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落ちこぼれだった僕が、売れっ子フリーランス動画クリエイターになるまで  作者: じょう
第7章 焼け野原のフリーランス

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第28話 細い杭

 ランサーズやクラウドワークスといった、案件が募集されているサイトも利用してみた。

 最初、僕は少しだけ楽観していた。

 世の中には映像を必要としている人がいる。そして、僕には映像を作る技術がある。その二つが、画面の向こう側でうまく結びつく。そんなふうに、少しだけ都合よく考えていたのだと思う。

 けれど、現実はそう単純ではなかった。

 僕は案件一覧を開き、ひとつひとつ募集内容を見ていった。

 依頼文は、どれも丁寧に書かれていた。

 継続依頼あり。初心者歓迎。実績作りに最適。楽しくお仕事できる方。

 そういう言葉が、妙に明るい顔をして並んでいた。

 けれど、金額を見た瞬間、僕の指は止まった。


「……二千円?」


 思わず声が出た。

 妻がこちらを見た。


「何が?」


「YouTube動画一本の編集のギャラ」


「一本で?」


「うん。一本二千円程度で、って書いてある」


 妻は少し黙ってから、画面を覗き込んだ。


「それ、どのくらい時間かかるものなの?」


「内容による。でも、ちゃんとやろうと思ったら、二千円の仕事じゃない」


 僕は画面を見たまま、説明した。


「素材を読み込んで、全部見て、構成を考えて、使うところを選んで、いらない部分を切って、テロップを入れて、音を整える。場合によってはモーションタイトルを作ったり、エフェクトやアニメーションで演出を加えたりする。意外と手間のかかる仕事なんだ。普通に考えたら、割に合わない」


「でも、応募してる人いるんだ」


 妻が画面の端を見ながら言った。

 僕は応募者数を見た。

 そこには、すでに何十人もの応募者がいた。


「いるね」


 それ以上、うまく言葉が出なかった。

 世の中にはいろいろな事情がある。予算がない人もいるだろうし、練習のつもりで受けたい人もいるかもしれない。

 けれど、その金額で普通に募集が出て、そこに当たり前のように人が集まっている光景は、僕がこれまで見てきた映像制作の世界とはずいぶん違っていた。

 画面の中では、映像編集という仕事が、ずいぶん軽く扱われていた。

 僕は別の案件も開いた。

 似たような内容だった。

 また別の案件を開いた。

 そこでも、やはり同じだった。

 安い。

 そして、応募者がたくさんいる。


「なんで、こんな金額で受けられるんだろう」


 僕は言った。

 妻は少し考えてから言った。


「副業とか、実績作りとか?」


「たぶんね。プロが生活の糧として受けてるわけじゃないんだと思う。お小遣い稼ぎか、実績作りか、あるいは単価の感覚がまだないか」


 そう言いながら、僕は競合のプロフィールを開いた。

 その案件に応募している人たちが、どういう人たちなのか気になったからだ。

 プロフィール写真、自己紹介文、実績、ポートフォリオ。

 僕は、ひとつずつ見ていった。

 もちろん、全員が低いレベルというわけではなかった。丁寧に作っている人もいたし、まだ荒いけれど、きちんと前に進もうとしている人もいた。

 けれど、冷静に見て、編集スキル、テクニックの有無、映像全体の見せ方、そのあたりでは、僕の方に分があると思えた。

 それは、うぬぼれではなかった。

 僕は映像編集を始めて十年ほど経っていた。前の会社でも七年、前線で走ってきた。イベント映像、プロモーション映像、様々な種類の映像を何度も作ってきた。現場で何が必要とされ、どこで失敗し、どこを押さえれば相手が安心するのかも、身体で覚えていた。

 だから、スキルや経験で負けているとは思わなかった。

 そういえば、どこかの記事で読んだことがある。コロナ禍で本業の仕事ができなくなった人たちが、副業や新しい働き方として動画編集に流れ込んでいる、と。企業の動画活用の需要が増えていることも重なって、動画編集者は一気に増えているらしい。

