9.竜の恩
「そうか。カイがあの時の……。体の大きさが全然違うから驚いた」
「私は人間の世界を見て歩くのが好きで、時々人里に下りていたんだ。ある時、街の中で質の悪い魔術師に捕まってね、魔力をがっぽり取られて人に売られた。王都の見世物小屋にいた頃には弱り切っていて、体まで小さくなっていた」
「……そうだったんだ。無事でよかった。あの時カイに魔力を注いだのは、レオンだったんだよ」
「ああ、知ってる。だから、あいつの命はとらないでおいた」
「命って……」
「あんまりフロルにひどいことばかりするからさ。何度息の根を止めてやりたいと思ったかわからない。だけど、あの時あいつが魔力を分けてくれなかったら、こちらの命がなかったのも事実だ」
フロルは何度も頷いた。子どものオメガの魔力では、弱った竜を助けることなんてできない。王族のアルファであるレオンの魔力は、幼くても大きかった。あの力があったからこそ、カイの命を助けられたのだ。
「カイ、ありがとう。今度は僕を助けてくれて。それから、レオンを生かしてくれて」
「……フロル」
カイは大きなため息をついた。
見世物小屋の中で弱り切っていた時。体が少しずつ楽になって目を開けると、さらさらと流れる銀色の髪に紫水晶のような瞳の子どもを見た。子どもは、今まで見たことがないほど美しい人間だった。
竜はきらきらしたものが大好きだ。カイは一目で幼いフロルを気に入った。
〈この人間はいい。どこもかしこもきらきらと輝いている。姿だけでなく、魂までもきらめいているとは素晴らしい。このまま魔力で眠らせて連れ帰ろうか〉
そう思った時、まるで強い吹雪のように自分に向かう力を感じた。魔力がピリピリと肌に突き刺さってくる。
見れば、黒髪に青い瞳の子どもがこちらを睨みつけていた。自分の体の中にある魔力は、この子どもと同じものだ。どうやらこいつが助けてくれたらしいとわかった。そして、銀色の髪の子どもが、黒髪の子どもに向かって、ぱあっと明るく笑いかけた。
『レオン、ありがとう! このこ、たすかったよ!』
黒髪の子どもは、こくりと頷いた。魔力を分け与えられたせいだろうか。不思議な位、自分には黒髪の子どもの心がわかる。
──うれしい、うれしい、うれしい。フロルがよろこんでくれたから、うれしい。
きらきらと輝く真っ直ぐな気持ちが、目の前の子どもに向かっていく。それは銀色の髪の子どもと同じぐらい美しかった。
フロルとレオン。
二人の子どもの名を、竜は自分の魂に刻みつけた。そして、こっそりと誓ったのだ。
〈いつか、この子たちが自分を助けてくれたように、彼らのことを助けよう。竜は恩を忘れぬものだ〉
カイはゆっくりと魔力を回復させて、時折シセラに二人の様子を見に行った。銀色の髪の子どもは大層美しくなり、成長しても魂のきらめきは変わることがない。魔力をくれた黒髪の子どもといつも一緒にいる。二人の仲睦まじい姿に安心しては、山上の城に戻って暮らしていた。
ある時、成長した子どもたちが結婚するとの噂を耳にした。カイは、二人の式を間近で見たいと思った。
〈そうだ、人に化けて城に入り込めばいい。あの二人の幸せを願いに行こう〉
竜の祝福は、人にとって大きな力になるだろう。そう思って公爵家に入り込んだのが半年前のことだった。
〈従者の生活もなかなか面白かったのに、人とは全く予想がつかぬ動きをするものだ〉
カイは、自分を睨みつけた幼いレオンの姿を思い出す。
〈自分が見続けたあの黒髪の子どもは、いつだって変わらず唯一人を見つめていたはずなのに。どうしてこんなことになったのだろう〉
竜は膨大な魔力を持つが、人の心は繊細だ。迂闊に魔力で手出しをすれば壊れてしまいかねない。手をこまねいているうちに、大事なフロルは倒れてしまった。
〈何とかフロルを連れ出すことが出来たのは幸いだが、どうしたものか〉
カイはまるで人間のように首を傾げ、眉間に皺を寄せた。
しょっちゅう人里に下りていたカイは、時折、故郷を離れたいと願う人間と出会うことがあった。ならば自分の城で働くか。ただし、山上の城に行ったらそう簡単には人の世に戻れない。それでも構わないと言う人間たちを連れ帰っているうちに、様々な国の者が集まった。カイの城で働く人間はオメガばかりで、留守がちな主の城を整え、協力し合って暮らしていた。様々な苦労を重ねてきた彼らは、突然連れて来られたフロルにも親切で優しかった。
