北部、怖いですわ
エミリアとの会話は、とても楽しかった。
好きな本の話。
お菓子の話。
王都で流行している劇の話。
令嬢らしい会話というものを、ロゼッタは初めてしている気がした。
「その劇、わたくしも気になっておりましたの!」
「本当ですか!実は、私も楽しみにしておりましたのに、この前見たときには劇の内容が変わってしまいましたの。」
「まぁ。なぜ?」
「実は.....」
思わず身を乗り出す。
エミリアも楽しそうに、時に驚きながら二人で笑いあう。
(楽しいですわ)
それはロゼッタがずっと求めていた、普通の時間だった。
その時だった。
エミリアの表情から、先ほどまでの柔らかな笑みが消えた。
「……?」
ロゼッタが首を傾げる。
エミリアは窓の外へ視線を向けたまま、すっと目を細め、小さく呟いた。
「ロゼッタ様」
「何者かがこちらを見ています」
「え?」
「人数は一名....」
「方角は南東....」
「屋根……いえ。」
さらに細く目を眇めた。
「おそらく....木の上ですわね。」
ロゼッタは、なにが始まったのか理解が追いついていなかった。
先ほどまで談笑していた空気は消え、部屋の空気は緊張に張り詰めていた。
「敵意、というより監視でしょうか。」
「念のため下がってくださいませ!」
エミリアはすっと立ち上がると、どこからともなく小さな斧を取り出した。
「お、、斧!?」
「どこから!?なぜ、斧をお持ちなんですの!?」
ロゼッタは思わず叫んでいた。
エミリアはきょとんとする。
「護身用ですわ」
「護身用!?」
いったい何から身を守るつもりなのだろう、ロゼッタはこの状況に。
いや、突然斧を振りかざしたドレス姿の令嬢エミリアに震えていた。
その頃木の上では、ルシアンが静かに双眼鏡から目を離していた。
(この距離で。気付かれたか。)
(やるな。)
普通なら、見逃す。
というよりも気づくほうがおかしいのだ。
訓練を受けた兵士でも難しい。
ルシアンは少しだけ口元を緩めた。
面白い。
一方ロゼッタは慌てていた。
「ち、違いますの!」
「え?」
「多分それ、お兄様ですわ!」
「お兄様?」
エミリアが首を傾げる。
「ええ!」
ロゼッタは慌てて説明した。
兄のルシアンは過保護であること。
気付くと近くにいること。
気付かなくても近くにいること。
気付いた時には狙撃準備が終わっていること。
時々虫を撃ち落としていること。
説明している途中で、自分でも少し意味が分からなくなってきた。
「蜂の巣も吹き飛ばしますわ!」
「吹き飛ばす」
エミリアは真面目な顔で聞いていた。
「やっぱり、変ですわよね……」
ロゼッタは、少ししょんぼりとうつむいた。
だから今まで誰にも話せなかった。
説明すればするほど、おかしく聞こえるのは理解していた。
しかし、エミリアは笑わずに静かに聞いてくれている。
「そうだったのですね」
「お兄様と気付かず、失礼いたしました」
「え?」
エミリアは微笑んでいた。
「わたくしも似たようなものですから」
「そうなんですの?」
「ええ」
「実は私にも弟がおりまして」
「まあ」
「とても可愛くて、つい心配してしまうのです。」
「でも、木の上で監視はしませんけれどね。」
エミリアはおかしそうに笑っている。
「ロゼッタ様も大変だったのですね」
ロゼッタは目を瞬いた。
大変だった。
そう言われたのは初めてだった。
家族はみんな優しい。
けれど。
少しだけ。
いや.....かなり変だ。
そのことを、やっと理解してもらえた気がした。
なんだか少し泣きそうになる。
「ありがとうございます……」
家族の話をして、こんなふうに笑ってもらえたのは。
ロゼッタはいつの間にか、つられて笑顔になっていた。
「でも、とても愛されていらっしゃるのですね」
「お母様からのお手紙も、少々驚きましたけれど」
「申し訳ありませんわ……」
「ふふ。素敵だと思いましたわ」
エミリアの穏やかな笑みに、ロゼッタの胸が少しだけ温かくなった。
少し緊張もほどけたロゼッタは、何気なくテーブルの上の胡桃を手を伸ばした。
「これ、硬いですわね」
何度か力を入れてみるが、ナッツクラッカーを使ってもうまく割れない。
「あら」
「貸してくださいませ」
エミリアが優雅に微笑んでクルミを手に取り.....
にこりと微笑んだ。
その瞬間。
バキィッ!!!!
胡桃が、砕けた。
「い...今。素手。素手で?」
混乱でうまく言葉が出てこないロゼッタを見て、エミリアは一瞬だけ目を丸くした。
「あら」
「はしたなかったかしら」
「ごめんなさい」
「そうじゃなくて……」
「ではどこが?」
本当に分からないという顔で、少ししゅんとしているエミリアに、ロゼッタは思わずフォローの言葉を続けた。
「い、いえ!悪い意味ではありませんの!」
「そうですの?」
「ええ!力がお強いんですのね。格好いいと思いますわ」
エミリアがぱちりと瞬きをした。
それから、ほっとしたように微笑む。
「ありがとうございます」
少し嬉しそうだった。
「北部では珍しくありませんの」
「本当に?」
「ええ」
「本当に?」
ロゼッタは思わず聞き返した。
「北部ってどんなところですの?」
「冬はやはり王都に比べると寒いですわ。」
「吹雪で道が消えることもありますし」
「怖いですわね……」
「ですので家族とは常に合流地点を決めております」
「合流地点....?」
「弟も、昔はよく迷子になっておりましたわ」
「大変でしたわね」
「いえ」
エミリアは首を傾げた。
「敷地内でしたので」
「敷地内で迷子になりますの?」
「北部ですから。」
「北部...ですから?」
「北部ってそういうものなんですの?」
「そうですわ」
エミリアはふわりと笑って紅茶一口飲むと
「北部では気を抜くと死にますもの」
急な角度で話を物騒な方向に飛ばしてきた。
「え?」
「冬場に吹雪へ巻き込まれますと、指がなくなりますし」
「え?」
「あと狼も出ますわね」
「狼」
エミリアは紅茶をまた一口飲んだ。
とても優雅だった。
話している内容以外は。
「子供の頃はよく、狼と追いかけっこをしましたわ」
「狼と!?」
「勝った時は嬉しかったですわね」
「狼に!?」
普通ではなかった。
全然普通ではなかった。
話題は普通ではないけれど、小説で読んだような素敵な時間。
2人きりのお茶会の最後には、北部辺境伯領に遊びにいく約束までできた。
(北部って怖いですわ……)
(この方も、少し変ですわ……)
(でも……)
「楽しみですわ❤️」
ロゼッタは満面の笑みを浮かべた。
エミリアはロゼッタの良き理解者枠の予定でした。
なぜ胡桃を握り潰したのでしょうか。




