11.秘めた想い
レオンはフロルから目を離さず、ゆっくり話し始めた。
……幼い頃から自分が好きな相手は唯一人だった。物心ついた時には、いつも隣にいてくれた。人見知りが激しかった自分の手を引いて、だいじょうぶだよ、と言われれば何でもできるような気がした。紫の瞳は何時もきらきらと輝いていて、何て綺麗なんだろうと思っていた。
「それ、僕のこと……?」
レオンは頷いた。フロルの胸はドキドキと高鳴った。レオンの口から夢のような言葉を聞いて、これは現実なのだろうかと思う。
「でも、それならどうして」
「ロベモント侯爵の仮面舞踏会でのことだ」
フロルの体はびくりと跳ね、レオンが悲し気な目をする。部屋の中の明かりがゆらりと揺れた。
仮面舞踏会で自分は一つの賭けをしていた。まるで子どものような賭けだ。自分のところに招待状が来ているのだ。きっとフロルの元にも届いているだろう。たくさんの招待客がいても、フロルをきっと見つけてみせる。見つけることができたら、唯一つの望みを伝えよう……。そう思って探しているうちに、フロルだと思う姿を見つけた。
「だが、それはメイネだった」
フロルの心に悲しみが広がる。これ以上聞きたくないと体が後ずさる。レオンはそれに気がついて、フロルの手を離さぬよう力を込めた。
「……どうか、最後まで聞いてくれ。仮面舞踏会には多くの人々が出入りする。魔力も雑多で、警戒していたつもりだったが注意が足りなかった。メイネは……魅了魔法の使い手だった」
フロルに声をかけたはずが、いつのまにか舞踏会場の前のバルコニーでメイネと話し込んでいた。最近、隣国から帰ってきたばかりだと言う伯爵令息は親しみやすく、王宮で再び会う約束をして別れた。
翌日になると、なぜか早くメイネに会わなくてはならないと思った。早馬を飛ばし、すぐに会いたいと手紙を届けさせた。メイネはほどなくやってきて、気がついたら自分の悩みを細かに打ち明けていたのだ。秘めていたフロルへの気持ちも全て。
自分の中にあるフロルへの想いは複雑で、誰にも打ち明けられないこともあった。不思議なことに、メイネの前なら遠慮なくそれを話すことができた。
「メイネの魅了は、今まで見知った使い手とは全く違っていた。直接的な行動を仕掛けるわけじゃない。人の心の中にある欲望を誘い出し、目の前に差し出す。そして、まるで甘い蜜のように都合のいい夢を見せるんだ」
「どういうこと? 魅了って……その、身も心も惑わせるものじゃ、ないの」
思わず小さな声でフロルが口にすると、レオンは微笑んだ。
「メイネの魅了は違う。体ではなく、心に深く作用するんだ。それに、俺は他のオメガを求めたりしない」
「えっ?」
「……フロルは覚えてないんだろうな。俺たちはふざけて項を噛みあったことがあるんだよ」
フロルには全く記憶がなかった。発情期が訪れようという頃だとレオンは言う。
ある日、いつものように書庫で本を見つけては、二人並んで読みふけっていた。棚の奥にあった一冊の本に、アルファとオメガが番になることが書かれていた。アルファがオメガの項を噛めば、互いに離れがたい繋がりができる。好奇心から、二人は互いの項を交互に噛んだ。噛むとは言っても、遊びの延長で軽い甘噛みのようなものだ。
フロルがレオンをかぷりと噛んでも何も起こらなかったが、逆は違った。レオンがフロルの項を噛んだ途端、フロルは倒れてしまったのだ。レオンは慌てて人を呼んだ。魔術師や医師が呼ばれ、目覚めさせようとしても、フロルは丸一日、目を覚まさなかった。そして、フロルが眠っている間に、レオンの体にも大きな変化が訪れた。
フロルが近づくと仄かに甘い香りがするのは知っていた。その香りを嗅げばいつでも幸せな気持ちになったのに、それだけではすまなくなった。自分の腕の中に閉じ込めて、そして……。日に日に口に出せない想いばかりが募っていく。
