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第2章 姉の戸惑い


「どうしよう。何を着て行ったらいいかしら」

「ほら、先月買ったあのワンピースなんてどう」

「でも初盆だし、やっぱり黒でないと」

「真夏の炎天下よ。黒なんて熱中症になるわよ」

「でも……」

「それに二人だけなんでしょ」

「そうだけど」

「やれやれ、世話が焼けるな。初恋の人に会う乙女は」

「そんな言い方やめてよ。哲也は弟なんだから」

「でも、その弟に今も恋しているんでしょ」

 恵は目をそらした。

 親友の真美はため息をついた。

「ねぇ、もういいかげんに素直になりなよ。ご両親も亡くなったし、二人とも離婚してフリーなんでしょ。面倒な親戚もいないんだから、もっと自分の気持ちに正直に自由になってみたら」

 これまでのことを全て知っている親友の真美の言葉は重かった。

「そもそも、あんたがあのロクでもない男とできちゃった婚をしたのも、哲也君が原因なんでしょう。このまま気持ちを偽って生きても幸せになれないよ」

 確かに梶山との結婚は哲也が原因だった。梶山は、前からの仕事の上の知り合いで連絡先の交換をした後、何度か誘われていたが、遊び人風の梶山は信用できないと思い断り続けていた。

 だが、哲也の結婚式に出て、自分にそっくりの新婦を見てショックを受けた。さらに哲也に哀しそうな目で見つめられると、頭の中で何かが切れてしまった。その光景を忘れるために梶山に誘われるまま二人で飲みに行き、記憶のないまま梶山に抱かれ、気がついた時は裸で梶山とベッドの上にいた。

 さらに最悪だったのはその一夜で梶山の子を妊娠してしまったことだ。

 産まないという選択もあると思った。

 意外なことに妊娠の事実を告げると、梶山は恵に「結婚しよう」と言った。

 それを聞いて、授かった子には罪はないと思い、産んで育てることを決意して、式も挙げずに梶山と入籍した。

 しかし、臨月で流産してしまった。

 恵が流産して入院している時も、梶山は見舞いにも来ないで遊び歩いていた。梶山が恵と結婚したのは恵の稼ぐお金が目当てのようだった。恵はネイリストとして成功して高収入を得ていた。それを狙われたのだ。梶山は生活費を一切入れないどころか、恵に毎日のように金を無心した。そしてその金で賭け事や女遊びに明け暮れた。恵が注意すると暴力を振るった。

 限界だと思った恵は家を出て別居した。

 それから離婚が成立するまでとても長い不毛な時間がかかった。

 最初、恵は慰謝料を請求したが、逆に梶山からは財産分与として恵の貯金を全て渡すように請求され、結局弁護士の代理人を立てて、家庭裁判所で争うまでになった。

 そして、離婚が成立するかどうかの瀬戸際の時に父が亡くなった。葬儀も全て哲也任せだった。その後、無事離婚が成立し、やっと平穏な日常が戻ってきたばかりだった。

 そして、来週には初盆で実家にゆき、久しぶりに哲也に会うことになっていた。

 ここ数年、哲也に会ったのは両親の葬儀の時だけで普通に会うのは久しぶりのことだった。

「ねぇ、それで着てゆく服は決まったの?」

 真美の声に我に返った。

「う、うん。やっぱりあのワンピースにする」

「それがいいと思うよ。すごく素敵に見えるから」

「本当?」

「本当よ。もっと自信を持ちなさい」

「よかった」

「で、どうするつもりなの」

「どうするって」

「気持ちは伝えないの」

「そんなのいまさら無理よ」

「どうして?」

「だってバツイチの40近いオバサンだよ」

「相手だって同じくらいの歳で、バツイチでしょ」

「それに姉と弟だよ」

「義理のね。血はつながっていないでしょ」

「でも、哲也に気持ち悪いとか言われて拒絶されたら……」

「哲也君って東京のどこの大学にでも入れる実力がありながら、恵を追いかけて静岡の大学に入ったんでしょ。そして、結婚相手は見た目があんたそっくりの相手を選んだんでしょう。私から見たら、あんたの弟もそうとうなものよ。あんたにベタ惚れだってば」

