魔族の到来
「大変です!魔族軍が押し寄せてきました!!」
一気に緊張感が高まったテントの中。三人の異世界人だけが、動揺もせず中央で突っ立っているのを見て、アルハンソロは声を荒げた。
「皆のもの、落ち着け!我らには勇者がついている!たった今契約に同意した!」
貴人らは、ハッとして座り直す。心落ち着かないものの、アレックスやセルゲイの筋肉を見て期待感も高鳴っている。どんな戦いを見せてくれるのか、と。
特にアレックスはこの世界の人間にはあり得ないほどの長身だ。ほとんどの男達はアレックスの胸あたりの身長しかないのである。平均身長が165cmのこの世界、人間は小さかった。マリンでさえ、160cm、セルゲイも180cmそこそこあるので、期待感も膨れ上がった。
「何をしている!契約通り、とっとと魔族と戦え!」
王族らしく命令口調で騒ぎ立てるアルハンドロに、周りの者はハラハラと息をひそめた。せっかくきてくれた勇者にそんな高飛車な言い方で拒否されたらどうするんだ、と。
しかしアレックスは動じない。
「まだサインもらってないけど」
とペンを差し出した。
キィッとヒステリックな声を上げたくなったアルハンソロではあるが、ここは威厳を保たなくてはならない。どんなに怖くて逃げ出したくても、一人で逃げるわけにはいかないのだ。出来る事なら、婚約者のフランソワを連れてすぐさま安全な場所まで走り去りたかったが。
差し出された契約書を見ても、何が書いてあるのか全くわからない薄紙3枚。
「こ、これはなんだ」
「契約書です」
「こんな薄い紙で、なんの効力がある」
「この表紙は原本なので、劇団スピネルが保管、一枚はそちらの控え、もう一枚は提出用控えだ」
「今はそれどころではないだろう!とっとと……!」
「契約のない仕事はしないので」
「しかし……!」
「ここにサインを」
次第に外が騒がしくなってくる。思わずその場で駆け足になってしまうアルハンソロ。逃げてはいけないという王族の矜持と、逃げたいと言う個人の衝動が表層に出ているのだが、アレックスは微動だにしない。
マリンが「トイレに行きたいんじゃないの?」とこそっと言うのが聞こえて、また真っ赤になってしまった。
「赤面症の人を揶揄ったらダメだよ」とセルゲイに嗜められて、マリンは後ろに下がった。
「くそっ、書けばいいんだろう!書けば!」
威圧に負けてアルハンソロはボールペンを手に取った。
「インクは!」
「それ、ボールペンだからそのまま書けるよ」
「何……?」
試しにサインを書くと、スルスルと滑るようにインクが紙についた。しかも吸水紙がいらない手間要らず。
「……っ」
側近も目を見開いてその様子を見ている。
側近のクアトロは、アレックス風に言うと魔導具オタクである。魔導具が大好きで大好きで、有名な魔道具師の作品を密かに集めているくらい、大好きだ。残念ながらオタクと言う言葉はこの世界になく、ただの変態扱いされるので、同士もいない。ウロウロと魔道士達のご機嫌を取るのが関の山であった。
そこへきて、このボールペン。
艶やかな細いボディは手に馴染みやすいサイズで、ペン先は羽根ペンとは全く仕様が違う。ツルツルした紙はペンが引っかかることもなくまるで大理石の上のように滑らかだ。
もしかすると、アレックス達の世界はここよりも魔導具の研究が進んでいるのではないか。
欲しい。
何かと引き換えにして、一本もらえないだろうか。
「で、殿下。あのペンは画期的な発見です。なんとかして一ついただけるよう、お願いしてみてくださいませんか」
「この私に頭を下げろと言うのか!?」
「い、いえ、その、そう言うわけではありませんが」
「そんなに言うなら、お前が頭を下げればいい!」
クアトロはチラッとアレックスを見上げる。黒々としたつぶらな瞳がこちらをみた。片眉が上がる。
見下されていると感じた途端、カァッと顔に熱が上がり、彼の中のおかしな扉が開きかけた所で、目を伏せた。
――い、今のはなんだったんだ。心臓が壊れそうなほど早い。
クアトロは、モゴモゴと口の中で言葉を紡いだが、外に出てくることはなく、スゴスゴと退散した。
アレックスの持参したペンは、「ラ・ロンド」の広告用の消耗品である。Tシャツやらキャップ、下着やパンフレットの購入者には、ミニタオルとペンがもれなくついてくるという代物だ。
欲しいならあげるよ、と言いそうになったがそこは商売。
まずはサインをもらわなければ、なんの収入にもならない。ノーギャラ、ノープレイ。
さあ、さあ、と急かす様に契約書を差し出せば、アルハンソロはクッと言いながらもサインをした。チラリと流し目でマリン達を見ると、二人ともサムズアップだ。
さて、いよいよ。
「お客さんが増える様だから、用意をしようか」
「はーい」
「了解」
魔族がこちらに向かってくる。
アレックス達はそれを新たな客が来ると理解した。
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