19 ツインゼヴァル要塞
谷に沿って進むと、二つの要塞が見えてきた。
ひとつは谷のこちら側に、もうひとつは対岸にある。
二つを結んでいただろう吊り橋は、壁掛けタオルみたいな脱力感で崖に垂れ下がっている。
「どちらがツインゼヴァル要塞ですか?」
俺は歩を緩めて振り返り、リュネットに問う。
「二つを合わせてです」
そう言ってリュネットはレンズの間を人差し指で押し上げた。
「谷のあちら側にあるのが魔王軍に占領されたアッチーノ要塞です。そして、こちら側にあるのがコッチーノ要塞です。合わせてツインゼヴァル要塞群と言われています」
「ええっと、あっちのがアッチーノで、こっちのがコッチーノですか」
「……フッ」
リュネットがかすかに笑った。
本当に冗談みたいな命名だ。
だが、俺の世界にも「向」という地名はあった。
川や谷の向かいにあるから「向」だ。
似たようなものだろう。
問題はアッチーノ要塞から見ると、コッチーノ要塞がアッチの要塞に見えることだ。
アッチのコッチーノ要塞とか、コッチのアッチーノ要塞とか、混乱のもとになる。
陥落した原因がそこにあるなら最初にすべきは改名であろう。
魔王軍の手に落ちたというアッチーノ要塞は、昭和の不良高校というか、全体的にダークでダーティ、荒廃した空気が漂っていた。
対して、コッチーノ要塞には凛とした雰囲気があった。
雄々しく踊る王国旗が健在っぷりを表している。
今のところ、戦闘は起きていない。
唯一の渡河手段である橋が落ちているから、一戦交えようにも兵を送り込めないのだろう。
「サボテンですね」
コッチーノ要塞の壁には無数の矢が刺さっている。
向こうも同じだろう。
直線距離で100メートルほど。
矢は届くみたいだ。
「要塞司令のヨーザン・イッシュレーだ。勇者様御一行を心より歓迎する」
ガタイのいい角刈りの男が胸に手を当て、軽く低頭した。
司令室の机には、どっちの要塞か判然としない見取り図が雑然と広げられていた。
ヨーザンは貴人というより武人気質らしい。
挨拶もそこそこに戦況を語り始めた。
要約すると、膠着状態。
散発的に矢の撃ち合いが行われている以外に目立った進展はないようだ。
「5日前の夜だった。夜陰に乗じて奇襲を受けたようで、気づいたときには橋を落とされた後だった。アッチーノ要塞は警鐘を鳴らす間もなく陥落した。早い段階で気づけていたら手の打ちようもあったのだが……。いや、申し開きできるものではないな」
今にも切腹しそうなヨーザンに、俺は恐る恐る尋ねてみる。
「対岸の守備隊はどうなったのでしょう?」
「全滅したものと思われる。まこと慙愧の念に堪えぬ」
その言葉を受け、壁際にいた若い兵士たちが顔を見合わせた。
何か言いたいことでもあるのかと視線が集まるが、口を開く前にバガン、とヨーザンが机を殴った。
「くそう! とんだ失態だ。要塞司令たる私が要塞を、あろうことか魔王軍に奪われるなど。この身が不甲斐ないばかりに勇者様のお手を煩わせることになってしまった! 万死に値する大罪よ!」
そこはユシィにとってむしろ渡りに舟だ。
ヒーローがヒーロー足りえるには敵がいる。
魔王なくして勇者なしだ。
「このツインゼヴァル要塞は交通の要衝なのだ。陸運と水運が交わる扇の要。いつまでも睨み合いなど続けてはおれぬ」
峡谷を横断する橋は狭隘道路。
下を流れる谷川は重要航路。
物流の大交差点だ。
「そういえば、道中、帆船で水夫が無聊をかこっていましたね……フッ」
「……あー、そうだな。要塞前を通れば上から火矢を射下ろされるゆえ、船も動けぬのだ」
ヨーザンがリュネットを二度見した。
「今後の方針を聞かせてもらえるかしら?」
コニファーが前線視察にきた女王みたいな貫禄をにじませている。
「対岸に矢を射掛けるだけでは埒が明かぬ。現在、谷を迂回する形で兵600を動かしているところだ。直線距離では目と鼻の先だが、回り込むのには3日を要する。そろそろ到着する頃合いであろうな」
戦場は谷の向こう側。
移動には3日。
となると、俺たちが対岸につくのも3日後。
今から出発しても到着する頃には決着がついているかもしれない。
勇者一行の活躍の場がなくなるのは困る。
「イッシュレー司令、敵の戦力を教えていただけますか?」
「うむ。ゴブリンを中心に100ほどだと見ている」
「意外と少ないですね」
「魔王軍の場合、数はあまりあてにならぬのだ。1匹で100匹分の働きをする魔物もいるゆえな」
ドラゴンみたいなものを想像した。
敵方に猛烈な強さの魔物がいて、兵600とやらを翻弄。
どうにも攻めあぐねているところに勇者パーティーが遅れて参上。
あっという間に、戦況を打開。
見事、要塞奪還成功。
……というのが理想的な筋書きだろうか。
最悪なのは、登場シーンなしで閉幕することだ。
「ユースハルト様、いちおう申し伝えておきますが」
リュネットは温度のない顔をユシィの耳元に近づけた。
細い指が小さな肩に食い込んでいる。
「仮に要塞が奪還されたとしても、あなた様に目ぼしい戦勲がないようでしたら査察結果のほうは……」
「う、うん。もちろん異論はないよ……」
あからさまなプレッシャーだった。
ユシィは死人みたいに白い顔をしている。
当然だ。
ギロチンが王手をかけてきたのだから。
「大丈夫ですか、ユシィ?」
俺はリュネットを半ば押しのけてユシィの肩に触れた。
「だ、大丈夫だって……!」
ぱしっ、と手を払い除けられる。
「ボクのことはほっといてくれないかな? 気休めとかいらないからさ」
「ですが」
「ケルンってもしかしてボクに同情してる? そういうのウザいよ? やめてくれないかな。なんだか無性にイライラするんだよね」
早口でまくしたてた後で、ユシィはハッとして口を押えた。
目を泳がせながら半歩後ずさる。
ついカッとなって言い過ぎてしまったらしい。
ユシィの性格なら平謝りするかと思ったが、逆だった。
童顔を精いっぱいおっかなくしてキッと睨んできた。
「ボクのことはほっといてよ。キミはコニファーといればいいよ。お似合いなんだしさ」
「あら、お似合いなのはその通りだけれど、その言い分は何かしら? せっかくケルンが気遣ってあげているのに」
コニファーがリングに上がった。
平気で凶器を使いそうな悪役レスラーの目つきだ。
俺なら即座に負けを宣言して遁走するか平伏する。
だが、ユシィは半べそで蟷螂の斧を振り上げた。
「気を遣ってあげている? なにそれ!? 施しなんていらないよ!」
そして、流れる険悪なムード。
リュネットの眼鏡がキラーンと光った。
こういうところも採点対象なのだろうか。
「まあまあ。不満は全部魔王軍にぶつけましょう」
俺は努めて明るい声で言った。
「実は対岸に渡る、いい方法を思いついたんです」




