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落ちこぼれだった僕が、売れっ子フリーランス動画クリエイターになるまで  作者: じょう
第2章 ノビタとスネ夫の学校

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第5話 その国のルール

 久しぶりの学校生活だった。

 朝の電車に揺られて学校へ向かう。学生たちに混じってホームを歩きながら、僕は少しだけ妙な気分になっていた。もう十代ではないのに、鞄を肩にかけて学校へ通うだけで、時間が少し巻き戻ったような気がしたのだ。

 大人になってから十代を振り返ると、人はどうしても都合よく書き換えたくなる。「あのとき、ああしていれば」「あの場面で、もう少し違う言い方をしていれば」と、使い道のない後悔がいくらでも湧いてくる。タイムマシンがあれば、なんて、つい考えてしまうものだ。

 中学も高校も、僕は授業をまともに受けない生徒だった。勉強が嫌いだった。嫌いなものを、何のためにやっているのかも分からないまま、毎日同じように強制される。その感覚が、自我が育つにつれて、だんだん反抗心に変わっていった。僕は劣等生だった。少なくとも、学校という場所の物差しでは、そういうことになっていた。

 でも今度は違う。そう思っていた。

 僕は映像の勉強が好きだった。しかも、ゼロから始めるわけじゃない。もう編集技術はある程度身についていた。スクールを卒業したあと、ドキュメンタリー映画も作った。小さな映画館だったけれど、ちゃんと上映して、お客さんもそれなりに入った。暗い場内で、エンドロールの光が流れていくのを見ながら、自分の作ったものがちゃんと誰かに届いたのだと感じた。上映後、トイレで用を足していると、観客の一人に「良かったです」と声をかけられた。大きな成功ではない。でも、手応えはたしかにあった。

 好きなことを、必死に学べる場所。

 そこに入るなら、今度こそちゃんとやれる。

 十代の頃にうまくできなかったことを、今度はやり直せる。

 そう思っていた。

 ……ところが、すべては幻想だった。

 パンフレットに載っていた、楽しそうな学校生活の写真。面談のとき、講師や事務員が浮かべていた感じのいい笑顔。ああいうものは、あとから思い返すと、だいたい同じ種類の光り方をしている。明るいけれど、どこか平たい。触れると、たぶん紙みたいに薄い。



 講義の時間、講師は前に立って、教壇でもないただの前のスペースを見回していた。椅子のきしむ音や、誰かが机を指先で叩く小さな音が、やけに耳についた。教室の空気は妙に落ち着きがなく、何が始まるのかをみんなが待っているようだった。


 「それでは次。他にはいないか? 面白いことをやって見せろ。俺が笑うくらいのやつだ」


 プレゼンの授業だった。少なくとも、時間割の上ではそういうことになっていた。


 「じゃあ、やってみます。やらせてください」


 そう言って生徒が前に出る。教室の真ん中で、少し腰を落として、顔を作って、それから渾身の一発ギャグをやる。


 「そこで、うんこ漏らすんですよねっ!」


 素人が考えた、小学生以下のレベルのギャグだった。笑いの構造も何もない。ただ汚くて、雑で、馬鹿みたいに声が大きいだけだ。

 それなのに、教室は爆笑した。

 あちこちで手を叩く音がして、講師もニヤニヤしていた。笑っているというより、その場を支配している自分に満足している顔だった。僕はその光景を眺めながら、頭の中で何かが静かにずれていくのを感じていた。

 何を見させられているんだろう、と思った。

 僕はたしか、映像制作の専門学校に入ったはずだった。



 この学校は、映像制作を教える場所でありながら、独自性として「就職率100%」を謳っていた。パンフレットには、「技術面の他、仕事力を高める教育が備わっている」と書かれていた。

 仕事力、と聞けば普通は別のものを想像するはずだ。知識やスキルやマインドを総動員して仕事を前に進める力とか、人と協働して成果を出す力とか、そういうものだ。

 でも、この学校が言う「仕事力」はまったく違った。

 それは大人たちを全力で喜ばせる媚びへつらいの能力であり、他人を出し抜いてでも上に上がろうとする気概のことだった。

 あれほど必死に作って、お客さんからささやかな評価をもらった作品も、僕が積み上げてきた映像編集や制作の力も、この学校では一ミリも評価されなかった。

 講師は平然と言った。


 「お前ごときの技術は、実際の現場に出たら何にもならない。そんなことより、上司や先輩を喜ばせて、気持ちよくさせることの方がよっぽど役に立つ。作品なんか作らなくていい。変顔をしろ。スライディング土下座をしろ。もっと、もっと楽しませろ。そっちを磨け」


