10.フロルの決意
〈フロル! レオンが!〉
「……レオン? カイ、レオンがどうしたの?」
〈あいつの言葉がやたら頭の中に響いてくるんだ。ずっと……フロルを呼んでる〉
「僕を?」
〈くそっ! 全く邪魔だったらない! いつもはあいつの声なんか聞こえないのに、まるでこれが最期みたいに!〉
(……最期?)
フロルの脳裏に、はるか昔の光景がよみがえった。蒼白な顔のまま、広いベッドに横たわるレオンの姿が。
弱っていた竜のカイに必死で魔力を注ぎ込んだ後、レオンは城で三日間寝込んだのだ。レオンとフロルは宮廷魔術師にひどく怒られた。いくらアルファでも自分の魔力を際限なく使いすぎです。場合によってはお命も危ないのですよ、と。
心配で心配で、泣きながらずっとベッドの隣にいたフロルにレオンは囁いた。
『──フロルがよろこんでくれたから、いいんだ』
少しも動けないのに、レオンはフロルを安心させようとしていた。
(僕を呼んでるなんて……。レオンに何かあったのかもしれない。命が危なくなるようなことが)
フロルの胸がドクンと跳ねた。
(レオンに何かあったら……。万が一、死んでしまうような、そんなことになったら)
──嫌だ。
ぞっとするような寒気が走った。
(レオンはメイネが好きなのかもしれない。それでも、今は僕を呼んでいる……)
フロルはカイに向かって大きく両手を差し出した。
「カイ、お願い! 僕をレオンの元に連れて行って!」
〈本気なのか? フロル〉
フロルはこくりと頷いた。あんなに傷つけられたのに、それでも行くのかと問われる。それでもやはり、レオンの元に行きたいと思った。
「これは、自分の務めだからじゃない。だって、もう僕はレオンの婚約者じゃないんだ。ねえ、カイ。僕はただ」
フロルはまるで、自分自身に言い聞かせるように言葉を続けた。
「レオンが僕を呼んでいるなら、もう一度会いたい。レオンの元に行きたいんだ」
フロルの真剣な瞳に、カイは悩んだ。しかし、頭の中には何度も繰り返し、レオンの声が響いている。
──フロル。会いたい。一目だけでいいから。……フロル!
〈ああ、もう! 乗れ、フロル!〉
「ありがとう、カイ!」
カイはフロルを背に乗せて、再び大空を飛んだ。カイの城に来た時よりも早く飛び続けた為に、危うくフロルは竜の背から落ちそうになった。必死でしがみついたまま山々を越え、森を幾つも通り過ぎる。どこまでも続く平野を見ながらシセラに向かった。
竜が姿も変えずに王宮付近を飛んだら、魔術師たちにはすぐにわかってしまうだろう。だが、そんなことを気にしている時間はない。カイの焦りがフロルにも伝わり、フロルは必死にレオンの無事を祈り続けていた。
シセラの王宮が見えた時、フロルは目の奥が熱くなった。
(レオン……。どうか、無事でいて)
広大な王宮の北に一つの塔がある。王族の中で罪を犯した者を幽閉する為の塔だ。塔の一番上は、高貴な罪人を入れておく為に存在する部屋だった。
塔の部屋には、明かり取りの為の小さな窓があるだけで、外からは中の様子を窺うことができない。魔法で全てが遮断されているために、物音一つ聞こえないのだ。上空で旋回しながら塔の周辺の様子を見ていたカイは、ゆっくりと塔に近づいた。
〈魔術師たちに見つかるかもしれないが、あいつらの魔力程度ではこちらをどうにもできない。私は塔の上で鳥に姿を変えて待っている。行っておいで、フロル〉
カイはフロルの体を、片手に乗るような小さなねずみの姿に変えて、自分は大鷲になった。銀色のねずみになったフロルを、明かり取りの窓に嘴で押し込む。フロルは窓枠からするすると壁を伝って床まで下りた。部屋の中には魔石の明かりが淡く灯り、ベッドに横になったまま動かない人間の姿が見える。
フロルは必死でベッドの柱を登っていき、目を凝らした。浅い息でそこにいたのは、瞼を閉じたレオンだった。
だが、そこでフロルは、はたと困った。レオン、と名を呼びたくても、ねずみの姿のままでは叫べない。
(どうしよう。どうしたらいいんだろう)
