第11話 それでも、ここにしがみついていた
クライアントから会社にイベント制作の依頼が入り、社長や営業から、イベントで使う映像の予算や要望が下りてくる。そこから先は、何を撮ってどう編集するのかを僕が考え、提案する。オーケーが出れば、その内容に合わせて、必要な技術スタッフやクリエイター、ナレーターなどを外注し、段取りを組む。カメラマンは基本的に外注したかったが、予算的に厳しいときは、自分で撮ることもあった。素材がそろったら、あとは自分で編集して最後まで仕上げる。
もう、新人の仕事の枠を超えていた。
それでも、僕はそれを苦にしていなかった。映像制作のスキルを上げたい気持ちが強かったし、任されることが増えるのは、期待されている証拠だと考えていた。そんなふうに前向きでいられたのは、自分で考えたものがそのまま映像の形になっていく感覚が、やはり面白かったからだ。その映像を見て誰かが喜ぶと、その熱がこちらにも伝わってきて、自分も同じように気持ちが高揚する。だから、ハマっていく。辛いはずなのに。一種の中毒のようなものなのかもしれない。
やることは増えていくが、当時のパソコンは今よりずっと鈍かった。レンダリングは遅い。Premiere Pro、After Effects、Photoshop、Illustratorを行き来しながら作業していると、パソコンはあからさまにしんどそうになった。作業しているのか、パソコンの機嫌をうかがっているのか、わからなくなることもあった。
遅い時間になると、昼間は電話や人の声で埋まっていた事務所も、少しずつ静かになっていく。モニターの青白い光を見続けていると、目の奥が重くなっていく。パソコンのファンの音が、妙に大きく聞こえた。
終電を気にしながら作業して、それでも間に合わなければ、そのまま会社に泊まる。ソファをベッド代わりにして少しだけ眠り、朝になったらまた起きて、同じ画面の前に座る。そういうことも珍しくなくなっていった。
さすがに、これは精神衛生上よくないと思った。
だから僕は、効率というものを異様なほど気にするようになった。どうすれば無駄なく進められるのか。どこを削れば速くなるのか。何を先に片づけて、何を後に回すのか。追い込まれた結果ではあったが、それも一つの成長だったのかもしれない。
新人のうちは、それでもよかった。
問題は、その状態が入社二年目、三年目になっても変わらなかったことだ。
仕事量は増えるのに、給料は上がらない。ボーナスも出ない。せめて、その理由くらいは説明されてもよさそうなのに、それもなかった。
そういう肝心なことを説明しないやり方は、仕事でも同じだった。
ある日、社長から任されていた案件の映像を見せたときのことだ。社長は僕のモニターをのぞき込み、少しだけ再生すると、すぐに言った。
「これ、なんか違うな」
「……どのあたりでしょうか」
「だから言ったやろ。もっとかっこいい系が好まれるって。これのどこがかっこいい系なんや?知的なスタイリッシュ系やん」
その瞬間、また始まったと思った。
今初めて聞くようなことを、まるで前から共有していたみたいな顔で言ってくる。
「すみません。かっこいい系というのは、もう少し派手な方向でしょうか」
社長は露骨に眉をひそめた。
「いや、そうやってすぐ言葉で整理しようとするのがあかんねん。見た瞬間に、かっこええってならんと意味ないやろ」
「では、どういう要素を足せば、その方向になりますか」
「派手さっていうか、ノリやな。もっとパッと見で『おっ』ってなるやろ。普通はその辺の感覚でわかるもんやろ。いちいち説明されんとできへんのは、もうその時点であかんねん」
「事前にその方向性までは聞いて――」
そこまで言ったところで、社長は僕の言葉を遮った。
「聞いてへんかったら聞きに来たらええやろ」
「お前はコミュニケーションが上手くないから、こうなるんや」
「何でも受け取る側の問題や」
足りないというなら、何がどう足りないのか言えばいい。そのくせ、言わなくていいことは次から次へと口にする。
「とにかく、もっとかっこよくしといて」
社長は一通りまくしたてたあと、ようやく気が済んだみたいに出ていった。
画面には、さっきまでと同じ映像が止まっていた。結局、何が足りなかったのかは、最後まではっきりしなかった。
その日の仕事がひと段落したあと、ノガミさんが僕の机のそばまで来た。