 その言葉を聞いたとき、僕の中で何かが冷たく固まった。

 腹が立つというより、気持ちがすっと引いていった。あまりに安っぽくて、この場所の底が見えてしまった気がした。

 あの場所は講師王国だった。

 ドラえもんで言うなら、講師がジャイアンで、この学校で優等生扱いされるのはスネ夫だ。スネ夫はジャイアンの隣でへらへら笑う。夜の席では、しずかちゃんをホステスとして差し出して、機嫌を取る。ごますりをしながら、出木杉くんの陰口を酒の肴にする。

 のび太もいた。

 のび太は、ジャイアン主導のいじめに、公然と巻き込まれていた。馬鹿にされ、本人のいないところでもネタにされる。阿呆、臭い、変人――そういう安っぽいヘイトが、空き缶みたいに次々と彼に投げつけられていた。教室の後ろの方で誰かがくすくす笑い、その笑いが別の席へ移っていく。そういう広がり方をする悪意だった。

 入学して数ヶ月で辞める人が続出した。

 まともな人は続けない。


 「映像制作は、自分の想像していたクリエイティブなものとは別物だった」


 そう見切りをつけて、さっさと学校を去っていく。賢明だと思った。実際、その判断は正しいのだと思う。

 でも僕は辞めなかった。


 「そんなこと、させない。こんな世界、ぶっ壊してやる」


 僕はここでも優等生にはなれなかった。十代の頃と同じ、反発的な劣等生だった。



 講師たちに一番いじられていたのび太は、それでも学校にしがみついていた。授業が終わったあとも編集室に残って、ずっとパソコンとにらめっこしていた。蛍光灯の白い光の下で、背中を丸めて、マウスを握る手だけを小さく動かして、できないところをできるまで何度も繰り返していた。誰もいなくなりかけた教室で、ファンの回る音だけが低く続いていた。


 「ジョウくん、ごめん。また教えて。この演出のやり方なんだけど、何かエフェクト使うんだっけ?」


 「これはタイムリマップっていう機能を使って、再生スピードを制御して作る。具体的には――」


 彼は飲み込みが早いタイプではなかった。むしろかなり遅かった。でも、できないならできないなりに、人一倍時間をかけて学んでいた。ひとつ覚えるのに時間はかかる。けれど、一度掴んだものは、少しずつ自分のものにしていった。ゆっくりだったが、確実に伸びていた。

 だけど、技術が伸びることと、心が持つことは、どうやら別の話らしかった。



 何日も彼の欠席が続いたあと、友達数人とお見舞いに行ったことがある。


 「たぶん病気っていうより、心が折れてるのかもしれない。だから、できるだけ優しくしよう」


 「そうだね。無理に学校に復帰しろなんて言わないほうがよさそうだね」


 みんな小声だった。住宅街の中にある家の前で、必要以上に明るくならないように気をつけながら話していた。細い道の向こうから犬の鳴き声がして、夕方の風が少し冷たかった。とりあえず顔を出す。それだけを目的にして、余計なことは考えないようにした。

 実家のチャイムを押すと、彼のお母さんが出てきた。疲れた顔をしていた。髪も少し乱れていたし、こちらに気を遣って笑おうとしていたけれど、その笑顔は途中で力を失っていた。


 「わざわざすいません。ちょっと、あの子まだ無理そうで」


 「そうですか。僕らが顔を出せば、何か変わるかなって思ったんですけど……」


 そんなやりとりをしていたときだった。

 階段の上、二階のどこかの部屋から、何か聞こえた。

 最初は物音かと思った。でも、耳を澄ますと人の声だった。叫んでいた。喉の奥を裂くみたいな、切羽詰まった声だった。


 「なんで呼んだんだ!! 呼ぶなって言っただろ!! ふざけんな!! 死ね!! 死ね!! 死ね!!」


 紛れもなく、彼の声だった。

 僕らはその場で固まった。空気が一瞬で凍ったみたいだった。彼のお母さんの顔色が、目に見えて変わった。階段の方を見上げたまま、何も言えなくなっていた。家の中の静けさが、その叫び声のあとで余計に生々しく残った。

 擦り傷程度の話じゃなかった。

 彼は、もう壊れていた。

 人の心の痛みを、必要以上に受け取ってしまう。そういう癖が僕にはある。よくない癖だと思う。でも、そのときも防ぎようがなかった。胸の奥に、濁った水みたいな苦しさがゆっくり溜まっていくのが分かった。喉のあたりが詰まって、息が少し浅くなった。

 苦しかった。

 こうなってしまった心を、人の言葉だけで元に戻すことなんてできない。ましてや、数ヶ月顔を合わせただけの同級生にできることなんて、ほとんどない。

 その瞬間、僕は分かった。

 自分には無理だ、と。

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