オメガの少ない魔力ではどうにもできない。しかも今は、カイの魔力で姿を変えられている身だ。顔の周りをちょろちょろしても、レオンは動かなかった。ひどく痩せて青ざめたレオンを見ていたら、今にも死んでしまいそうで怖くて仕方がない。フロルはレオンの頬に、小さな体をすり寄せた。ねずみの目に小さな小さな涙が浮かび、レオンの頬に、ぽとんと落ちる。
レオンの睫毛が僅かに震えた。うっすらと開いたレオンの瞳に、銀色の輝きが映った。
「……ぎ、んいろ? ……フ、ロル」
小さく名を呼ばれた途端に、フロルの体に震えが走った。均衡を崩してベッドから床に転がり落ちた時には、ねずみの体は人に戻っていた。カイは一体どんな魔法をかけたのだろうと思いながら、フロルは慌てて体を起こした。
ベッドに横たわるレオンに駆け寄り手を握ると、骨ばった手はひどく冷たい。
「レオン!」
「フ……ロル? 本……当に?」
レオンは大きく目を見開き、半身を起こそうとする。フロルはすぐに手を貸して、レオンが体を起こすのを手伝った。レオンが壁に背を預けながらベッドに座ると、二人はようやくお互いを目に映すことができた。
淡い魔石の明かりがレオンを照らす。髪が乱れ、頬は削げている。ひどくやつれた様子なのに、フロルが見たこともないぐらい、レオンの表情は穏やかで優しかった。
「ここにフロルがいるなんて……信じられない。これは夢だろうか。……でも、夢でもいい。もう一度会いたかった」
「レオン。夢じゃないよ。僕は本物だ」
レオンは震える手で自分の口元を抑えた。
「ねえ、レオン。僕を呼んだ?」
「……ああ。死ぬ前に、一目でいいから会いたかった」
「死ぬ? どうして?」
「クラウスヴェイク公爵家の大事な末子は、竜と共にいなくなってしまった。その原因は婚約者を裏切った王太子だ。フロルは絶望して国を去ったのだと公爵の怒りは収まらず、宮廷内は大騒ぎになっている。公爵は俺が生きていること自体、許せないと言っている」
「父様がそんなことを……。王族の死を望むなんて、大罪じゃないか」
「だが、多くの人々は公爵に同調している。このままでは、王国が割れてしまいかねない。そこで父は俺を廃嫡し、一生、この塔に幽閉することにした」
「そ、そんな。王太子を幽閉だなんて」
「幸い、俺の代わりには人望の厚い弟がいる。今はもう、シセラの王太子は俺ではない」
レオンの視線の先をたどれば、扉の前には、盆の上に水差しと陶器の器だけが置かれていた。
「……少しずつ日々の食事が減らされ、今はもう、水だけだ」
フロルの瞳から涙がこぼれ落ちた。王は誰にも知られぬうちに、我が子の命を奪おうというのか。
「ど、どうして逃げようとしなかったの? レオンの魔力があれば、この塔を抜け出すことぐらいできるでしょう?」
「逃げれば公爵の怒りは増し、国が乱れるだけだ。それに……フロルがいない日々に何の意味があるだろう」
レオンの瞳はとても静かだった。思わずフロルがうつむくと、涙が敷布に染みを作った。
「フロル?」
「僕は、自分の悲しみに溺れて、レオンを守れなかった。レオンならきっと素晴らしい王になる。人々とこの国を導いてくれると思っていたのに」
「……フロルは、俺を守りたかったのか」
フロルは静かに頷いた。その為だけに、自分は生きてきたのだ。
「レオンが僕と結婚してくれれば、クラウスヴェイク公爵家はレオンの強固な支えになる。メイネのことが好きでも、何とか婚約破棄だけはさせたくなかった」
「そんなことを考えていたのか。俺は、散々フロルを傷つけたのに……。本当に、すまなかった」
レオンは目を伏せてフロルに謝った。その姿はずっとフロルが知っているレオンだ。不器用で誠実で優しい、大切な幼馴染。フロルは痛む胸を堪えながら、勇気を振り絞って尋ねた。
「レ、レオンは僕のこと、嫌だった?」
静かな青い瞳が、紫の潤んだ瞳を見つめる。震える手が伸ばされて、ほっそりと白い手を包み込む。長い沈黙の後に、レオンは、はっきりと言った。
「……反対だ。フロルを、愛している」




