12.ただ一つの幸せ
明らかに痩せてしまったフロルの顔色は悪い。驚いてうまく言葉もかけられずにいると、自分が贈った宝石たちを身に付けてくれていることに気がついた。だから、本当は一刻も早く詫びて、礼を言いたかったのだ。
廊下でいきなり会話に入ってきたメイネに驚いたが、フロルが止めに入ってくれた。筋を通す姿を好ましいと思ったが、メイネに言っても無駄なのを知っていた。メイネは宮中の決まりを気にしない。留学先がシセラと違って自由な気風の国だったせいか、本人にいくら言っても、少しも効き目がないのだ。真面目なフロルが気を揉むことはないと思って言った言葉に、フロルの顔色はどんどん悪くなっていった。
「レオンがそんなことを思っていたなんて、何も気づかなかった。でも、メイネにピアスを贈ったでしょう……」
「あれは、出入りの商人が来た時に、たまたまメイネが一緒にいたんだ。実は、フロルに何が似合うと思うかと聞いて、一緒にいくつか選んでもらった。自分も好きなものを選んでいいかと言うので、勝手に選べと言った。まさか、それを茶話会に付けてくるなんて思わなかった」
「じゃあ、肩に付けていた宝石は……」
「いつも付けていた紫水晶の飾りが欠けてしまったんだ。まさか、フロルの瞳を象った品が欠けたままで、茶話会に出られるわけがない。あの日付けていたのは、……昔、フロルと一緒に選んで買った品だ」
そんなことがあっただろうか。フロルが必死で考えると、弟の誕生祝を選ぶ時に一緒に自分のものも選んでくれたのだとレオンが言った。
「レオンにはこれが似合う、とフロルが言ってくれたのが嬉しくて、ずっと大切にしていた」
静かなレオンの言葉に、フロルの瞳から涙がこぼれた。
レオンはあの日初めて、フロルに手を振り払われて呆然とした。フロルに拒否されて、自分のやってきたことが、どれだけ独りよがりだったかがわかったのだ。メイネには、もう自分に近づくなと言い渡して部屋に引きこもった。誰が何を言ってきても会わずにいたら、段々、霧が晴れたように頭の中がすっきりしていく。
何かがおかしいと気づき、宮廷魔術師を呼んで体を調べてもらうと、魅了魔法にかかっていることがわかった。魅了をすっかり抜くためには、思った以上に時間がかかった。
「知らず知らずのうちに、メイネの言いなりになっていたんだ。会うたびに魅了を繰り返しかけ続けられていたのだろうと、宮廷魔術師が言った。頭の中ではちゃんとフロルのことを想っていたはずなのに」
メイネの目的は、王太子に近づいて伴侶となることだった。伯爵家からでは、王太子妃の座は望めない。しかし、自分が魅了を使い王太子に近づけば、いずれ伴侶になる機会はあると考えたのだ。
「メイネはフロルに似せた香りを体にわざと付けていた。オメガの魔力は弱いのに、魅入られていたのは、そのせいだ。魅了が解けて、会いたいと思うのはフロルだけだった。……だが、もう全てが遅かった」
公爵が国王の前で婚約破棄を願い出た時、フロルはもうレオンを見ようともしなかった。そして、竜がフロルを連れて行ってしまった。レオンに残されたのは絶望だけだ。父王に言われるまま、塔に幽閉されて死ぬのも悪くないと思った。
──大切なものは、もう二度と、戻ってこないのだから。
フロルはレオンに握られた手をそのまま自分の口元に運んだ。そっとキスをすると、レオンは瞳を瞬いた。
「……僕は、何も見えていなかった。独りよがりなのは、僕も一緒だ。レオンの為と言いながら、自分の役目ばかりを追っていた」
「俺は、いつも一生懸命なフロルが好きだ。フロルのおかげで、どんな時も頑張ろうと思えたんだ。フロルが望むなら、立派な王になりたかった。……こうして会いに来てくれるなんて、もう思い残すことはない」
レオンがフロルを見る瞳は静かなままだ。フロルが誰よりも大事に思う存在がここにいる。
「こんなところで最期を迎えるわけにはいかないよ。レオン、一緒に逃げよう」
「フロル?」
「ねえ、レオン。僕たちは、たくさんの遠回りをしたんだよ。でも、これからは大丈夫。たくさんたくさん話そう。そして、また一から始めよう」
「……まさか、フロル。俺を許してくれるのか?」