 映像編集を始めようとする心意気は尊重できる。そういう仲間が増えること自体は、むしろ大歓迎だ。

 ただ、そんなに甘い世界ではないことも、同時に理解してほしいと思う。

 画面越しに人の実力を測るなんて、あまり上品なことではない。

 それでも、いくつかのポートフォリオを見ているうちに、正直に言えば、まだ同じ土俵に立っているとは思えないものも多かった。

 けれど、その場所で動いているルールは、僕がこれまで知っていた映像制作のルールとは違っていた。



 僕は応募した。

 何件も闇雲に応募したわけではない。下手に何件も応募して、同時に何件も採用されたら、それはそれで対応できなくなる。だから、自分に最も分がありそうで、なおかつ金額がまだ許容できる範囲の案件を厳選して応募した。

 その一件一件の結果を待つ時間は、本当に苦痛だった。

 選ばれるかもしれない。

 選ばれないかもしれない。

 画面を閉じても、そのことが頭の端に引っかかっている。メールの通知が鳴るたびに、少しだけ体が反応する。けれど、届くのは別のメールだったり、どうでもいい通知だったりする。

 応募して、待って、不採用になる。

 また応募して、また待つ。

 不採用になる。

 その繰り返しだった。


「もしかすると、価格が悪いのかもしれない」


 僕は言った。


「高すぎるってこと?」


 妻が聞いた。


「いや、高すぎるはずがない。何かがおかしい」


 僕は自分が出していた希望額を見た。

 それは、僕にとって決して高い金額ではない。むしろ、会社員時代に見てきた制作費から考えれば、かなり現実的な金額だ。

 けれど、この場所では、その基準そのものが通用しないらしい。

 僕の希望額が高すぎるのではなく、ここで当たり前とされている金額の方が、僕の感覚から大きく外れている。


「でも、最初は実績作りだと思って、少し安く受けるとかは?」


 妻が言った。


「それも考えた」


 僕は画面を見たまま言った。


「でも、たぶん違う。ここで安く受けたら、自分の値段を自分で下げることになる。もちろん、最初の実績作りとして割り切る人もいると思うし、それを否定する気はない。でも僕はもう十年やってきた。前の会社でも七年やってきた。今さら、一本二千円の場所で、自分の価値を証明するところから始めるのは、たぶん違う」


 言葉にしてみると、自分でも少し硬い考え方をしていると思った。

 でも、それは意地ではなかった。

 妻は何も言わずに聞いていた。

 僕は続けた。


「生活のために仕事を取らなきゃいけない。でも、生活のためだからこそ、受けちゃいけない値段もあると思う。そこで無理に受けたら、たぶん仕事をすればするほど苦しくなる」