温かい人々に迎えられたフロルの体は、少しずつ回復していった。シセラを離れた為か、食事の量が増え、段々眠ることもできるようになった。
「フロル様、今日はとびきりいいものがありますよ!」
バルコニーから外を眺めていたフロルの元に、明るい声が響いた。輝く金髪に褐色の肌の青年がフロルを見て満面の笑みを浮かべる。後ろ手に何か隠しているのが、彼の言ういいものなのだろう。太陽に向かって咲く花のような笑顔に、フロルは思わず笑みを浮かべた。
「わかった! 焼菓子だろう? リタからすごく甘い香りがする」
「正解です! 料理長が、フロル様がお好きじゃないかって焼いてくれたんです。お国でよく穫れる木の実が入っているそうですよ」
カイの城の厨房をとりしきる料理長は、以前は大国の城で働いていたのだという。各国の料理にも詳しくて、フロルのためにシセラの料理を作ってくれた。おかげでフロルは食事に苦労せずにすんでいる。嬉しそうにリタが差し出した籠を見た瞬間、フロルはあっと息を呑んだ。そこにはたっぷりと木の実が入った丸い菓子が並んでいた。
「……デンス」
「ああ、そうです! デンスの実だと言っていました! 南方育ちの私は見たことがないですが」
フロルの胸は、いきなり鋭いものを突きたてられたように痛んだ。レオンが温室でメイネから菓子を受け取っていたことを思い出したのだ。
「フロル様? これはお嫌でしたか?」
「……いや、嫌いなわけじゃないんだ」
リタの心配そうな顔を見て、フロルは何とか笑みを返した。デンスはシセラ国内では珍しくもないが、他国ではあまり育たない。この実を手に入れるのは大変だったのではないか。
「リタ、デンスはなかなか手に入らないだろう?」
「ええ、フロル様のお国のものをとカイ様が遠方まで買い付けに行かれました」
「……そうだったんだ」
カイが遠出をする理由の一つが自分の為であったことを初めて知った。カイも料理長もリタも、自分のために心を砕いてくれる。
フロルは籠の中から焼菓子をつまんだ。口の中でさくりと溶ける菓子は甘く、デンスの香ばしさが口いっぱいに広がる。
「……美味しい」
フロルが微笑むと、リタが安心したように笑顔を浮かべる。もう一枚焼菓子を手に取った時、遠い日の記憶が浮かび上がった。
『フロル、もう一枚あげる!』
『えっ! レオンの分がなくなっちゃうよ』
『もういいんだ。はい、フロルにあげる』
フロルが菓子を食べ終えると、幼いレオンは自分の最後の焼菓子を必ずフロルに渡した。フロルはお腹がいっぱいでもありがとうと言って受け取った。その後のレオンがいつも、とても満足そうな顔をしていたから。
(そんなことがあったのも、すっかり忘れていた)
「フロル様?」
「ああ、昔のことを思い出したんだ。焼菓子の最後の一枚を、必ずくれた幼馴染がいた。彼の好物のはずなのに、不思議で仕方なかった……」
リタがいきなり吹き出すので、フロルは首を傾げた。
「……失礼しました。フロル様、その方は、フロル様の喜ぶ顔が見たかったのでは?」
「え? そ、う……なのかな」
「子どもなら、自分の好物をそう簡単にあげはしないでしょう? きっと、フロル様の事がとてもお好きだったのですよ」
リタの言葉にフロルは何も言えなかった。
幼いレオンが自分のことをとても大事に思っていた。その事実がどうして今こんなにも心を揺らすのか、自分でもよくわからない。
(……レオンはどうしているだろう)
フロルは一人、シセラでの日々を思った。
忘れてしまえばいいと思うのに、フロルの胸からはレオンのことが離れない。王宮の大広間で、彼は自分に謝罪した。そして、驚くような言葉を言ったのだ。
『俺はずっと、君しか好きじゃない』
(なぜ、あんなことを言ったのだろう。僕を引き留めようとしたのだろうか?)
レオンの瞳は真摯で、嘘を言っているようには見えなかった。でも、彼が好きなのは運命の相手であるメイネのはずだ。フロルには、いくら考えてもわからなかった。
(……シセラを捨てるように逃げ出してきた自分にできることなど、もう何もないのに)
フロルは大きく張り出した岩のバルコニーに立って空を眺めた。
晴れ渡った青い空を見ていると、一頭の竜がこちらに向かってくる。カイなのはすぐにわかったが、いつもと様子が違う。明らかに急いでいる竜は、バルコニーに飛び込んできたかと思うと、直接フロルの頭の中に語りかけた。