「そんなこと言われても……」

 哲也が静大に合格したと母から告げられた時は動揺した。あのまま普通に大学に進学したらきっと哲也は同じ大学に進むという変な予感があった。だから女性中心のエステ業界のしかも静岡市に本社がある会社に高卒で就職した。高校の担任の先生には、もったいないと言われたが、哲也から逃げるように静岡で一人暮らしを始めた。ところが、哲也が静大に合格して来ると聞いて、なんだか怖くなりちょうど声をかけられていた大阪支店への転勤を承諾して、入れ違いに大阪に引っ越したのだ。そうして哲也から逃げていたのは嫌いだからではない。好きだったからだ。哲也が初恋の人で、ずっと好きだった。でもそれは禁忌の関係だと思い、その気持を抑えて来たのだ。

 そして、7年前に恵は深海の奥底に沈んだ。

 哲也の結婚式で、新婦の顔が自分そっくりであることにショックを受けて、自暴自棄になり、梶山に抱かれ、妊娠し、流産して、暴力を振るわれ、ボロボロになってしまった。仮にこれまで哲也が恵のことを思っていてくれたとしても、それは過去の自分だ。今のバツイチの中年女に同じ気持ちを抱き続けている保証はない。それどころか、哲也が結婚してからの7年間の自分の現実を知れば、どんな恋も冷めるのではないだろうか。

 それを確かめるのが怖かった。

「ねぇ、あんたが色々あってさ、臆病になるのは分かる。でも、逃げてばかりいても幸せにはなれないわよ」

 真美の言葉が心に突き刺さった。

「新盆でしょ。お母さんの霊もきっと戻ってきて、恵の幸せを思って応援してくれるんじゃない」

 その言葉に母との最後のやり取りが浮かんできた。

「ごめんね」

 それが母の最後の言葉だ。

 その言葉を何度も繰り返した。

 哲也が離婚し、恵がDVの夫と別居して離婚係争中であることを知り、恵に病床で謝った。

「二人が間違った結婚をしてしまったのは私の責任よ」

 母が言った。

「再婚して、五十嵐家に二人で入ってすぐに、哲也さんとあなたがまだお互い幼いにもかかわらず恋愛感情抱いているのを見て、危機感を持ったの。あなたと哲也さんがそういう関係になったら、私の娘の育て方が悪くて、ふしだらな娘が哲也さんを誘惑したと後ろ指さされると思ったの。血はつながっていなくても姉と弟だから近親相姦と同じだと言われて、五十嵐家から追い出されるのじゃないかって。それに二人ともまだ若いから、たまたま性の目覚めの時期に近くにいた異性に興味を持っただけで、過渡期が過ぎたら別の人と普通に恋愛をすると思っていたのよ」

 母はそこでゴホゴホとむせた。

「でも違った。哲也さんは自分の人生を変えてでも、あなたのあとを追って静岡の大学に行った。そしてようやく結婚して落ち着いてくれるかと思ったら、あなたにそっくりな女性を連れてきて、その後、不幸になって離婚した。あなたはあなたで、哲也さんが結婚したら自暴自棄になって悪い男にひっかかった。みんな私のせい。あなたたちは養子縁組もしていないし、血はつながっていないから、お付き合いしても、結婚してもよかったのに、私が世間体を恐れて、あなたたちの気持ちを捻じ曲げてしまったから二人とも不幸になったのよ」

「お母さんのせいじゃない」

「ねぇ、もしやり直せる機会があったら、今度は間違わないで」

 そんな母の最後の言葉と親友の言葉が重なった。

 それでも恵は、哲也に拒否されたらどうしようと思うと体がこわばり、何も言えないのでないかと思うのであった。




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