お兄様、いったいどうされたんですの
王女シャルロットは最近、兄がおかしいと思っていた。
兄――第一王子アレン・ルーヴェルトは昔から真面目な人だった。
責任感が強く努力家で、幼い頃から勉強を怠らず、執務にも積極的に関わってきた。
困っている者を見捨てず、身分の低い者にも誠実に接し、王宮の誰もが「あの方なら立派な国王になられる」と口を揃えていたほどである。
シャルロットにとっても自慢の兄だった。
少なくとも最近までは。
「ユナ商会……?」
シャルロットは手元の資料を見下ろした。
ユナ商会という新興商会で、商会主はユナという少女だった。
最近まで平民だったが男爵家へ養女入りしたばかりらしく、急速に勢力を伸ばしている人物でもある。
添えられた肖像画の中の少女は、非常に可憐だった。
「……怪しいですわ」
ぽつりと呟く。
最近、兄はその商会にやたらと肩入れしている。
支援・事業協力・共同研究
(共同研究?)
シャルロットは眉をひそめた。
商会と王太子が共同研究とは何なのだろう。
意味が分からない。
だが兄の執務態度そのものは変わらず、それどころかむしろ以前より忙しそうだった。
資料を読み、報告を受け、会議に出席し、朝から晩まで執務室に籠ることもある。
その姿は昔と何も変わらない。
だから何度も自分に言い聞かせた。
(考えすぎだ。あの真面目な兄に限って、変なことはない。)
そう、思っていた。
しかし、ある日シャルロットが執務室へ差し入れを持っていった時、机の上に積み上げられた書類を見て固まった。
「……何ですの、これ」
表紙には『花弁の落下速度と湿度の相関関係に関する調査』と書かれている。
シャルロットは記憶をたどるが、最近の王国の執務案件に花弁落下速度についての案件はなかったはずだ。
いや、もしかしたら自分が知らないだけかもしれない。
そう言い聞かせてはみるものの、さすがに怪しかった。
シャルロットは恐る恐るページをめくる。
そこには、緻密な計算式、図表、観測記録、そして実験結果。
どう見ても本気だった。
兄は、本気で研究している。
(なぜ......)
そして最後のページには
『Special Thanks ユナ・レインフィール』
「スペシャル......サンクス......」
シャルロットは深呼吸をして、もう一度書類を見た。やはり書いてある。
花弁。湿度。共同執筆者。
スペシャルサンクス。
「…………」
シャルロットはそっと本を閉じた。
兄は、いったい何を研究しているのだろう。
しかも、女の影はユナだけではなかった。
最近の王宮にはやたらと令嬢達が出入りしている。
彼女達はそれぞれ黒薔薇担当だの鉄扇担当だの傘担当だのと名乗っていたが、
その担当という言葉が何を意味しているのかは、最後まで分からなかった。
彼女たちは兄に呼ばれているらしい。
気になってこっそり覗いたシャルロットは、絶句した。
令嬢達が、花を撒き、照明を動かし、
そして兄が指示を出していた。
「光が強すぎる」
「調整しますわ!」
「湿度を上げろ!」
「はい!」
「殿下!虹が!」
「何!?」
シャルロットは目を見開いた。
偶然できた虹らしく、兄の目も輝いていた。
「これは、活かせる!!」
「光の角度を記録しろ!」
「はい!」
「発生条件を分析する!」
「はい!」
自慢の、兄だったのだ。昔から真面目な人だった。
(お兄様、いったい......何をしているんですの)
劇だろうか。それとも演劇だろうか。それとも、宗教だろうか。
あの兄のことだ。なにか深い理由があるのかもしれない。
そう信じたかった。
「……問いただしますわ」
シャルロットは静かに決意を固めた。
そして、その日の夕方
「お兄様」
「どうした」
「最近、何をしているのですか」
「仕事だ」
「仕事?ではこの論文は何ですの?」
「論文だ」
「それは見れば分かりますわ」
そしてアレンは少し気まずそうに視線をそらしながら、観念したようにつぶやいた。
「......ロゼッタのためだ」
シャルロットは固まった。
「……はい?」
「ロゼッタのためなんだ」
兄は真面目な顔で繰り返した。
意味が分からなかった。
論文とロゼッタにいったい何の関係があるのだろう。
考えれば考えるほど分からなくなる。
そこでシャルロットは母の元を訪ねることにした。
王妃なら何か知っているかもしれないと思ったのである。
「お母様」
「あら」
「アレンお兄様がおかしいのです」
「そう」
「ロゼッタ様のために虹を作っています」
「そう」
「花びらの落下速度も研究しています」
「そう」
「なぜ驚かないのですか!?」
思わず声が大きくなる。
しかし王妃は落ち着いた様子で紅茶を一口飲み、それから優しく微笑んだ。
「だって、好きな女の子のために頑張っているだけじゃない」
「意味が分かりません!」
「そうかしら?」
「論文まで書いているのですよ!?」
「でも、それだけでしょう?」
「それだけ?」
「ふふふっ未来の夫婦が仲良しなのは良いことだわ」
「良くありませんわ!」
兄は、虹を作っているのである。
普通は婚約者には花や装飾品を贈るのではないだろうか。
シャルロットは心の底からそう思った。
だが母はどこか嬉しそうだった。その様子がまた不安を加速させる。
結局、誰もまともに答えてくれない。
だが、兄を狂わせた原因だけは理解できた。
「ロゼッタ・エル・グランフェル……」
シャルロットは小さく呟く。
(これはもう直接お話を聞くしかありませんわ!!)
シャルロットは机へ向かい、丁寧に文字を綴っていく。
だが、そのペン先には自然と力が入っていた。