宮廷医師に相談すると、番の疑似関係が起きていると思われます。成長してご結婚なされば落ち着くでしょうと言う。
「そ、そんなこと、知らない」
「フロルは目覚めた時には何も覚えていなかったからな。それで、こちらの状況を言うことも憚られた」
自分を抑えるために、レオンは強い抑制剤を飲む必要があった。他のオメガの発情に巻き込まれはしないが、いつか自分がフロルを壊してしまうのではないかと空恐ろしくなった。
そして、肝心のフロルは自分をまるで弟か幼い子どもを扱うように世話をする。ずっと幼い時の話を持ち出してくるし、気軽に体を寄せてくる。日に日に苦しみは増して、まさに地獄のようだった。
「もしかして、温室での話は……」
「……すまない。フロルへの不満をつい口にしてしまった。自分はもう昔とは違う。成長しているのに、少しも恋愛相手としては見てもらえないと思って」
レオンは苦し気に眉を寄せている。フロルは目を大きく見開いたまま、レオンの言葉を心の中で繰り返した。
(……恋愛相手として? 僕はずっと、レオンをそんな目で見たことがなかった)
「あ、あの、デンスの入った菓子も食べられるようになったの?」
「デンス? ああ、今は食べ過ぎなければ問題ない」
確かに昔と少しも変わらぬままレオンに接していた。レオンはずっと成長していたのに、菓子の事すらわかっていなかった。まして、自分が近づく度に発情が起きていたなんて、想像したこともない。
「メイネは俺の心に巣食う欲望を確実に見せつけてきた。フロルにもっと自分を見てもらいたいという欲求を」
――お悩みはよくわかります。あんなに美しくて賢い方ですが、レオン様のことは友人か弟のようにしか思ってらっしゃらない。さぞ、おつらいことでしょう。
「こんな言い方をするのは情けないが、自分に自信がなかった。王太子とはいえ、人といるのが苦手で、書物の方が好きだ。フロルはたくさんの人から愛されている。婚約者だから自分の元にいてくれるが、いつか他に目を移してしまうのではないかと恐れていた」
ずっとレオンと過ごしてきたフロルは、レオンが一つ一つ地道な努力を重ねてきたことを知っている。決して要領がいいわけではないけれど、真面目で勤勉なことを。そんな彼の側から離れるなんて考えたことがなかった。しかし、レオンはフロルが気づかないうちに不安を抱えていたのだ。
「弟のユリオンは、フロルが自分の婚約者だったなら、と当てつけのように何度も俺に言ってきた。いつかフロルがユリオンや他の誰かを好きになったらと思うと、気が狂いそうだった。そう漏らしたら、メイネが言った」
──嫉妬させてみたらいかがです? そうですね、好きな人がいると言って、気をひくのです。自分と一緒にいるのが当たり前の相手が去ろうとすれば、人は追いかけたくなるものですよ。
メイネの言葉は甘い毒のように、レオンの中にするりと入っていった。
「……愚かだったとしか言えない。人の心を試すような真似をして。フロルがどんな気持ちでいるか、考えもしなかったのだから」
レオンの言葉をフロルは呆然と聞くばかりだった。
「昼食会に……来なかったのも?」
「……そうだ。それでも、真面目なフロルが待っているはずだと思ったら、少しも落ち着かなかった。ただ、三回目の時にフロルが奥庭に来ただろう? 自分をずっと見つめているのがわかって、心が震えた」
奥庭に行ったのを気づいていたのか、とフロルは驚く。レオンはフロルが来たらすぐにわかると答えた。風に揺れる花のように、甘く柔らかい香りがするから、と。
「フロルが、昼食会に来るよう涙を堪えて進言してくれた時も、自分のことを思ってくれているのだと嬉しくて仕方がなかった。メイネが脇であれこれ言っていたが、正直、彼の言葉はろくに耳に入っていなかった」
レオンが身勝手な理由でフロルを傷つけ続けたことにはっきり気がついたのは、愚かにも国王たちとの食事会の時だった。