 それでも、すぐに見切りをつけられたわけではなかった。

 生活のことを考えれば、可能性がある場所を簡単に捨てることはできない。だから僕は、しばらくその場所で案件を探し続けた。



 たくさん応募した中で、一件だけ実際の仕事につながったものがあった。

 だから、クラウドソーシングを試したこと自体が、無駄だったわけではない。

 けれど、その一件だけで生活の基盤ができるわけでもなかった。

 応募して、待って、落ちる。

 たまに返事が来ても、条件が合わない。

 画面の中には、相変わらず安い案件が並び、その下には何人もの応募者がいた。

 明るい色のボタン。丁寧な募集文。魅力的に見えるタイトル。

 けれど、その下にある金額を見るたびに、どこか体の奥が冷えていった。

 僕は、しばらく黙って画面を眺めた。

 映像編集という仕事は、画面の中で小さく折り畳まれていた。

 本当はもっと奥行きがある。もっと手間がかかる。もっと見えない判断が積み重なっている。けれど、そこでは、それらの多くが値札の向こう側に押し込められていた。



「やめる」


 ある日、僕は言った。


「応募?」


「うん。ここだけで仕事を取ろうとするのは、もうやめる」


 妻は少しだけ頷いた。


「そう思うなら、その方がいいと思う」


 僕は案件一覧のタブを閉じた。

 画面から、安い募集の文字が消えた。

 それだけで部屋の空気が少し静かになったような気がした。

 もちろん、仕事が決まったわけではない。

 むしろ、ひとつの可能性を自分で閉じただけだ。

 でも、そのときの僕には、それが必要だった。

 自分の価値を安売りしたくなかった。

 ここで自分を安く扱えば、これまで積み上げてきた時間まで、まとめて安く扱うことになる。夜中まで編集した日も、会社に泊まり込んだ日も、先輩に食らいついて学んだことも、失敗して覚えた判断も、全部まとめて、二千円という小さな箱に押し込められてしまう。

 だから僕は、一ヶ月ほど試したあと、その場所を主戦場にすることをやめた。



 僕は検索を続けた。

 映像制作。フリーランス。業務委託。編集者。クリエイティブ案件。

 そんな言葉をいくつも打ち込んでは、出てきたページを開き、閉じ、また別のページを開いた。画面の光だけが、夜の部屋の中でやけにはっきりしていた。

 けれど、どれだけページを開いても、自分が次に進むべき場所は、なかなか見えてこなかった。

 やがて、クリエイティブ業界に特化した人材サービスを見つけた。

 普通の求人サイトとは少し違う。映像編集者、デザイナー、Webディレクター、ライター、広告制作に関わる職種など、いわゆるクリエイティブ職の案件を扱う人材サービスだった。

 登録すると担当者がつき、これまでの経歴や制作実績を確認した上で、条件に合いそうな企業案件を紹介してくれるらしい。表に出ている募集だけではなく、非公開の案件もあると書かれていた。

 いわば、クリエイター向けの仲介窓口のようなものだった。

 僕は登録フォームに必要事項を入力した。



 後日、担当者との面談が決まった。

 画面越しに現れた担当者は、落ち着いた声で話す人だった。過度に明るくもなく、妙に事務的でもなかった。こちらの経歴を確認しながら、いくつか質問をしてきた。


「映像編集がメインということで間違いないですか?」


「はい。編集がメインです。ただ、前の会社では映像制作全般をやっていたので、ディレクションや撮影なども、ある程度は対応できます」


「使用ソフトは、Premiere Pro、After Effects、Photoshop、Illustratorあたりですね」


「はい。そのあたりは仕事で使っていました」


 担当者は、画面の向こうで小さくうなずいた。


「制作実績も拝見しました。かなり幅広くやられていたんですね。イベント系の映像も多いですし、企業向けのものもありますね」


 その言葉を聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。

 最近まで見ていたクラウドソーシングの画面では、僕の十年は、ひどく小さく値踏みされているように見えた。けれど、ここでは少なくとも、積み上げてきたものを積み上げてきたものとして見ようとしてくれている。

 それだけで、気持ちが少し楽になった。


「非公開の案件もありますので、条件に合いそうなものがあればご紹介できます」


 担当者が言った。


「お願いします」


 僕は答えた。


「働き方の希望はありますか? 映像編集の場合、週五で常駐に近い案件も多いです」


「週五で常駐ですか」


「はい。業務委託としてクライアント先に入っていただいて、社内の制作チームの一員として動くような形ですね」


 それを聞いた瞬間、僕の中で何かが少し引っかかった。

 週五で常駐。

 それは、もちろんありがたい話だった。毎月ある程度のお金が入ってくる。その安心感は、決して小さくない。会社員を辞めたばかりの僕にとって、本来なら飛びつくべき条件だったのかもしれない。

