたのだ?」
「栽培魔法です」
と俺は手のひらにキノコを咲かせた。
鼻が曲がりそうな臭いがする。
「これは臭硫茸というキノコです。ここへの道すがら、採集しておいたんですよね」
「クサイダケは臭いだけですか? 毒はフッ、ないのでしょうか」
リュネットが食い気味にニヤケた。
本当にこの人は……。
「毒はないですよ。ただ、俺の魔法でサイズと臭気がマシマシになってますからね。近くにいると呼吸困難間違いなしです。卒倒するかも」
実際、対岸ではゴブリンたちが右往左往している。
カ――ッ。
と、目の前に矢が刺さる。
杉の枝から切り出した粗末な矢だった。
やじりには黒い粘液がこびりついている。
「奴ら、射返してきおった!」
ヨーザンがユシィを盾の中にかくまった。
「警戒を! ゴブリンは強力な矢毒を使う!」
そうらしい。
矢が溶けている。
城壁の石材もだ。
「これは……スライムの酸毒ですか?」
スライムは荘園にもたまに出た。
なんでも溶かす厄介者だった。
「うむ。黒酸粘魔種であろうな。――核があれば潰すのだ。増殖する前に!」
そんな指示が壁上に飛ぶ。
異世界の戦場もなかなかおっかない。
「伏せろ! 矢の雨が来るぞ!」
「来ますね」
ヨーザンの怒号に、俺はのんきな声を返した。
戦端が開かれて5日。
矢の撃ち合いで、ゴブリンたちも矢を切らしたのだろう。
そして、杉の枝で間に合わせの矢を作った。
おかげで、まだ矢が生きている。
「よっ!」
矢の雨に栽培魔法で働きかけると、枝葉が伸びて広がった。
空気抵抗の増加により、失速。
要塞の前にはたはたと落下する。
「な、なんと……」
目を白黒させるヨーザンに、俺は言う。
「対岸に渡る方法ですが、敵の射手がどうしても脅威になります。前もって減らしておきたいので、部下の弓兵を何人かお借りできますか?」
「それは構わぬが、ケルン殿、何をされるおつもりだ?」
「手始めにアッチーノ要塞の壁上をキノコまみれにしましょう。それで敵の射手を追い払えますので。屁糞葛と酢汗草の種も使いましょう」
「屁とか糞とか汚いわね……」
口が汚いことで知られるコニファーが鼻をつまんでいる。
「よくある戦術ですよ」
人馬の死体を投石機で投げ込んで疫病を広げたり、矢の先に糞尿をつけて傷口を壊死させたり。
それが実際の戦争だ。
敵拠点を刺激的な植物園にするだけだから上品なほうだろう。
「じゃんじゃん撃ち込んじゃってください」
弓兵を並べて胞子と種を射掛ける。
命中箇所から緑が広がって、アッチーノ要塞が壁面緑化されていく。
遠目にはおしゃれな職場だ。
だが、現地はガスマスク必須レベルの悪臭で阿鼻叫喚の地獄だと思う。
矢も飛んでこなくなった。
「あー、ケルン殿。申し訳ないのだが、あー」
「ええ。あとで枯らしておきますよ」
「あー、それはよかった。要塞を奪還しても悪臭漂うジャングルではな。……それと、ケルン殿」
ヨーザンが俺の双肩に大きな手を置いた。
哀願するように見つめてくる。
「頼むから魔王軍に寝返ったりしないでくれ。私は貴殿と一戦交えるのだけは御免こうむる」
「あ、はは……」
どんなに嫌なことがあってもゴブリンたちと肩を並べるビジョンは見えない。
安心してほしい。
「射手が脅威になるのね。なら、私が弩砲を潰してあげるわ」
コニファーが杖を構えた。
俺ばかり脚光を浴びる流れが面白くなかったらしい。
杖先はアッチーノ要塞に向けつつも、闘志に燃えた目はまっすぐ俺を睨んでいる。
「狙撃雷!」
細く鋭い光が網膜に刻まれた。
対岸の壁上で火花が上がる。
バリスタが木っ端微塵に砕けたのが見えた。
ばん、ばん、と稲妻が走り、全砲門が見る間に木片と化した。
杖は最後に俺に向いた。
俺の心臓に。
「もったいぶらずにそろそろ話しなさい。対岸に渡る奇策とやらを。私がこの距離で外すと思うくらい頭が悪いなら、だんまりでも結構だけれど」
「栽培魔法で杉の木を真横に生やして橋にします! 以上ですっ!」
俺は敬礼ポーズで即答した。
イエス・マムという感じで。
「納得だわ。頭の中の草が鼻から飛び出しているくせに考えたわね、ケルン。名案だと思うわ。さすが私の従者ね」
「ありがとうございますっ!」
「そのようなことが本当に可能なのですか?」
とリュネットが口を挟む。
訝しむというよりは驚きがそのまま口に出た感じだった。
「できるわよ? だってケルンだもの」
「そう、ですか」
1ミリも根拠を示さない言辞だったが、その潔さがむしろ信頼に繋がったらしい。
リュネットは引用元にノーベル賞受賞者の名前を見つけた若手研究者みたいにあっさり引き下がった。
「驚きました。野に遺賢ありといいましょうか。ケルン様ほどの才覚者がおられたとは」
感心し、そして、ふと真顔に戻る。
自分の仕事を思い出したという顔だ。
「ところで、勇者であらせられるユースハルト様のご活躍ぶりは、いつになれば見せていただけるのでしょう?」
突然ぶすりと刺され、ユシィはわかりやすく狼狽した。
「ぼ、ボクは……」
「ユシィは剣士です」
俺はすかさず助け舟を出した。
「前衛なので、乗り込んでからが本番ですよ。今は力を温存しているだけ。主役は最後に一番おいしいところを持っていくのが仕事ですから」
「ケルン……」
ユシィは救われたという顔だ。
でも、先刻、口論になったのを思い出したらしい。
バツが悪いような、素直になれないような複雑な面持ちで下を向いてしまった。
その横顔の幼い輪郭を見ていると、胸がぎゅっとする。
ユシィは13歳か、14歳か。
せいぜい中2くらいだ。
そんな齢で勇者としての進退――命がかかった大舞台に望まなければならない。
残酷だ。
ここは前世と合わせてアラサーの俺が甲斐性を見せるべきだろう。
隣に立ってしっかり支えるのだ。
ユシィを。




