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普通の散歩がしたかっただけですのに

季節は初夏。


ロゼッタ・エル・グランフェルは、

美しく整えられた庭園を眺めていた。


「……お散歩がしたいですわ」


ぽつりと呟く。


だが理解している。

理解できてしまっている。


この屋敷に母がいる限り、私に“普通の散歩”など、

存在しないのだ。


ロゼッタは遠い目で庭を見つめた。


(貴族令嬢って、こんなにも息苦しいものなんですの……?)


そう思った、その時だった。


「今日はいいお天気ですわねぇ〜❤️」


母、マリアベル・エル・グランフェルが嬉しそうに微笑む。

「お散歩でもしましょう、ロゼッタちゃん❤️」


ロゼッタは固まった。


まさか、ついに。


ついに私にも、普通のお散歩が――!?


ロゼッタは感動した。


――そして数十分後。



頭上には、巨大な日除け。


もはや傘ではない。


縦横三メートルを超える、

移動式テントだった。


四隅を取り巻きたちが、キラキラした笑顔で支えている。


「もう傘じゃありませんわよ!!」


一方、マリアベルは目の前を横切る小さな黒い影におびえていた

「蚊ですわぁ!!!!」

「ロゼッタちゃんの血が....危ないですわぁ!!」


数分後。


ロゼッタは爆煙の中に立っていた。


ぷしゅ〜〜。


ぷしゅ〜〜。


顔にはガスマスクをつけられ、呼吸音だけが響いていた。


「これで完璧ですわ❤️」


マリアベルが満足そうに頷いた。


「どうせこうなると思ってましたわよぉぉぉ!!!」

ロゼッタの叫びが庭へ響く。


「煙担当!」

「はいっ!!」

「虫除け煙幕、展開完了です!」


「扇担当!」

「はい!!」

「本日は三部隊編成!ロゼッタ様へ煙を一切近づけません!」


「よろしいですわ❤️」


白煙に包まれた庭園。

視界はゼロ。


ガスマスク姿の令嬢。


その隣を、なぜか感動してうるうるしている母が歩く。


とても。

とても。


日常的な光景だった。


その時


ぷぅぅぅぅん……


一匹の蚊が

白煙を突破して、ロゼッタのほうにやってきた。


「……はっ!」


気付いた時には、遅かった。

蚊がロゼッタの腕へ止まる。


…………ぷすっ。



「…………」



無情にも蚊の腹が膨らんでいく。


赤黒く透けた腹が、そこに確かに、

ロゼッタの血が吸われていることを主張していた。


「きゃあああああ!!!血が!!!


ロゼッタちゃんの血がぁぁぁ!!!」



「煙担当ぉぉぉぉ!!!」

「何をしておりましたのぉぉぉ!!!」

「申し訳ありませんわぁぁぁ!!!」


マリアベルがショックで崩れ落ちる。


「ママ!?」


そこへ、この国の宰相をしている父、ヴィクトルが素早く駆け寄り妻を抱き留めた。

「ママ、大丈夫か!?」


ロゼッタはガスマスクで遮られた視界の中。

ようやく蚊に気がつき、叩こうとした。

「まぁ。蚊ですわ」



だが、蚊は飛び立ってしまう。

そして次の瞬間。


――パンッ!!


蚊が、消し飛んだ。


屋敷の屋根の上。

銀髪の青年。


ルシアン・エル・グランフェルが、静かにライフルを下ろしていた。


「……失態だ」


従者が青ざめる。

「ぼ、坊っちゃま!?何か問題が!?」


ルシアンはライフルを見下ろした。


「風向きの変化を計算し、煙の流れを修正した瞬間――」

「はい」


「蚊への照準が半拍遅れた」

「蚊、ですよね???」


ルシアンは目を伏せる。


「ロゼッタへ接触する前に、撃ち落とすべきだった」

「蚊ですよね???」


「次は外さない」

「蚊の話、ですよね?」


そして雨の日ーー


転倒防止のため、

庭へ赤い絨毯が敷かれ。


さらに「屋根も必要ですわね❤️」

その一言で。


庭園全体へ、巨大屋根を設置する工事計画が始まった。


ロゼッタは散歩を諦めた。



真夏ーー

炎天下。


マリアベルが、

今にも焼死しそうな勢いで騒ぎ続けた。


ロゼッタは散歩を諦めた。



そして秋ーー


ついに。

ついにロゼッタは、普通の散歩を勝ち取った!


煙もない。


ガスマスクもない。


ドレスだけ。


完璧だった。


ただし、「落ち葉で滑ったら危ないですわぁ❤️」

の一言で、庭木の葉はほぼ全て刈り取られていた。


木。というより、ほぼ棒だった


「風情は死にましたわね……」


でも、歩ける!


「やっと……やっとお散歩できますわ……!」


長かった。

本当に。長かった。


ロゼッタは感動しながら、

一歩を踏み出す。


一歩。


二歩。


三歩。



「きゃっ!!」


ぽふっ。



「ロゼッタちゃぁぁぁん!!!」

マリアベルは絶叫し、ヴィクトルも立ち上がる。


「今のは――」

「土が悪い!!!」


「え?」


「燃やせーーー!!!」

「燃えません!!」


「ならば、撤去だーーー!!!」


「待ってくださいませーーー!!!」


翌日。


庭は、一面


真っ白なぷわぷわの何かへ変わっていた。


「なんですのこれ......。」


「ははっ。宰相権限を使って。少しな。」

「少しとは???」


「軍用だ」

「軍!?!?」


「さすがパパですわぁ〜❤️頼もしいですわぁ〜❤️」


ロゼッタは、ぷわぷわの白い地面を歩いた。


ぽふっ❤️


ぽふっ❤️


ぽふっ❤️



背後では。

マリアベルとヴィクトルが、泣きながら手を取り合っていた。


「よかったですわねぇ……!❤️」

「ああ……!」


「歩いてますわぁ……!!❤️」

「成長したなぁ......!」


「わたくし、十六歳ですわーーー!!!」

執事「いつものグランフェル家でございます」

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