第七十話 勇者をやめたので、しゃもじでご飯をよそうことにした
王国へ帰る日が来た。
魔王城の門には、大勢の人が集まっていた。
バルザックは巨大な弁当箱を持っている。
セレーネは旅用の毛布を用意してくれた。
オルドは分厚い本を抱えていた。
「……なんか、荷物が増えてない?」
俺が言うと、ユウマが笑った。
「勇者の帰還ですからね」
バルザックが胸を張る。
「腹が減ったら食え! ただし三日以内にな!」
「こんな量、三日で食えるか!」
セレーネは微笑んだ。
「眠れない夜には、この毛布を」
「今度は夢の世界に閉じ込めないよな?」
「……約束します」
「一拍あったぞ!」
オルドは本を差し出した。
『原初調律器の使用記録・改訂版』
「あなたの経験を、後の世に残したいのです」
俺は本を開いた。
最初のページには、俺の名前があった。
『勇者カイ。
しゃもじを用いて世界の均衡を回復した』
「……これ、恥ずかしいな」
レイグが覗き込んだ。
「事実だろう」
「でも、もっと格好いい書き方ない?」
ユウマが笑う。
「『伝説の炊飯勇者』とか」
「悪化した!」
魔王は最後に現れた。
「カイ。調律器は、お前が持っていけ」
俺は驚いた。
「魔王家のものだったんじゃ?」
「かつてはな。だが、今は世界中の者の力が宿っている」
魔王はしゃもじを見つめた。
「誰か一人の所有物にすべきではない」
「……じゃあ、俺が持ってていいんですか?」
「必要なときに、皆へ返せる者が持てばよい」
俺は頷いた。
「分かりました。大事にします」
「ただし、世界を混ぜ直す実験は当分禁止だ」
「それは俺も嫌です!」
みんなが笑った。
国境を越えると、北方城塞の門が見えた。
門の上には、新しい旗が二つ並んでいる。
王国の旗と、魔王領の旗だ。
「……前は、あの旗が敵だったんだよな」
ゲイルが言った。
「今も、意見は違うだろう」
「それでいいんだよな」
「ああ」
姫が俺の肩を叩いた。
「王都に戻ったら、国王陛下が待っているわよ」
「表彰式?」
「ええ」
「逃げちゃ駄目?」
「駄目」
俺は肩を落とした。
王都の広場は、想像以上の人で埋まっていた。
王様が壇上に立ち、俺たちを迎える。
「勇者カイ。そして共に戦った者たちよ。よくぞ帰った」
歓声が響いた。
レイグ。
ユウマ。
元王子。
ゲイル。
姫。
スラとピカウルフ。
俺は一人ずつ顔を見た。
最初は、しゃもじ一本で放り出された異世界だった。
剣も使えない。
魔法の説明書もない。
何をすればいいのか分からなかった。
それなのに、こんなに仲間が増えた。
王様が尋ねた。
「カイ。褒美として、望むものを申せ」
広場が静かになる。
金貨。
城。
爵位。
どれでも望めるのかもしれない。
俺は少し考えた。
「……じゃあ、勇者を引退させてください」
「…………は?」
王様の声が裏返った。
「世界は、みんなで守る仕組みになりました。もう、一人の勇者に頼らなくてもいいはずです」
元王子が頷いた。
「各地の調律設備は、共同管理に移します」
ユウマも続ける。
「測定記録も公開します。異常があれば、早めに対処できます」
ゲイルが言った。
「研究施設の監督も、俺たちが続ける」
姫は笑った。
「勇者がいなくても、守る人はたくさんいるものね」
王様は長く黙った。
そして、ゆっくり頷いた。
「……分かった。お前の願いを認めよう」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
そのとき、客席の奥に北方城塞の若い兵士が見えた。
彼は片手を高く上げていた。
魔王領の村で出会った子どもたちも、通信石の映像の向こうで笑っている。
その瞬間、広場から大きな拍手が起きた。
レイグが耳元で言った。
「本当に引退するのか」
「うん」
「次に世界が危なくなったら?」
「そのときは、みんなで考える」
レイグは笑った。
「お前らしいな」
数か月後。
王都の外れに、小さな食堂ができた。
看板には、こう書いてある。
『しゃもじ亭』
俺は厨房で、ご飯をよそっていた。
「大盛り一つ!」
「はいよ!」
しゃもじを動かす。
白いご飯が、湯気を立てて皿に盛られる。
「……やっと本来の仕事だな」
俺は思わず笑った。
レイグは店の用心棒。
ユウマは帳簿係を名乗りながら、しょっちゅう遊んでいる。
元王子は仕入れを手伝い、ゲイルは黙々と皿を運ぶ。
姫は時々やってきて、食堂の混雑を見て笑う。
「世界を救った人たちが、今度は定食屋なのね」
「世界を救うより、昼の混雑のほうが怖い!」
「それは大変ね」
スラは店の隅で、子どもたちの人気者になっていた。
ピカウルフは入口で昼寝をしている。
ある日、魔王から手紙が届いた。
『共同調律網は順調。
魔王領の復興も進んでいる。
今度、食事に行きたい』
俺は返事を書いた。
『歓迎します。
ただし、予約してください。
昼は混みます』
ユウマがそれを読んで笑った。
「魔王にも予約が必要なんですね」
「当たり前だろ。席には限りがある」
夕暮れ。
最後の客を見送ると、俺は店の外へ出た。
空は青い。
遠くで鐘が鳴る。
街には人々の声が響いている。
俺は腰のしゃもじを見た。
色とりどりの線は、今も消えていない。
「……ありがとう」
小さく呟く。
しゃもじは何も答えなかった。
でも、それでいい。
俺は厨房へ戻った。
「おーい、みんな! まかないできたぞ!」
レイグが顔を出す。
「今日は何だ?」
「炊きたてご飯と、具だくさんのスープ!」
ゲイルが皿を並べる。
ユウマが椅子に座る。
元王子が湯飲みを配り、姫が笑う。
スラが、ぷるんと跳ねた。
俺はしゃもじを握り、みんなの皿へご飯をよそった。
世界を救うために使った道具で、今は誰かの腹を満たしている。
それが、何より嬉しかった。
「いただきます!」
声が重なった。
俺の冒険は終わった。
そして、俺たちの普通の日々が始まった。
――完。