フロルはゆっくりと頷いた。どうしてあんなにレオンとメイネが一緒にいたらつらかったのか、ようやくわかった気がした。
(レオンに好きな人ができたら応援しようと思ったのに、少しもできなかった。……それは)
「……僕も、ずっと、レオンが好きだったんだと思う」
「フロル」
「ずっと……気づかなくて…………ごめん」
レオンが、これ以上君に触れたらどうなるかわからない、と呟いてそっと手を離した。フロルは、自分から進んでレオンの胸に飛び込んだ。レオンは目を見開き、恐る恐る手を差し出して、フロルの細い体を抱きしめた。
フロルの瞼に、柔らかく触れるようなキスが降ってくる。フロルの心は高鳴った。弱っているはずのレオンの体は、自分よりもずっと大きくたくましい。レオンからは、まるで深い森の中にいるような落ち着いた木々の香りがする。ずっと抱かれていたくなるのに、胸がドキドキして逃げ出したい気持ちにもなる。
「そ、そういえば……」
「ん?」
「レオンの賭けって……何だったの? 仮面舞踏会で、僕を見つけようと思っていたんでしょう?」
レオンはフロルをぎゅっと抱きしめた。
「……賭けには勝てたみたいだ」
「えっ?」
「フロルを見つけることができたら、はっきり言おうと思っていた。フロルが好きだ。どうか……、自分を恋人として見てくれないかと。フロルにとっては兄弟のような存在かもしれないけれど、俺はもう、それじゃ嫌だと言いたかった」
「そうだったんだ……。僕、レオンが他の人を見るのがあんなにつらいなんて知らなかった。ずっと一緒にいたから、側にいるのが当たり前みたいに思ってたんだ」
「俺はもう……フロルしか見ない。心を試すような真似は、二度としない」
フロルは微笑んでレオンの首に手を回した。レオンもフロルを抱きしめる。大きな手が項に触れた時、フロルの脳裏にふっと一つの光景が浮かんだ。
『フロル、おれのつがいになって。ここをかめばいいんだって!』
無邪気で期待に満ちた子どもの声が耳の奥に甦る。
「……レオン。昔、僕に番になって、って言った?」
「フロル? 思い出したのか」
「うん、小さなレオンの声が聞こえた……」
レオンはそっとフロルの額に口づけた。
「番になれば、ずっと一緒にいられると思った。……今度は、もっとはっきり、ここに痕をつけたい。甘噛みじゃすまない位に」
そっと指でなぞるように項に触れれば、フロルはこくんと頷いた。レオンの目に、可愛らしい耳が真っ赤になっているのが見える。
「……あのね、レオン。僕は、ようやく自分の幸せを見つけた」
レオンのことだよ、と囁くフロルに胸が詰まる。込み上げる涙を見られぬよう、何よりも大切な恋人をレオンは強く抱きしめた。
大鷲に姿を変えた竜は、自分の奥深くにある人の子の魔力が変わったのを感じた。
今にも消えそうなほど小さかった魔力が、ゆっくりと回復していく。レオンに力を与えているのは、番であるフロルだろう。
〈あーあ、どうやら上手くいったらしいな。何だか腹が立つが仕方ない〉
銀色のねずみを見てもフロルを思い出すなら、レオンを生かす価値はある。ひそかにそんなことを考えて魔法をかけた竜は、ため息をついた。
カイはフロルたちに初めて会った時のことを思い出す。死にかけていた竜を助けた子どもたちは、同じ色の『気』をまとっていた。竜ならば、一目で自分たちが大切な番同士だとわかる。だが、『気』を見ることができない人間たちは、性別や香りがないと己の番の判別もできないらしい。全く不自由なことだ。
〈可愛いフロルを泣かせる奴の命など、本気でどうでもいいと思っていたが……。この体は、根本であいつの魔力と繋がっている。まあ、しばらくは様子を見ながら一緒に暮らすとするか〉
カイは番となった二人に祝福を与えると決めている。どこにいても彼らが幸せに暮らしていけるように力を尽くすつもりだ。竜とは、太古の昔から愛情深い生き物なのだから。
眼下にざわざわと多くの人が集まってくる。魔術師たちが、竜の力を感じとって騒ぎ立てているのだろう。
〈──さて、急がないと〉
ようやく心を確かめ合った恋人たちの邪魔をすることに決めて、竜はまず、北の塔の屋根を吹き飛ばした。
【 了 】




