第8話 広場に映る映画みたいに
ただの壁が、物語になる瞬間を見た。
駅の建物に映った光は、柱の角で折れ、窓の位置に合わせて沈み込み、建物そのものを巻き込んで動いていた。平らなはずのコンクリートが、まるで呼吸しているように見えた。
プロジェクションマッピングだった。
暗い部屋でパソコンの画面を見つめたまま、僕はしばらくマウスを握る手を止めていた。
駅の前を歩いていた人が立ち止まり、顔を上げて壁を見ている。通りかかっただけの子どもも、大人も、誰もが同じ光の方を向いていた。
それを見た瞬間、ある映像のワンシーンが頭に浮かんだ。
『ニュー・シネマ・パラダイス』の広場上映のシーンだ。
映画館に入れない町の人たちのために、建物の壁に映画を映す。広場に人が集まって、同じ映画を見ている。あの光景に、僕は妙に惹かれていた。
駅の映像も似ていた。通りかかった人が立ち止まる。子どもも、大人も関係なく見ている。目的も立場もバラバラな人間が、たった一枚の壁の前で、同じものを見上げている。たったそれだけのことなのに、そこには妙な優しさがあった。映画館の席みたいに金を払って座る場所ではない。偶然通った人にも、ちゃんと開かれている。
こういう映像を作れたら面白い。そう思った。
次の日、僕は学校の事務に聞きに行った。
事務室は昼の光で白っぽく、コピー機の音が断続的に鳴っていた。書類の山と古い机、壁に貼られた掲示物。僕は事務の人の机の前に立って、昨日の夜から頭の中で形になっていた言葉をそのまま出した。
「こういう映像の仕事って、学校には来てませんか?」
事務の人は少し手を止めて、僕の顔を見た。
「うーん……そういう会社との繋がりはないね」
「そういう会社って何ですか? 映像制作会社じゃないんですか?」
「映像制作会社っていうより……イベント企画会社とか、システム・機材会社とか。そういうところが関わって動く案件が多いと思うよ。映像制作会社は必要に応じて外注されるんじゃないかな?」
「……なるほど」
僕は家に帰ると、すぐにパソコンを立ち上げた。まともな作業机もない窮屈な部屋で、身を寄せるように画面をのぞき込みながら、プロジェクションマッピングの仕事をしている会社を片っ端から探した。
当時は、プロジェクションマッピングという映像表現そのものが、まだ新しく、流行り始めたばかりだった。だから、そういうことをやっている会社自体が少なかった。求人もほとんどない。それでも、いくつか見つけた。
どの会社も、似たような言葉を並べていた。最前線で活躍できる人材。主力として活躍できる人材。
画面に並ぶその文句を見ながら、僕は少しだけ身構えた。いかにも、できる人間だけを欲しがっているような書き方だった。自分がそこに入れるのかどうか、正直よくわからなかった。でも、わからないまま止まっている方が嫌だった。
履歴書は、一社だけじゃなく何社かに送った。
数日後、そのうちの一社から連絡が来た。イベント制作会社だった。バイト採用の連絡だった。
これで、あの映像の近くに行ける。
そう思った。
胸の奥で、小さく火がついた。
――広場に映る映画みたいに、誰かに届く映像を作れるかもしれない。
そう思った瞬間、別の火種も、同時に生まれていた。
もしそこが、また嘘で塗り固められた場所だったら。そのとき僕は、何を信じて生き残ればいいのだろう。
でも、当時の僕にできたのは、進み続けることだけだった。前を見て、進み続ける。それが僕にとっての最善だった。




