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落ちこぼれだった僕が、売れっ子フリーランス動画クリエイターになるまで  作者: じょう
第4章 秘密のディズニーランド

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第12話 特別枠のカトウさん

 入社して五年が経った頃だった。

 この会社は、古株は妙にしぶとく残るくせに、若い人間は続かない。求人を出すのは、たいてい誰かが辞めたあとだった。今回募集するのは、事務とイベント制作のスタッフ。僕の直属の後輩ではない。

 募集内容を見ながら、どうせまたすぐ辞めるのだろうと思っていた。

 原因は、ほぼ社長だ。

 社長は、人との距離を詰めることと、相手の領域に土足で踏み込むことの区別がついていなかった。少し打ち解けたと思えば、二人称は「お前」になり、冗談めかしながら、相手が返しに困ることも遠慮なく言う。とくに若い女性に対してはひどかった。彼氏はいるのか、なんで彼氏がいないのか、見た目がどうだの、私生活に踏み込んだことまで平然と話題にする。本人は親しみやすさのつもりなのだろうが、受ける側からすれば迷惑でしかない。あれでは、入社して一週間ほどで来なくなる人がいても当然だった。

 だから今回は、新しく入ってくる人たちにできるだけ目を配ろうと思った。何かおかしな空気に巻き込まれていたら、せめてフォローくらいはしようと。

 ただ少し面倒を見るくらいのつもりだった。

 けれど、その小さな判断が後になって僕の人生を大きく変えることになるとは、この時の僕は想像もしていなかった。



 応募は思っていたより多かった。採用を担当していたマイさんは、この会社では珍しく人当たりのいい人だったから、僕はどんな候補者がいるのか軽い気持ちで聞いた。

 その様子が気になったのか、古株社員も近くに寄ってきた。


「カトウさんって子、この子可愛いじゃん。この子採用でどうですか?」


 古株社員が履歴書を見ながら言うと、マイさんは首を振って二枚の書類を差し出した。


「もう、ほぼほぼ別の人で決まってるの。この方たちなんだけど」


 一人は女性で、もう一人は男性。二人ともイベント制作は未経験だった。


「いや、でも僕はこのカトウさんって子がいいと思うな。ジョウくんはどう?」


 僕は履歴書に目を落とした。証明写真を見る限り、たしかに目を引く人ではあった。


「仕事ができるかどうかは、やってみないとわからないですよね。でも、それより少しでも会社が明るくなる方が大事だと思います。そういう意味では、このカトウさんって子、いいんじゃないでしょうか。現時点でこんなに気に入られてるくらいなら、そういうポテンシャルはあるってことだし。可愛い子がフロントにいたら、他社からの見られ方もちょっと変わるかもしれないですし」


 どうせ少しの間しかいないのなら、その短い間だけでも会社の雰囲気を変えてからいなくなってほしい。空気が変われば、新しく入る人ももう少し続くようになるかもしれない。そこが何より大事だと僕は思っていた。



 結局、当初の採用候補だった二人はそのまま採用され、さらに特別枠でもう一人入ることになった。

 カトウさんだった。

 カトウさんは、ナレーター事務所に所属している現役のナレーターだった。ナレーター一本では生活が難しいから、空いた時間で他の興味のある仕事もしてみたくて、うちの会社に応募したらしい。

 採用された三人は、いずれも映像制作部とは別の枠だったから、僕とは本来そこまで仕事で絡むはずではなかった。

 けれど、カトウさんは違った。


「映像編集にも興味があるし、何かお手伝いできることがありましたら、何でも言ってください。よろしくお願いします」


 ぱっちりした目が印象に残った。可愛らしい子だな、というのが最初の感想だった。ただ、話しているうちに、それだけではないことがすぐにわかった。言葉に熱を感じた。社交辞令で言っている感じではなかった。

 他の二人も愛想は悪くなかった。ただ、仕事に対する熱意までは感じなかった。僕だって、会社の仕事の何から何まで好きだったわけじゃない。けれど、映像制作に関してだけは別だった。もっと勉強したいし、もっと上手くなりたい。好きだから、自分でも気づかないうちに前のめりになる。社長や先輩たちが僕を仕事熱心な人間だと思っていたのも、そのせいだった。

 だからこそ、カトウさんには自然と目が向いた。仕事に向かう熱の種類が、いちばん近く感じられたからだ。



 もう一人の新人、ミヤモトさんは、事務とイベント制作を兼務する、僕と同い年の女性だった。どこか妙な貫禄があって、とても同い年には見えない。おしゃべりが好きで、一度話し始めるとなかなか止まらないタイプ。悪い人ではなさそうだったが、僕や先輩たちがカトウさんにばかり仕事を振っていると、あからさまにおもしろくなさそうな顔をした。