「ジョウくん、今日このあと時間ある?」
「え、はい。大丈夫ですけど」
「じゃあ、ちょっと飲みに行こうよ」
断る理由もなかった。むしろ、少し外の空気を吸いたかった。
入ったのは、駅前にある小さなダイニング居酒屋だった。少し小洒落た雰囲気の店で、照明はやや暗く、木のテーブルの上ではグラスの縁だけが白く光っていた。ノガミさんは席に着くなり、慣れた調子でメニューを決め、店員にも感じよく笑いかけた。
「ひどかったね、さっきの」
「……見てましたか」
店員が運んできたビールの泡が、薄暗い照明の下でやけに白く見えた。ノガミさんはジョッキを持ち上げて、軽く僕の方に寄せた。
「まあ、とりあえず」
グラスを合わせると、小さな音がした。
一口飲んでから、ノガミさんはまた口を開いた。
「見てたよ。自分も入社当時、かなり理不尽な目にあってたから、ジョウくんの気持ちはわかるよ。」
ノガミさんは、僕の鬱憤を晴らすみたいに社長の悪口を言った。周りは何も言わず社長に従っているように見えるけれど、心の中ではみんな社長をクソ野郎だと思っていて、実はジョウくんの味方なんだ、とも言った。
「俺らはブタゴリラ、あっ、社長のことね、あいつをいいように使ってるだけ。『ブタゴリラ』って、ほら、キテレツに出てくるやつ。顔も性格も似てるじゃん?」
僕は笑った。たしかに、その通りだった。
ノガミさんは、もともと映像制作会社で長く働いていて、ドラマやテレビ番組の制作もしてきた人だった。バリバリの映像の世界の人間で、人当たりがいい。相手を気分よく持ち上げるのがうまくて、気が利いて、美味い店もよく知っている。そういう意味では、かなり優秀な先輩だった。
僕もただ聞いているだけでは悪い気がして、少しずつ自分のことも話すようになった。親とうまくいっていない話など、普段は人に話さないことまで口にした。
心の奥に引っかかっていた黒いものが、少しずつ言葉になって外へ出ていく感じがした。楽になった。強い味方ができた気がした。もう一人で悩まなくていいのだと、その頃の僕は本気で思っていた。
ノガミさんは、会社の悪口を本当によく言った。
「ブタゴリラはイエスマンしか周りに置かない。結果、頓珍漢なことを言っても、それが頓珍漢だと気づけない。裸の王様だね。ある意味かわいそうなやつだよ。こんな会社、いつまでもうまくいくわけがない。俺はそのうち仲間を集めて新しい会社を作ろうと思ってる。そしたら、ジョウくんも来てくれるか?ジョウくんは特別だ」
なぜ特別なのかは聞かなかった。照れもあったし、聞かなくても自分なりに理由はつけられたからだ。特別優秀というわけではない。けれど僕は、他の多くの人間よりずっと、ひたむきに仕事をしていたし、映像の勉強にも余念がなかった。専門学校では煙たがられたその性質も、社会では違う。真面目に仕事に向き合う人間が評価されるのは当然だと、僕は思っていた。ノガミさんはそれを見抜いてくれる人なんだ、と。
そう言われると、僕も話したくなった。
「社長って、基本的に何事も説明不足なんですよ」
「そうそう」
「完成したものを見てから、“何かが足りない”って騒ぎ出すんです。でも、それって前の段階で伝えられていないから入っていないわけじゃないですか。完全に後出しじゃんけんなんですよ」
ノガミさんは、すぐに笑った。
「わかる。あいつ、ほんとそれだよね」
「で、こっちが“その説明は受けていません”って返すと、今度はコミュニケーションがどうとか言い出すんです。挨拶もろくにできない人間が、コミュニケーションを語るなよって思います」
「ほんとそれ。できないくせに、できてる側の顔だけはするから余計たちが悪い」
言いたいことが次から次へと出てきて、気づけば僕も、ノガミさんに負けないくらい社長の悪口を言うようになっていた。
ノガミさんには、こんなふうに時々飲みに連れて行ってもらって、そのたびに溜まったものを吐き出した。
それでも、仕事熱心な性質だけは変わらなかった。不平不満が積もっていっても、僕はこの仕事を辞めなかった。
入社当初、僕はプロジェクションマッピングに胸を躍らせていた。けれど、まだ一度もその仕事には関われていなかった。あれをやらないままこの場所を離れるのは、どこか負けのような気がした。
だから僕は、ボロボロになりながらでも、最低で最悪なこの場所にしがみついていたかった。