 でも、その働き方は、僕が求めていたフリーランスとしてのあり方とは少し違っていた。

 週五でどこかの会社に入る。

 毎日、決まった場所に行く。

 その会社のルールの中で働く。

 それでは、会社員とほとんど変わらないように思えた。


「できれば、週三程度の準常駐で、リモートの案件があれば紹介してほしいです」


 僕は言った。

 担当者は、少しだけ画面の向こうで表情を整えた。


「週三、リモートですね」


「はい」


「かなり条件としては絞られます。もちろん、ないわけではないと思いますが、週五常駐に比べると数は少なくなります」


「それでも、その条件で探したいです」


 自分でも少しわがままだと思った。

 仕事を探している立場で、最初から条件を絞る。普通に考えれば、あまり賢いやり方ではないのかもしれない。生活のことを考えれば、できる仕事をまずはするべきだという考え方もある。

 でも、僕には考えがあった。

 ひとつの会社に、自分の一週間をすべて預けたくなかった。

 前職で、僕はそれを嫌というほど味わった。ひとつの場所に生活の大部分を握られると、人間関係が悪くなっても、理不尽なことがあっても、簡単には離れられない。生活がそこに縛られる。逃げ道が細くなる。こちらの判断まで、少しずつ鈍っていく。

 僕は、そういう状態に戻りたくなかった。


「週三くらいで、一社の仕事をしっかりやりながら、残りの日で、他の会社ともつながったり、自分のサービスを作ったりしたいんです」


 僕は言った。

 担当者は、黙って聞いていた。

 言いながら、本当にこんな条件でうまくいくのだろうかと思った。

 担当者が勧める方向に、素直に従った方がいいのではないか。まずは週五でも何でも受けて、そこから考えた方が現実的なのではないか。そんな考えが、頭の隅をかすめた。

 でも、取り消す気にはならなかった。

 それは、僕にとってかなり大事なことだったからだ。


「なるほど」


 担当者は言った。


「働き方の軸としては理解しました。週三程度、リモート、映像編集メイン。そこを優先して探してみます」


「ありがとうございます」


 面談が終わると、僕は椅子にもたれた。

 パソコンの画面には、まだ面談ツールの終了画面が残っていた。さっきまで担当者の顔が映っていた場所には、無機質なメッセージだけが表示されている。急に部屋が静かになった。音が消えたというより、会話によって持ち上げられていた空気が、ゆっくり元の高さに戻ったような感じだった。



「どうだった?」


 妻が聞いた。


「悪くなさそう。いろんなクライアントを抱えてるみたいだし、映像業界にかなり特化してるサービスっぽい」


 僕は答えた。


「だから、週三くらいでリモートの案件があれば紹介してほしいって言った」


「そんな条件で仕事あるの?」


「少ないらしい」


 妻は少し考えるようにしてから言った。


「私も次の職場が見つかったから、一旦はお金の不安は少し減ると思う。もし厳しくなりそうだったら言ってね」


 僕はうなずいた。

 ありがたかった。

 その言葉は、派手な励ましではない。「大丈夫だよ」と簡単に言い切るようなものでもない。ただ、僕の足元に、そっと板を一枚差し込んでくれるような言葉だった。

 僕がこうして、自分の時間を使って次の道を探せているのは、妻がそばで生活の片側を支えてくれているからだ。そう思うと、胸の奥にあった不安が、ほんの少しだけ静かになった。



 それから二週間ほどして、希望に近い会社を紹介してもらった。

 週三程度の準常駐。

 リモート。

 映像編集の案件。

 条件を聞いたとき、胸の奥で何かがかちりとはまったような気がした。

 もちろん、まだ何も決まったわけではない。条件が希望に近いからといって、すべてがうまくいくわけではない。相手の期待に応えなければならないし、責任は会社員の頃よりもむしろ重くなる。

 それでも、次に進むための土台としては悪くなかった。

 その後、紹介された会社ともリモートで面談を行った。画面越しに担当者と話し、条件を確認し、いくつかのやり取りを重ねたあと、僕は無事にその会社と業務委託契約を結ぶことになった。

 焼け野原に、ようやく一本だけ、細い杭を打てたような気がした。

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