「みんな、カトウちゃんにばっかりお願いして」


「ミヤモトさんは事務の仕事があるし、その点カトウさんは手が空きやすいから、自然とそうなるんじゃない?」


「それならいいんですけど……」


 自信があるように見えて、実のところはそうでもないのかもしれない、とそんなふうに僕は思った。



 残る一人は、モリくんという男性だった。背がひょろりと高く、いつも愛想笑いを浮かべていた。どことなく身なりに無頓着な感じもあった。仕事への情熱は感じなかったが、社長の言うことだけは妙に熱心に聞く、そんなタイプの人だった。

 モリくんの仕事は、まず社長の手伝いから始まった。社長は精神的に幼く、何をするにも人の手を借りたがるところがあった。だから、何かあるたびにモリくんを使った。モリくんもヘラヘラと社長の機嫌を取りながら、何でも「はい、はい」と言うことを聞いていた。

 ただ、従順であることは、あの社長に好かれる理由にはならなかった。むしろ逆だった。言い返さない相手には、少しずつ態度がひどくなっていく。最初は軽口のように聞こえる言葉も、いつの間にか、逃げ場のない圧に変わるのだ。



 モリくんの席は、社長のすぐ隣に置かれていた。その日もまた、見飽きるほど繰り返されてきた光景が、そこで始まっていた。


「社長、クライアントに出す案なんですけど、オープニング明けの登壇タイミングって、何秒くらいで見てますか」


 社長はモリくんを見もしない。視線を落としたまま、やっと絞り出すようにぼそぼそと言った。


「それ、業界の常識やから。知らんのはお前だけやで」


「すみません……。調べても、そこまでは出てこなくて」


「普通わかるやろ。調べる調べないの話ちゃうやろ。考えれば普通わかるねん」


 社長は、こういう時、最初から答えを言わない。わざと相手に何か言わせておいて、今度は別の角度からそれを否定する。端から見れば、そこまでおかしなことを言っているようには見えなくても、あの男はいつもそうやって、相手を間違っている側に立たせたがるのだ。



 しばらくして、モリくんが直した台本を持っていくと、社長は紙を一瞥して吐き捨てた。


「……これどういう意味?俺がイメージしてたやつと違うねん」


「すみません……考えてみたんですけど、どこが違いますか?」


「こういうシーンでどうするかって前に話したやろ。覚えてないのは、社会人としてヤバいで」


 またそれだ、と思った。誰も、すべてのやり取りをいちいち記録しているわけじゃない。それをいいことに、社長はいつもそうやって、「前に言ったこと」にして説明を省く。そして最後は、相手の理解力や記憶力の問題にすり替えるのだ。

 モリくんが黙ってメモ帳を取り出す。


「メモ帳なんか使うな。そういうのに頼るな。頭で覚えろや」


 そこまで言うのか、と思った。僕も同じような理不尽を何度も受けてきたから、見ているだけで腹が立つ。それと同時に、モリくんもそのうち辞めてしまうんじゃないか、という嫌な予感が頭をよぎった。追い詰められていく彼を横目に、どうにかしなければ、と僕まで焦っていた。



 帰り支度をしていたモリくんに、僕は声をかけた。


「このあと、少し飯でも行かない?」


 僕らは会社を出て、神田駅の方へ歩いた。店は、駅の近くにある海鮮系の居酒屋にした。モリくんの好みに合わせて選んだ店だった。店内は仕事帰りの会社員でそこそこ埋まっていた。案内された二人席に向かい合って座り、飲み物を頼んだ。

 ひと息ついたところで、僕は切り出した。


「社長、きついだろ。あんな言い方ばっかりされて」


 モリくんは、きょとんとした顔で僕を見た。


「何のことですか?」


「今日、かなりきつい言われ方してただろ。説明も足りてなかったし、見ててひどいなと思ったよ」


「……いや、何もされてないですよ?」


 本気でそう思っている顔だった。

 僕は思わず、言葉を失った。あれだけ社長に詰められていても、本人の中では、それはまだ「何かをされた」ことにはなっていない。そのことの方が、よほどまずい気がした。

 人は、ああやって少しずつ壊れていく。いきなり何かが折れるわけじゃない。打ちのめされて、慣らされて、気づいた時にはもう、元の自分ではいられなくなる。目の奥から生気が抜けて、言われたことに反応するだけの人間になっていく。

 モリくんは、運ばれてきた刺身をつつきながら、相変わらずへらへらしていた。


「でも、社長って、ああいう感じじゃないですか」


「いや、ああいう感じで済ませていいレベルじゃないだろ」


「そうですかね。僕、あんまり気にしてないです」


 僕の見当違いだったのか。

 それとも、まだ僕に心を開いておらず、本音を隠しただけなのか。

 どちらにせよ、気遣うつもりで誘ったこの席は、思っていたような意味を持たなかった。

 僕はグラスを持ち上げて、一口だけ飲んだ。喉を酒が通っていっても、胸の奥のざらつきは消えなかった。


「まあ、無理しすぎないで」


 そう言うのが精一杯だった。

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